韓国時代劇「イニョプの道」ではチョン・ユミ演じる両班の娘イニョプが、奴婢に落とされて苦難の道を歩む姿が描かれます。
イニョプの父はクク・ユという両班でした。しかもただの両班ではなく李成桂と一緒に李氏朝鮮を作った重臣の一人だったのです。開国功臣に任命され、一部のものにしか与えられない「府院君」という爵位までもらっていました。太祖(李成桂)の信頼も厚かったという設定です。
クク・ユという人物は実在しない架空の存在ですが、ドラマを知るために必要なキーワードがいくつか出てきますので紹介します。
クク・ユとは
クク・ユ(国有)はイニョプの父。
つまり、イニョプの本名はクク・イニョプ(国葉)。
実在の人物ではありませんが、李氏朝鮮開国の功臣という設定です。
クク・ユを知るために必要ないくつかのキーワードを見ていきましょう。
開国功臣とは
開国功臣というのは1392年に李成桂(イ・ソンゲ)が高麗を倒して李氏朝鮮を作ったときに功績のあった重臣たちのことです。
1等から3等にランクわけされていました。
1等功臣は鄭道傳、裵克廉、趙浚ら17人。
2等功臣は13人
3等功臣は22人
1等功臣に任命されると跡継ぎも功臣の継承権が与えられました。
子孫には犯罪赦免権が与えられます。
直系の息子、父母・妻の3等級昇進。
直系がいない場合は義理の息子2等級昇進。
爵位、土地、奴婢が与えられます。(人によって違います)
一度功臣になっても、その後の政変で負けて除名された人はいます。
イニョプの父が任命された府院君とは
クク・ユは一部の者にしか与えられない「府院君」の爵位を持っていました。
府院君とは高麗や李氏朝鮮時代の爵位です。
普通は王妃の父が「府院君」とよばれます。府院君の妻は「府夫人」と呼ばれ、重臣たちの奥方の間でも特に高い地位になります。
それ以外にも特別に功績のあった重臣には「府院君」の爵位が与えられます。
開国功臣の中にも何人か府院君の爵位を与えられた人はいます。
どうしてイニョプの父は処刑されたの?
クク・ユは太祖から朝廷の中に潜んでいる満月党(マヌォル党)の正体を暴くように命令しました。クク・ユは信頼するトックを満月党に潜入させて様子を探らせました。ところがトックはバレてしまい家族の命を盾にクク・ユが逆賊だとウソの証言をするように脅されました。トックのウソの証言でクク・ユは逆賊にされ、身分を奪われて処刑されてしまいます。
イニョプが父が謀反の罪を着せられた謎を解き明かすのがドラマのもう一つのテーマになります。
高麗の再興活動があっても不思議ではないと考えられていた時代
満月党(マヌォル党)は高麗の残党が作った架空の団体。太宗の時代は李氏朝鮮ができて日が浅く、まだ世の中は安定していませんでした。イニョプの舞台となった時代も李氏朝鮮ができて20年ほどしかたっていません。高麗の残党がいて再興活動をしていても不思議ではないと考えられているんですね。
歴史上は高麗再興を行っていた団体の記録はありません。ドラマではよく出てきます。
両班でも身分を剥奪されたら物あつかい
両班でも身分を剥奪されると悲惨です。本人は処刑され、家族は賤民にされてしまいます。奴婢にされるものもいますし遊女にされるものもいます。
開国功臣といえども容赦はありません。
朝鮮は賤民は人ではなく物扱いされます。家畜よりも身分は下です。売り買いや、褒美として与えたり、相続でたりする「物」なのです。
奴婢にされたものは、功績のあった重臣に褒美として与えられたり、役所で働かされました。
イニョプが奴婢にされたのもそのためです。
両班から物扱いになった、イニョプの運命を描くのが「イニョプの道」なんですね。ちなみにドラマの原題は「下女たち」。日本ではあまりにも刺激すぎるので「イニョプの道」と格好良いタイトルにされましたが、もともとのタイトルはイニョプの立場そのものを表現するものだったのです。
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