カヒアは実在した?太宗の寵愛をうけた朝鮮最高の妓生・可喜児

韓国時代劇「イニョプの道」に登場するカヒア。芸事に長けた朝鮮最高の妓生です。しかしその正体はムミョンのもとで働く密偵でした。

太宗の庶子・ムミョンのもとで太宗暗殺のを支持されたりします。しかし逆に太宗に気に入られ誘いをうけます。一度は断りますが最終的には太宗に寝返ります。

このカヒアは漢字では「可喜児」と書きます。

なんと実在の太宗には「可喜児」という妓生出身の後宮(側室)がいました。可喜児というのは妓生時代の名前。歴史上は「恵善翁主洪氏」とよばれます。

現実の可喜児も人気の妓生でしたが、高麗残党の密偵だったという記録はありません。ドラマのエピソードは架空の話なんです。

ドラマのカヒアのモデルになった恵善翁主洪氏について紹介します。

可喜児(カヒア)・恵善翁主洪氏の史実

生年月日:不明
没年月日:不明

名前:姓は洪氏、名は不明。
称号:恵善翁主、加伊翁主ともいいます。
妓生時代の名前:可喜児(カフィア)
父:不明
母:不明

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の3太宗の側室です。

日本では室町時代の人になります。

おいたち

歩闡出身で苗字は洪氏。本名はわかっていません。

妓生としての名前は「可喜児」と書きます。カナカナ表記ではカヒアと書かれる事が多いですが発音は「カフィア」の方が近いようです。

カヒアは歌や踊りに長けた妓生でした。

あまりにも有名になったので多くの男達から求婚されたようです。歌や踊りが上手かったといいますし美人だったのかもしれません。相当モテたのでしょうね。

加熱する可喜児人気・両班たちが奪い合いで兵隊まで出動!

カヒアの人気ぶりを表す記録が李氏朝鮮の正式な記録・朝鮮王朝実録に載っています。

太宗の後宮になる前の話です。

1407年。当時のカヒアは黃象(ファン・サン)という両班と内縁関係にありました。黃象の家で寝泊まりしていたようです。ところが金宇(キム・オ)という両班がカヒアを我が物にするため、黃象の家に30人の兵を送りました。

金宇は役人だったので兵を動かす権限があったようです。しかし個人的な目的のために兵を動かすとは公私混同ですね。

しかし金宇が兵を送り込んだとき。黃象の家にカヒアはいませんでした。兵が到着する前に逃げたようです。金宇の兵は残された衣服を回収しただけでした。

黃象は、家に帰ってカヒアがいないことを知り、後を追いかけました。翌日、金宇は使用人20人あまりを連れて逃げたカヒアを追いかけました。

金宇と黃象は途中で出くわして戦いました。黃象は戦いに敗れて討たれてしまったようです。

このようにカヒアをめぐって争いが起きるくらい人気だったようです。

王の側室になる

街で評判のカヒアの噂は、太宗の耳にも入ったでしょう。
朝鮮王朝実録に書かれているということは、朝廷の役人の耳にも入っているということです。それほど人気の妓生ならぜひ会ってみたいと女好きの太宗が思っても不思議ではありません。何しろ太宗には最終的には20人近い後宮がいたのですから。

いきさつはよくわかりませんが、1414年カヒアは太宗の側室になりました。恵善翁主の称号を与えられました。加伊翁主と書かれることもありますが同一人物だと考えられます。

側室なのに翁主?

側室なのに翁主とは不思議ですね。翁主とは側室から生まれた王女の意味ですから。

太宗の時代は朝鮮王朝の仕組みがしっかりと出来上がる前の時代。嬪よりも身分の低い側室として宮主や翁主とよばれる後宮がいました。

後の時代には後宮に翁主という言葉は使われませんが、太宗の時代までは後宮に翁主という称号を使っていたんですね。

おそらく妓生出身だというので高い品階を与えるのに反対する重臣がいたのかもしれません。

恵善翁主は太宗の寵愛をうけたといいます。

太宗には他にも翁主の称号をもつ側室が何人もいました。いずれも妓生出身です。

入宮後のくわしい記録はありません。子供もなかったといいます。

宮廷に入ったあとのカヒアが幸せだったのかはわかりませんが。妓生から王の側室になった人がいたことは確かです。

テレビドラマ

イニョプの道 2014 演:イ・チェヨン


PAGE TOP