廃妃柳氏(文城郡夫人)は光海君の妻です。
王妃になりましたが、仁祖の起こしたクーデターで王妃の座を終われ島流しになりました。
史実の廃妃柳氏(文城郡夫人)はどんな人物だったのか紹介します。
廃妃柳氏(ユ氏)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1576年7月21日
没年月日:1623年10月8日
名前:李(イ・)
称号:文城郡夫人
父:柳自新
母:東萊鄭氏
夫:光海君
子供:廃世子、廃大君
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に12代仁宗~13代明宗の時代です。
日本では江戸時代の人になります。
おいたち
1576年(宣祖9年)判尹 ・柳自新の娘として産まれました。
1587年(宣祖20年)。11歳のとき。光海君の妻に選ばれ。文城郡夫人の称号が与えられました。
日本との戦争になったときは、平安道に避難していました。
光海君が王世子になると王世子嬪になりました。
1600年。宣祖の王妃・懿仁王后(ウィインワンフ)がなくなりました。すると、1602年には新しい王妃・仁穆王后(インモクワンフ)が王宮にやってきました。
仁穆王后は柳氏よりも8歳も年下でした。でも義母として扱わなければいけません。しかも柳氏と仁穆王后は相性が悪く仲が悪くなりました。
王妃柳氏になる
1608年。光海君が即位。王妃になりました。
柳氏は王妃になったのをいいことにしだいに横暴になっていったといいます。
柳氏の弟や甥も重臣としてとりたてられました。王妃になると兄弟や親族が権力の座につくのはよくあることです。柳氏の場合もそうでした。
没落
1623年。綾陽君(ヌンヤングン)が反乱を起こし王として即位すると、光海君とともに廃されました。呼び方は文城郡夫人に戻りました。江華島に流されました。
このとき、柳氏は生きて恥をさらすより潔く死のうと光海君に言いました。しかし光海君は生き延びる方を選びました。
その年の6月。息子の廃世子夫婦が島から脱走しようとして捕らえられ自決しました。
それを知った柳氏は、息子の後をおって首吊り自殺をしました。
一部のサイトでは柳氏のことを「恵章王后」と紹介している場合もありますが。公式には認められていません。
テレビドラマ
宮廷女官キム尚宮 KBS 1995年 演:チャン・ソヒ
雷鳴 KBS 2001年 演:ユ
王の女 SBS 2003年 演:サガン
許浚・伝説の心医 MBC 2013年 演:イシア
王の顔 KBS 2014年 2015年 演:キム・ヒジョン
華政 MBC 2015年 演:キム・ヒョソ
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