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ピョンガン王女は実在?した高句麗 平岡公主がモデル

ピョンガン王女 1 高句麗

平岡公主(へいこうこうしゅ)は高句麗の王女。

ドラマ「王女ピョンガン」のヒロイン。ピョンガン王女のモデルになりました。

平岡公主は25代高句麗王の平原王の娘。親が決めた相手とは結婚せず、貧乏な温達と結婚しました。

その昔話は朝鮮半島最古の歴史書「三国史記」に載っています。ピョンガン王女実在したかどうかはあいまいですが。公主のお話が伝わるのは事実。

昔話として伝わる平岡公主はどういう人物なのか紹介します。

 

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ピョンガン王女(平岡公主) の史実

ピョンガン王女の史実?

プロフィール

姓 :高 氏
名称:不明

国:高句麗
地位:公主(王女)
称号:平岡公主(へいこうこうしゅ、ピョンガンコンジュ)

生年月日:不明
没年月日:不明

ピョンガン王女は高句麗の25代国王 平原王の娘です。

日本では飛鳥時代になります。

ピョンガン王女の両親

父:平原王
母:不明
高句麗王家は初代・東明聖王 鄒牟(チュモ)または朱蒙(チュモン)から続くとされる一族。
父の平原王は第25代目の高句麗王です。
母は不明。
 

ピョンガン王女の兄弟

平岡公主(ピョンガン王女)の兄弟は少なくとも3人いたことわかっています。でも平岡公主との上下関係は分かりません。
  • 長男:26代国王 嬰陽王 高元
  • 次男:27代国王 栄留王 高建武
  • 三男:太陽
       太陽の子・27代国王 宝蔵王
 

ピョンガン王女の夫

夫:温達
子供:なし
平岡公主(ピョンガン王女)の夫は温達(オンダル)将軍。子供はいたという記録はありません。
しかし温達の子孫と称する人たちがいるので、温達には子供はいた可能性もあります。
 

ピョンガン王女(平岡公主) の生涯

ピョンガン王女の生涯

平岡公主(ピョンガン王女)は「三国史記・温達伝」に名前が出てくる程度。詳しいことはほとんどわかっていません。

そこで「三国史記・温達伝」の内容から紹介します。

高句麗の平原王の娘として生まれる

平岡公主(へいこうこうしゅ)は平原王の娘。称号の「平岡公主」は父・平原王の別名「平崗上好王」にちなんでつけられたものです。

ピョンガン王女の名前と生まれた年は?

平岡公主の本名はわかりません。「平岡」を現代の韓国語で発音すると「ピョンガン」。高句麗時代は今の韓国語とは発音が違うので高句麗時代の平岡公主は「ピョンガンコンジュ」とは発音してないはずです。

日本語の音読み(とくに呉音)は漢やそれ以前の発音を元にしています。意外と「へいこうこうしゅ」の方が当時の発音に近いかもしれませんね。

平岡公主の生年は不明。
父・平原王が太子になったのが557年。在位期間が西暦559~590年。死亡したのは590年。

これらのことから考えると平岡公主が実在したなら6世紀の人物でしょう。

幼いころは泣き虫

平岡公主(ピョンガン王女)は幼いころはよく泣いていました。

そこで平原王は

「お前はいつも泣いて私を煩わせる。大きくなっても立派な家の妻にはなれないだろう。愚かな温達の妻になってしまうぞ。」

と冗談を言っていました。

温達(オンダル)
後に将軍になる人物。若いころは山で老母とともに貧しい生活をしていたといいます。そのため街の人々から「馬鹿の温達」と言ってからかわれていました。

 

平岡公主が16歳の時。平原王が高家に嫁がせようとしました。高家は王と同じ姓。王族だったのでしょう。

でも平岡公主は

「大王は『お前は温達の妻になる』と言っていました。なぜ今になってそれを変えるのですか?貧しい人でも約束を破ることを嫌うのに、ましてや王が冗談を言うはずがありません。『王者に戯言なし』という言葉もあります。ですから私はこの命令をお受けできません」

