贅婿:武朝皇帝 周喆のモデル宋徽宗 趙佶とは?

ぜいせい2 ドラマ人物

中国ドラマ「贅婿(ぜいせい)ムコ殿は天才策士」の武朝皇帝として 周喆が登場します。

いつも遊んでいるようで頼りない皇帝のように描かれます。

周喆にはモデルになった人物がいます。

北宋の第8代皇帝 徽宗 趙佶です。

ドラマの武朝は北宋をモデルにしています。

梁国のモデルが遼(契丹)
靖国のモデルが金です。

宋の徽宗 趙佶はどのような人物だったのか紹介します。

 

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ドラマ「贅婿(ぜいせい)」の武朝皇帝 周喆

演:葉項明

ドラマ「贅婿(ぜいせい)」皇帝は比較的若そうな皇帝です。

酒好きで遊び好きです。
ドラマに登場するときはよくインコに餌をやってます。

子供の頃から勉強は嫌いでした。

太子太師(太子お世話係)賀元常を頼りにしていますが。うまくあしらわれているようです。武朝周辺国の動きが慌ただしくなってきたので、前の皇帝に仕えた右相の秦嗣源を呼び戻しました。

ドラマ第一期では武朝はまだ大丈夫ですが。第二期では国家存亡の危機を迎えるはずなので。そのときどんな働きをみせるのか興味深いです。

 

武朝皇帝 周喆のモデル 徽宗(きそう)趙佶(ちょう・きつ)とは?

12世紀初期の北宋の第8代 皇帝

1082年生まれ。
第6代皇帝 神宗の六男。

父・神宗 趙頊の死後。兄の哲宗 趙煦が即位しました。その哲宗も子がいないまま25歳で死亡したので。弟の趙佶(ちょう・きつ)が第8代皇帝に即位しました。

もともと有能ではなく、宰相の章惇たち重臣は他の皇子を皇帝にしようとしましたが。皇太后向氏の思惑で趙佶に決まったと言われます。

徽宗 趙佶が即位してしばらくは皇太后向氏が垂簾聴政をしていました。

皇太后向氏の死後。徽宗 趙佶が政治を行いました。当時の朝廷はいくつかの派閥に別れていて、派閥の争いが続いていました。そこで徽宗 は蔡京を呼び戻しました。蔡京は一度は左遷されていましたが、派閥争いにうんざりした徽宗が呼び戻したのです。

蔡京は権力欲の強い人で、対立する派閥の者を弾圧。徽宗は遼との外交問題を理由に左遷しましたが蔡京は戻ってきました。朝廷には蔡京の配下が多かったのと蔡京自身が徽宗とは相性がよかったので結局徽宗が一番頼れる人物は蔡京だったのです。

でも、徽宗は蔡京も頼らなくなり独裁を強めます。徽宗は直筆の命令書を発行。様々な役所に送って直接命令を実行させました。しかも他の役所が皇帝の命令に意見することは認めず、命令の実行が遅れると厳罰を与えました。

蔡京は徽宗の命令書の内容を把握しようとしましたが、すべての命令書を見ることは出来ず。徽宗に振り回されてしまいます。結局、宰相や重臣たちの影響力は弱くなり、徽宗の独裁政治になりました。

趣味で財政と労働力を浪費

徽宗は独裁を強める一方で道教や芸術にのめり込みました。

大きな宮殿を建て。「教主道君皇帝」と自称。絵画、書道を好んでたくさんの作品を残しています。徽宗の絵画や書画は出来が素晴らしいとされ。芸術家の間では人気があります。宋時代最高の芸術家という人もいます。

ところが徽宗は自分の芸術活動のため国費を浪費しました。徽宗は庭園を作るのが好きで、宋の各地から珍しい樹木や大きな岩を運ばせて自分の庭園に飾りました。その庭園を見て書画を書くのが楽しみだったのです。庭園といっても日本の庭園のようなささやかなものではありません。人工の山や池がある巨大な空間です。広大な敷地に珍しい樹木や岩が散りばめられています。そのために各地から運ばれた樹木や岩は「花石綱」といいます。

