王瑛(ワン・ヨン)は高麗の王族。
第26代国王・忠宣王の正室・靜妃王氏の父親です。
曽祖父は高麗王の第20代・神宗につながる由緒ある家系です。
韓国ドラマ「王は愛する」では主人公ワン・ウォンの友人ワン・リンの父として登場します。
史実の王瑛(ワン・ヨン)はどんな人物だったのか紹介します。
王瑛(ワン・ヨン)の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:1291年
名前:王瑛(ワン・ヨン)
称号:西原侯
本貫:開城王氏
父:王絪(始安公絪)
母:不明
妻:卞韓國順安妃皇甫氏
子供
靜妃王氏
王玢(ワン・ブン)34代国王・恭讓王の曽祖父
王琠(ワン・ジョン)
高麗王朝、初代国王・太祖(王健)~4代光宗の時代に生きました。
日本では平安時代の人になります。
おいたち
王瑛(ワン・ヨン)は高麗の王族。
第20代国王・神宗のひ孫です。
祖父は襄陽公王恕(ワン・ソ)
父は始安公に追尊された王絪。
王瑛(ワン・ヨン)は王絪の次男です。高麗王朝では様々な官職を経験しました。
西原侯の称号を得ます。
娘のが世子嬪になったのをみとどけたあと。
1291年に死亡しました。
1390年。子孫の恭讓王によって卞韓國公の称号が贈られました。
貢女になりそうだった娘が王妃に
1287年(忠烈王13年)。娘の王氏が貢女に選ばれました。
貢女とは高麗が元や明・清に貢物として女性を差し出す制度です。
原則として中華王朝から冊封をうけて臣下になった朝鮮半島の国は奴婢や貢女を差し出すことになっていました。高句麗・新羅が北魏に送ったのが最初とされます。ドラマでは描かれていませんが、李氏朝鮮の時代になっても続いていました。清朝の初期、少なくとも朝鮮では17代孝宗の時代あたりまでは続いていました。
元の時代は王侯貴族の女性も対象にされました。そこで王族の王瑛(ワン・ヨン)の娘が選ばれたのです。
しかし、世子・王謜(ワン・ウォン、後の忠宣王)の斡旋で世子と結婚することになりました。そのため貢女にならずにすみました。
貢女になるのは未婚の女性と決まっていたので結婚すれば貢女にならずにすんだのです。
1289年。娘の王氏は世子嬪になりました。
世子・王謜は後に高麗王になります。忠宣王です。
王氏は忠宣王の第三王妃になりました。高麗王は一夫多妻制だったので、複数の王妃を持つことができました。側室ではなく正式な妻です。
歴史上は靜妃王氏と呼ばれる女性です。
韓国ドラマ「王は愛する」ではワン・リンの妹ワン・ダンになります。
息子の子孫が高麗王
息子の益陽侯王玢は恭譲王の曾祖父になりました。
もうひとりの息子・瑞興君王琠は元宗が忠烈王の代わりに跡継ぎにしようと考えたほどでしたが失敗。最期は処刑されました。
ドラマ「王は愛する」での描かれ方
韓国ドラマ「王は愛する」でも王瑛の一家は登場します。でもドラマ向けにアレンジされています。
ワン・ヨン(王英)
ワン・リン、ワン・ジョン、ワン・ダンの父親。
司空(しくう)という地位にある王族。ワン・ヨンに野心はありません。反逆者としてみられることを恐れています。
長男
ドラマではすでに死亡。
ワン・ジョン(王琠)
ワン・リンの兄。ワン・ヨンの次男。ドラマではすでに長男がいないので事実上の長兄として登場。自尊心が高い人物。モンゴルの血をひくワン・ウォンよりも純粋な高麗人の自分の方が王にふさわしいと考え、高麗王になる野心があります。
歴史上の瑞興侯・王琠に相当する人物。
ワン・リン(王璘)
ワン・ヨンの三男。容姿端麗で知性が高く、周囲からも王にふさわしいと支持されています。ワン・リン自身は世子ワン・ウォンが王にふさわしいと考えていましたが。ウン・サン(ソファ)に出会い恋心を抱いたことでワン・ウォンに対してライバル心が芽生えます。周囲の者たちもワン・リンを利用してワン・ウォンの失脚を狙おうとします。
ドラマオリジナル。架空の人物ですが、立場的には益陽侯・王玢に近いです。
ワン・ダン(王丹)
ワン・リン、ワン・ジョンの妹。ワン・ヨンの娘。
幼い頃からワン・ウォンにあこがれていました。ドラマでも貢女にされそうになります。
歴史上の靜妃王氏です。
テレビドラマ
王は愛する 2017、MBC 演:キム・ホジン
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