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張緑水(チャン・ノクス)欲望のままに生きた朝鮮三大悪女

朝鮮の側室 2 李氏朝鮮の妃・側室

 

張緑水(チャン・ノクス)は10代国王・燕山君の側室。

朝鮮三大悪女のひとりです。

奴婢の身分から王の側室になり。王室の財産を私物化したりやりたい放題でした。

そのせいで民衆や役人たちから恨まれてしまいます。

史実の張緑水(チャン・ノクス)どんな人物だったのか紹介します。

 

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張緑水(チャン・ノクス)の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:1506年9月2日

名前:張緑水(チャン・ノクス)
称号:淑容張氏
父:張漢弼(チャン・ハンピル)
母:
夫:齊安大君の家奴
燕山君

子供
息子:不明(父:齊安大君の家奴)
娘:寧壽(父:燕山君)

彼女が生きたのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に10代燕山君の時代です。

日本では戦国時代になります。

おいたち

父は忠清道の文義縣令(県知事のような役人)・張漢弼(チャン・ハンピル)。母は賤民出身の妾でした。母の身分が低かったので生活は非常にまずしかったといいます。

成宗の従兄弟・斎安大君の奴婢になりました。同じく斎安大君に仕えていた家奴と結婚して息子が産まれました。斎安大君の家は裕福だったので、奴婢といっても生活は困ることはなくなりました。

しかし欲がでてしまたのでしょうか。奴婢で一生を終わりたくないと思ったのでしょうか。彼女は夫と子供を捨てて家出しました。歌と踊りを学んで妓生になりました。

張緑水(チャン・ノクス)は美人というわけではありませんでした。容姿は並でしたが、童顔で実際の年齢よりも若く見えました。30歳を過ぎても17~8歳の娘のように若く見えたといわれます。特に歌の才能があったといいます。唇を動かすことなく歌うことが出来ました。声も美しかったといいます。

燕山君の側室になってやりたい放題

燕山君は張緑水(チャン・ノクス)の噂を聞きつけると、宮廷に呼び寄せ淑媛(従四品)にしました。晋城大君が燕山君に紹介したともいいます。

王が奴婢を呼び寄せるのが異例ならいきなり側室の淑媛(従四品)の位を与えるのも異例でした。

燕山君は張緑水に金銀や屋敷や田畑や奴婢を与えました。

彼女の頼みで主人だった齊安大君の家奴に官職を与えました。

1502年。娘の霊寿翁主を生みました。

張緑水は燕山君を赤子のようにあつかったといいます。しかし燕山君は張緑水を溺愛していたので彼女のいうことは何でも聞きました。燕山君は怒っていても張緑水を見ると喜んで笑うほどでした。

1503年。燕山君は張緑水を淑容(従三品)にしました。

燕山君の寵愛を利用して賤民だった兄の金孝孫(キム・ヒョソン)に咸鏡道の傳香別監の官職を与えました。

彼女は宮殿の中に住んでいるにもかかわらず別宅を作るために民家を破壊しました。(ただし側室が宮殿の外に別宅を持つこと自体は不当なことではありません。粛宗時代の側室も別宅を与えられてます)

宮殿の倉庫の宝物を私物化したり、国の金で自分のための装飾品を作らせたりました。

同知中枢府事の李秉正は張緑水の家の使用人に侮辱を受けましたが私財をはたいて賄賂を送ったため難を免れたという話もあります。

1505年12月には、張緑水のスカートを踏んだという理由で下級妓生の玉池花(オク・チファ)を打ち首にしました。しかもその首を晒し者にしました。

1506年1月。実の姉の張福壽(チャン・ボクス)と甥たちを良人の身分にひきあげました。

張緑水はやりたい放題でした。燕山君自身が浪費家だったこともあり、この時代宮廷の予算は逼迫。朝廷は財政不足になってしまいます。すると燕山君は税を上げて高官からも金を出させます。

従三品の側室に過ぎない張緑水がなぜここまで権力を持つことができたのでしょうか?