大きな岩や樹木を陸路や運河で都の開封まで運びました。花石綱の調達や運送には現地人が駆り出され、その負担は大きくなっていました。輸送に邪魔な民家や橋は壊され。運河の利用も花石綱優先なので物流が滞りました。樹木や岩は傷つかないように丁寧に梱包されましたが、その梱包作業も大掛かりなものになりその負担も民衆にかかっていました。

また徽宗は花石綱を探すために童貫、蔡京、朱勔たちを派遣しました。徽宗は国家の税収を自分の趣味に利用。庭園づくりや花石綱の輸送の費用にしました。

花石綱の調達は主に江南地方で行われました。こうして民衆の負担が大きくなり。江南地方で大規模な反乱が起こります。方臘の乱も花石綱の負担が原因のひとつです。この方臘の乱の鎮圧が脚色されて水滸伝のエピソードになりました。

ドラマ「贅婿」の方天雷のモデルが方臘です。

金に皇帝が拉致されて宋は滅亡

皇帝の浪費と役人の横暴で宋が疲弊していたころ。北の大地では女真族が力をつけ、完顔阿骨打(ワンヤン・アクダ)が「金」を建国。

そこで宋の朝廷は金と共に遼に攻め込めば燕雲十六州を奪えると考え。金と同盟しました。金と宋は同時に遼に攻め込む予定でした。ところが宋の南部で方臘たちの反乱が発生。方臘の乱を鎮圧に手間取って遼への出兵に出遅れました。

それでも反乱を鎮圧後に宋軍を派遣、遼の都・燕京を攻撃しました。でも遼に撃退され。金に応援を要請。金はすぐに燕京を占領しました。

結局、ほぼ金の力だけで遼の大半を占領。それでも金は約束通り占領地の一部を宋に渡しました。ところが宋は燕雲十六州の残りの土地も欲しかったので。今度は遼と同盟。金に攻め込もうとします。でも計画が金にばれてしまい怒った金に攻め込まれました。

慌てた徽宗は長男の趙桓(欽宗)に譲位。太上皇帝になった徽宗は側近をひきつれて首都・開封を脱出。鎮江にとどまりました。ところが金軍が退却した後も徽宗は開封に戻ろうとせず、しびれを切らした息子の欽宗の命令で開封に連れ戻されて軟禁されました。

その後。金が攻めてきて開封は陥落。徽宗と欽宗は金に連行されて宋(北宋)は滅亡します。徽宗と欽宗は金で死亡しました。

開封にいなかった徽宗の九男 趙構は南京に避難。南京で皇帝(高宗)に即位しました。国名はひきつづき「宋」ですが、高宗から後は南宋とよびます。

徽宗は民主を苦しめ国家を滅亡させた無能な皇帝でした。でも芸術を発展させたということで現代人からは最高の芸術家と呼ばれることもあります。政治家には向いていない芸術家タイプの人はいますが。同じ時代に生きた人々にとってはいい迷惑です。

武朝皇帝 周喆の運命は?

「贅婿」第一期では武朝皇帝 周喆は頼りない部分はあるものの一応、皇帝としての役目は果たしています。独裁者の雰囲気ではありません。賊がはびこるのは国にも責任があるのですけど。ドラマでは悪いのは重臣の賀元常みたいな描かれ方です。

ドラマの周喆には秦嗣源という頼りになる重臣がいます。

現実の徽宗 趙佶には賀元常のモデルになった蔡京はいましたが。秦嗣源のような重臣がいません。秦嗣源のモデルになった寇準は趙佶の時代にはすでに亡くなっています。結局、蔡京たちが信用できないから独裁者になったのかもしれません。さまざまな理由が重なって北宋は滅んでしまったんですね。

「贅婿」第一期終盤では靖国が動き出します。靖国は武朝征服を企んでいるようです。現実の金国に攻め落とされた北宋のように、武朝は靖国に征服されてしまうのでしょうか?

そのとき周喆は徽宗は武都から逃げてしまうのでしょうか?靖国の捕虜になってしまうのでしょうか?

贅婿第二期では武朝と靖国の攻防が主なテーマになるはずです。主人公の寧毅、蘇檀児(この二人は登場が決定)の運命も気になりますが。武朝と周喆の運命も気になりますね。

贅婿第二期はまだ制作が始まったばかり。はやく見てみたいものです。

 

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