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星漢燦爛:越妃(越姮)のモデル 陰麗華。ドラマと史実の違いを紹介

越妃のモデル陰麗華 2 ドラマ人物

中国ドラマ「星漢燦爛」に登場する越妃(越姮)は皇帝の側室ながら男前な言動で人気のキャラクターです。

そんな越妃にはモデルになった人物がいます。後漢の光武帝最愛の人・陰麗華(いん・れいか)です。

今回はそんな越妃を紹介。モデルになった後漢の光烈皇后・陰麗華との共通点や違いを探ります。

なおこの記事はネタバレを含みますのでご注意下さい。

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星漢燦爛の越妃(越姮)とは

越妃

 

名前:越姮(ユエ・ホン)
地位:越(ユエ)妃
住居:永楽宮
父:不明
母:不明
兄:小越侯
夫:文帝
子供:三皇子、二公主、三公主

 

演:曹曦文(ツァオ・シーウェン)
「如懿傳」陳婉茵、「孤城閉」賈教習

 

霍君華の恋のライバル

かつて霍君華も文帝に恋していました。若いころは越姮と霍君華は文帝をめぐって恋のライバルでした。でも霍君華は恋が叶わず凌益と結婚。

霍君華の兄・霍翀文帝の義兄弟。霍翀のことは尊敬しています。

 

文帝の政略結婚で正妻になれず

霍君華との恋のバトルには勝った越姮は文帝の正妻になるはずでした。

ところが文帝が乾安王との関係を重視して宣神諳と結婚。

文帝には妻が二人いる状態になりました。

宣皇后とは仲がいい

越姮は皇后の座を宣神諳に譲り「越妃」になりました。

そんないきさつのある越姮でしたが、宣皇后は姉のように思っていて、二人の仲はいいです。

他のドラマではちょっと考えられない関係です。

まあここで越妃vs宣皇后のバトルが起きてしまうと、ただでさえ重いドラマがよけいに重くなってしまうので。文帝と妃たちは仲良し家族にしてドラマの清涼剤のような役目にしているのでしょう。

文帝とともに遠征

王朝の建国時はまだ戦乱が続いている時代でした。文帝は遠征に出ると、越妃も同行しました。

その間、子供たちは宣皇后や小越侯に預けて養育させました。

凌不疑を可愛がる

また文帝の義子・凌不疑を自分の子以上に大切に思い、程少商との仲を何度も助けています。

越妃の性格

優しい宣皇后と違って、越妃の性格はわりとはっきりしていて開放的。厳しい言動をすることもありますが、相手を思ってのこと。

表の政治には関わりません。プライベートで皇帝が悩んでいたらアドバイスすることはあります。

ある意味頭の良い女性。

越妃(越姮)の子供

越姮には文帝との間に三人の子供がいます。

  • 三皇子
    越姮の子で越一族たち三皇子を支持する勢力も多いです。そのため凌不疑とは親しくすることはありません。幼い頃に凌不疑に助けられたことがあるので恩義に感じており、密かに助け合うこともあります。
  • 二公主
    皇帝の2番目の娘。優しい性格。他の公主たちが程少商に嫌がらせをする中で、彼女を庇う数少ない人物。
  • 三公主
    皇帝の3番目の娘。幼いころから小越侯に育てられ、越一族の悪い部分の影響を受けています。そのためか悪知恵が働き欲深いところがあります。凌不疑に憧れていますが実現できず、宣皇后の甥に嫁ぎました。

なんでこの親からこの子が生まれるのか。人に預けたのが失敗でしたね。

 

ネタバレ

ドラマ終盤。いろいろあって宣皇后と皇太子がその座を退きました。

かわって皇后になったのが越姮、皇太子になったのは三皇子でした。

 

後漢 陰麗華とは?

モデルは後漢の 光烈皇后 陰麗華

越姮のモデルは後漢の光武帝の妻・光烈皇后 陰麗華。

歴史上の 陰麗華を紹介します。

美貌と家柄

陰麗華の生まれた家は広大な土地をもつ大地主。その財力と兵力は諸侯に匹敵すると言われました。その美貌でも評判。美貌と大富豪の娘ということで周囲からも注目を集める存在でした。

若い頃の光武帝 劉秀も陰麗華を妻にしたいと思っていました。でも陰麗華と劉秀が若い頃から相思相愛だったわけではありません。劉秀の片思いです。

陰麗華

陰皇后『百美新詠図伝』

清朝時代に描かれた陰麗華の肖像

劉秀の妻になる

前漢滅亡後の新朝時代。圧政に耐えかねた民が各地で反乱。劉秀兄弟も挙兵しました。劉秀兄弟は手柄を立てましたが兄が死亡。劉秀は兄に代わって軍団を率い、大きな勢力になります。