それは燕山君の寵愛を一身に受けていたからです。寵愛を受けた側室は他の時代にもいましたが、燕山君自身が重臣たちの意見を聞かない独裁的な王でした。逆らうものは処分するため誰も止めることが出来ません。

しかし唯一燕山君に言いたいことを言えるのが張緑水でした。張緑水は遠慮することなく感情むき出しで言いたいことを燕山君に言いました。外面で独裁的な男は、内面では強い女性に弱いところがあります。もともと母親の愛情に飢えていた燕山君にとって張緑水は刺激的で魅力的な女性に思えたのでしょう。

張緑水は民衆はおろか役人にまで恨まれました。

9月2日。中宗反正によって運命が変わります。燕山君のひどい政治に不満を持つ人々が晋城大君(後の中宗)を担いでクーデターを起こしたのです。

燕山君が廃位になると、張緑水は反乱軍によって捕まり斬首になりました。遺体は町中に打ち捨てられました。斬首になった遺体に対し人々から罵声が浴びせられ石を投げつけられました。石があまりにも多かったので塚のように石が盛り上がったといいます。

張緑水は生まれ育ちが貧しかっただけに、貪欲さにかけては人一倍強い女性だったのでしょう。彼女を満たしてくれるのはお金や宝物だけだったのかもしれません。

 

テレビドラマの張緑水

 

王妃チャン・ノクス  KBS 1995年 演: パク・チヨン
王と妃 KBS 1998 演:
王と私 SBS 演:オ・スミン
インス大妃 JTBC 2011 演:チョン・ソミン
逆賊:民の英雄 MBC 2017年 演:イ・ハニ
 7 日の王妃 KBS 2017年 演:ソン・ウンソ

 

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コメント

  1. BIG-BIRD より:

    有難うございました。理解しました。やはり知らないことは聞いてみないとわからないものですね。

  2. BIG-BIRD より:

    度々の質問お許しください。
    ①韓国歴史ドラマを見ていて不思議に思うのは、塀がやたらに低いというかあれでは防御施 設としての役目を果たしていないと思います。韓国の塀は日本の塀と役割が決定的に異な るのかご教授下さい。
    ②ドラマの中で手紙を受け取り読むシーンがあるのですが、宛名や差出人などは書かれてい ない封書に手紙が入っていることが多いです。手紙の形式などは日本とは異なるのでしょ うかご教授下さい。

    • フミヤ Fumiya より:

      朝鮮の家屋の塀が低い件についてですが。
      韓国の資料では一般的には「換気を確保するため」「眺望を楽しむため」だと説明されています。
      キムチなどの発酵食品を作る場所は風通しをよくしていることが多いです。風の流れを遮る高い壁は必要ない。ということでしょう。
      両班階級は風流を好むため家屋作りでも眺望を重視します。視線を遮る高い壁は風流ではないのです。「両班の考える風流」が「日本人の考える風流」と同じかどうかはいまのところよくわかりません。
      そのかわり人に見られては困る女性の居住空間は家の奥に作ります。防犯のためというより「住む人を他人と隔てるための境界線」といった意味が強いようです。
      防犯については両班は私兵を雇って対処しています。門の横には警備兵(私兵や使用人)が住み込みで常駐しており常に番をすることになってます。つまり人間が防犯用の壁の代わりです。また高価なものをしまうための蔵もあります。賊が入れば当然警備担当者が処罰されます。
      庶民の家は壁を作る技術も財力もないから簡素なものにせざるを得ないようです。

      手紙については。大事な書簡を第三者に託すことがあまりない。基本的に「他人は信用しない」ので宛先は必要ありません。信用できる人に「誰に渡してくれ」と告げればそれで十分。受け取った側も「誰からです」と聞けばそれで十分なのでしょう。

  3. BIG-BIRD より:

    おいたちの1行目
    父は忠清道の役・張漢弼がわかりません。役職名が欠落しているのではありませんか。
    燕山君の側室になってやりたい放題の9行目
    燕山君は起こっていてもは、怒っていてもではありませんか。
    最後の行
    彼女を満たしてくれるのはお金や宝物のお金に引っかかりがあります。その時代にお金というか通貨の量が多くなかったのではないかと思うのですが。

    • フミヤ Fumiya より:

      張漢弼の役職が抜けていましたね。追記しておきました。
      お金や宝物という表現について。貨幣は朝廷とその周囲では流通していましたが、全国的に見れば貨幣の流通は少ないです。現代人にわかりやすくするため金と書きました。「蓄財」と考えてください。

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