王の顔

3 李氏朝鮮の王子

定遠君(ジョンオングン)は息子・仁祖のおかげで王の名を与えられた

定遠君(ジョンオングン)は仁祖の父。 死後に「元宗」の諡を与えられました。 朝鮮史上初の庶子で死後に王の名を与えられた人物です。 史実の定遠君はどんな人物だったのか紹介します。 定遠君(ジョンオングン)の史実 いつの時代の人? 生年月日:1...
3 李氏朝鮮の王子

永昌大君(ヨンチャンテグン)は光海君を支える大北派に蒸殺された?

永昌大君(ヨンチャンテグン)の生涯。宣祖の嫡子として生まれて次の王と期待され。光海君たちと対立。流罪となり最期は蒸殺処刑されたといわれます。朝鮮王朝史における永昌大君の波乱の生涯を詳しく解説します。
5 李氏朝鮮の重臣

鄭澈(チョン・チョル)光海君を世子に推薦して宣祖の怒りをかった

鄭澈(チョン・チョル)は宣祖の時代、西人派の指導者的立場にいました。 チョン・チョルは実直でしたが融通がきかない性格のため、たびたび周囲と問題を起こしました。光海君を世子に推薦して宣祖の怒りをかって流刑になるなど。失脚と復帰を繰り返しました...
2 李氏朝鮮の妃・側室

光海君とともに島流しになった廃妃柳氏(文城郡夫人)

廃妃柳氏(文城郡夫人)は光海君の妻です。 王妃になりましたが、仁祖の起こしたクーデターで王妃の座を終われ島流しになりました。 史実の廃妃柳氏(文城郡夫人)はどんな人物だったのか紹介します。 廃妃柳氏(ユ氏)の史実 いつの時代の人? 生年月日...
1 李氏朝鮮の国王

朝鮮 宣祖と壬辰・丁酉戦争(文禄・慶長の役)。国王としてはたした役割とは

朝鮮の宣祖(ソンジョ)は李氏朝鮮第14代国王です。 宣祖時代におきた大きな事件は日本と朝鮮の戦争です。 韓国では壬辰戦争(倭乱)・丁酉戦争(再乱)。 日本では朝鮮出兵、文禄・慶長の役と呼ばれます。 この記事では韓国ドラマで描かれる壬辰戦争・...
1 李氏朝鮮の国王

朝鮮 宣祖(ソンジョ)の生涯と家系図。側室の孫・河城君(ハソングン)から王へ。

宣祖(ソンジョ)は李氏朝鮮第14代国王です。 王子時代の呼び名は河城君(ハソングン)。 父親の徳興君(トクフングン)は中宗の9男。側室の子でした。宣祖は本来なら王になるはずのない立場です。跡継ぎのいない明宗の養子となり王になりました。 李氏...
6 李氏朝鮮の人々

金尚宮(キム・カヒ、キム・ゲシ)光海君のためなら邪魔者を排除

光海君を扱ったドラマでは必ずといっていいほど登場する金尚宮。キム・ゲシやキム・カヒという名前で呼ばれることが多いです。 光海君と親しい関係になったとか、王妃を凌ぐ権力を持っていたとか様々な噂が残っています。 ドラマでは光海君を慕う女性として...
2 李氏朝鮮の妃・側室

仁穆王后(インモク王妃)息子と父を光海君と大北派に殺され復讐を願いつつ生きた

仁穆王后(インモク王妃)は李氏朝鮮 第14代国王・宣祖の2番めの妃。 宣祖との間に息子が生まれました。 しかしそれが不幸の始まりでした。息子と父は光海君と大北派によって廃され、殺害されてしまいました。自身も大妃の身分を奪われ幽閉されてしまい...
2 李氏朝鮮の妃・側室

仁嬪金氏(インビン・キム氏)宣祖の寵愛を集め光海君親子と対立した

仁嬪金氏(インビン・キム氏)は李氏朝鮮14代国王・宣祖の側室です。 ドラマでは貴人金氏(クィイン・キム氏)と呼ぶこともあります。 キム氏の息子を王の後継者にしようと活発に活動していた時期が貴人のころだったからです。 宣祖の寵愛を最も受けた側...
1 李氏朝鮮の国王

光海君(クァンヘグン)の最後とクーデターで王位を失った王の知られざる実績

光海君の王としての評価は様々ですが、その実績は多岐にわたります。日本との戦争後に荒廃した国を復興させ、対外関係でも独自の外交政策を展開。でも国内の権力闘争に巻き込まれ悲劇的な最期を迎えました。光海君の最後と知られざる実績を紹介します。
1 李氏朝鮮の国王

光海君(クァンヘグン)は暴君だったの?その生涯と家系図

光海君の生涯を詳しく解説。父、母、兄弟との関係、壬辰戦争での活躍、王位継承争い、そして即位直後までをわかりやすくまとめました。光海君の評価は様々ですが、その生涯を知って、あなた自身の考えを深めてみてください。
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