そのころ陰麗華と劉秀は結婚しました。

様々なドラマでは相思相愛みたいに描かれますが。実際には劉秀の一方的な恋だったのではないかと思います。でも今や劉秀は軍団を率いる将軍。求愛を拒めなかったのかもしれません。

結婚わずか3ヶ月で別居

陰麗華別居

ところが陰麗華と劉秀が結婚して3ヶ月後。劉秀は更始帝から北方の敵を討つよう命令を受けて長期の遠征に出てしまいます。

その間、陰麗華は実家に戻り兄とともに暮らしました。

再開したら夫に妻と子がいる

数年後劉秀はなんと皇帝(光武帝)になっていました。陰麗華もびっくりです。

ひさしぶりに連絡が来て劉秀に会ってみると、劉秀にはすでに郭聖通という息子がいます。

劉秀は10万(一説には30万)の兵をもつ大勢力の劉楊を味方にするため劉楊の姪と結婚したのでした。

それを知ったときの陰麗華の様子は記録されていません。

さぞ複雑な思いだったでしょう。

別の女に子供まで

 

陰麗華と郭聖通は二人共貴人の位を与えられました。

皇后の座を譲る

陰麗華と郭聖通のどちらが皇后になるか問題になりましたが。陰麗華が皇后の座を辞退。郭聖通が皇后になりました。

郭聖通の子が皇太子になりました。

郭皇后が廃され陰麗華が皇后になる

その後、郭聖通は廃皇になってしまい、陰麗華が皇后になりました。

理由は郭聖通が嫉妬深くて皇后にふさわしくないからだと言いますが。劉楊が死に(謀反の罪で殺した)。中華統一も達成。大きな兵力はもういらないので劉楊の勢力に遠慮する必要がなくなった。というのもあります。

郭聖通の子も皇太子ではなくなり、陰麗華の子が皇太子になりました。

質素で外戚の介入を阻止

陰麗華は皇后になってからも贅沢はしません。まだまだ国ができたばかり財政も厳しいです。率先して質素な生活を送りました。

兄弟たちには出世したり朝廷で大きな力を持つのも控えるように言い聞かせ。外戚が力を持つのを防ぎました。

息子は後漢の第2代皇帝 明帝

やがて息子の劉荘が劉秀のあとを継いで皇帝(明帝 )になりました。

忍耐強さと謙虚さ外戚の横暴を防いだことなどから、光烈皇后 陰麗華は中国史上でもとくに優れた皇后と言われます。

 

ドラマ「越姮」と史実「陰麗華」の比較

共通点

  • 美貌と家柄:美貌と由緒ある家柄を持つ女性として描かれています。
  • 正妻になれず:今の夫と結婚しまたが政治的な理由で正妻にはなれませんでした。
  • 皇后の座を譲る:皇后の座を他の妻に譲り側室になりました。
  • 皇后になる:最初の皇后が廃され、最終的に自分が皇后になります。
  • 息子が太子になる:前の皇后が産んだ太子が廃され、自分の子が太子になります。
  • 政治への関与: 直接政治には関わりませんでした。
  • 子供は複数: 複数の子がいて、息子は次の皇帝になりました。

違うところ

項目 ドラマ「越姮」 史実「陰麗華」
性格 直接政治には関わらないものの、開放的な性格。 謙虚で質素。外戚の力を抑えようとした。
他の女性との関係 宣皇后とは姉妹のように仲が良い。霍君華とは恋のライバル。 皇后や側室との仲は不明。
政治への影響力 陰で夫を支え、政治的なアドバイスをする場面もある。 外戚の力を抑え、後漢の安定に貢献した。

まとめ

ドラマ「星漢燦爛」の越姮は史実の陰麗華をもとにドラマ的な要素が加えられ、より魅力的なキャラクターとして描かれています。

特に他の女性との関係や、子供たちの役割など史実にはないドラマオリジナルの要素が盛り込まれています。

ドラマ「星漢燦爛」の越姮

ドラマの越姮は人間味あふれる女性として描かれて現代の視聴者も共感しやすくなっています。彼女の強さと優しさ、はっきりと自己主張するところなどいわゆる「男前」なキャラとして設定されています。

史実の陰麗華

史実の陰麗華は我慢強く後漢の安定に大きく貢献した賢い皇后として評価されています。彼女の質素な生活や外戚の力を抑えようとした姿勢は後世の皇后たちに大きな影響を与えました。

個人的には陰麗華と劉秀の話は歴史書にあるような美談ではなく、陰麗華や郭聖通も劉秀や周りの男達の欲望に振り回されただけのように思います。
陰麗華としては自分と一族を守るために耐えるしかなかったのだと思います。

ドラマの文帝と越妃・宣皇后の関係は、我道を行く光武帝と二人の妻たちの関係を現代的にアレンジしたように思いますね。

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