淑儀朴氏 は李氏朝鮮 第23代国王 純祖の側室。
宮女出身で純祖のお手つきになって側室になりました。
一人娘の永温翁主がいますが。
しかし病弱だったので翁主は12歳で亡くなっています。
史実の淑儀朴氏どんな人物だったのか紹介します。
淑儀朴氏 の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:1854年
名前:朴(パク)氏
称号:淑儀(スグィ)
本貫:密陽 朴氏
父:不明
母:不明
夫:純祖
子供:
永温翁主(1817~1829年)
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の純祖の時代です。
日本では江戸時代の人になります。
淑儀朴氏の生涯
生年。出身地。両親は不明。
朴氏は宮女として働いていました。
宮殿に来た理由はわかりません。
宮人朴氏は 純祖のお手つきになりました。
宮人朴氏は 永温翁主を出産。
純祖17年(1817年)10月11日。従二品淑儀になりました。
ところが永温翁主はうまれつき体が弱く、言葉もあまり上手く話すことができませんでした。気の毒に思った孝明世子は永温翁主をかわいがっていました。
純祖27年(1827年)6月10日。娘に「永温翁主」の称号が与えられました。
純祖29年(1829年)4月8日。永温翁主は13歳の若さで亡くなってしまいます。
その後の詳しい様子は記録がありません。
淑儀朴氏は仏教徒だったので娘を供養しながら生きていたのかも知れません。
哲宗5年(1854年)6月30日。淑儀朴氏が死亡。
孝昌園に埋葬されました。
孝昌園は正祖と宜嬪成氏の息子・文孝世子のために作られた墓です。以後は王族の墓として使われていました。
日本統治時代の1945年に王族の墓・西三陵に改装。西三陵はもともと仁祖の息子・昭顕世子の墓として作られ、以後は王族の墓としても使われていました。現在も娘とともに西三陵で眠っています。
テレビドラマ
雲が描いた月明かり 2016年 KBS 演:チョン・ミソン 役名:淑儀パク氏
永温翁主の母。しばらく王とは会っていません。王に手紙を何度も出していましたが、王妃に阻止されていつも白紙の手紙が返っていました。
ホン・サムノムの機転で手紙を王に呼んでもらうことができたものの、帰ってきたのは白紙の手紙。僅かな望みに期待していた淑儀パク氏は落胆してしまいます。しかし王の手紙はあぶり出しだったことがわかり。淑儀パク氏と王は久しぶりに会うことができました。
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