と言って断りました。

平原王は怒って

「お前が私に従わないのなら、もはや私の娘ではない。同じ家に住む理由もないから、お前が行きたいところへ行けばよい」

と宮殿から追い出してしまいます。平岡公主は何十個もの高価な腕輪を身につけて一人で宮廷を飛び出しました。

娘を追い出すにしてもなんだかメチャクチャな理由です。この辺が昔話らしいところです。

 

王宮を出て温達と結婚

高句麗の山のイメージ

山のイメージ

 

平岡公主は山にある温達の家にたどり着くと盲目の老母に温達の居場所を尋ねました。

老母は

「私たちの家は貧しく息子は醜いので、とても高貴な方とはいられません」
「それに私の息子は、空腹のため楡(ニレ)の皮を取りに行ったままなかなか返ってこないのです」

と言いました。

平岡公主が家を出て丘を下るとちょうどニレの木の皮を背負ってきた温達と出会いました。

温達も

「ここは若い女性がいる場所ではない。狐や死霊の仕業に違いない。私に近づかないでほしい」

と強く拒否して振り返りもせずに去っていきました。

「史記」を引用して説得

翌日。平岡公主は翌朝早くから母子を説得しました。

温達の母は

「私の息子は醜いし、私たちの家は貧しいです。あなたの居場所にはふさわしくありません」

と言いますが。

でも平岡公主は次のように説得。

「昔の人は言いました。たった一斗の粟でも臼でついて食べることができます。たった一尺の布でも縫うことができます」

 

これは漢の時代に書かれた「史記」にある言葉の引用です。
史記ではこのあと「それなのに兄弟は不仲であった」と続くのですが。平岡公主は違いました

 

平岡公主は続けます。

「心が一つになっているのなら、どうして貴賤や富を心配する必要があるのでしょうか?」

つまり2人の心が一つなら身分や財産を気にする必要がない。というのです。

さすがに平岡公主にここまで言われては温達母子も折れて平岡公主は温達と結婚しました。

夫の温達を出世させる

平岡公主は持ってきた高価な腕輪を売って家・田畑・牛や馬、必要な物を買いました。

そして平岡公主は温達に言います。

「馬は商人から買うのではなく、国が見放した病気で痩せた馬をもらってきてください」

温達はそのとおりにしました。平岡公主は熱心に馬を世話したので馬は太って強くなりました

馬は太って強くなった馬

馬のイメージ

 

温達はその馬に乗って北周との戦で大きな功績を立てて出世。王も温達の活躍に娘婿と認めました。

温達が新羅との戦で戦死

時が変わって陽岡王(平岡公主の兄弟)の時代。

温達は阿丹城で新羅と戦って戦死。温達は棺に入れられました。棺を移そうとしても動きません。

そこに平岡公主がやってきて

「すでに死は決まっているのです。帰りましょう」

と言って棺を撫でなると棺が動き埋葬することができました。

それ聞いた王は深く悲しみました。

以上。

その後、平岡公主がどうなったのかはわかりません。

「三国史記・温達伝」に載っているお話なので平岡公主の話は中途半端になってます。

この話は「馬鹿の温達と平岡公主」とか「温達説話」と呼ばれます。

 

ピョンガン王女とオンダルは実在したの?

ピョンガン王女実在する?

 

「馬鹿の温達と平岡公主」の物語は民間伝承にもあるようですが。内容は「三国史記」の「温達伝」とあまり変わりません。

「温達伝」は歴史書に載っているというものの。内容は空想話のようです。すべてが実話とは思えません。

高麗時代に三国史記を書いた編集者が民間伝承をまとめて載せたのでしょう。

でも、伝承のもとになった出来事はあったかもしれません。

有力一族でない青年が王女と結婚した。

王女と結婚した婿は戦いで活躍して有名になった。

ところが婿は新羅との戦いで戦死してしまった。

それを悲しんだ人々が物語をドラマチックにして語り継いだのかもしれません。

実際にはそれほど低い身分でもなかった人でも。語り継がれていく間に話に尾ひれがついて、極端に貧乏な人だったことにされることはあります。

人々の願望がそうさせたのでしょう。

ピョンガン王女(平岡公主)のテレビドラマ

天下無敵イ・ピョンガン

2009年、韓国KBS 演:ナム・サンミ 役名:ピョンガン王女(イ・ピョンガンの前世)

ドラマのほとんどは現代が舞台。ヒロインのイ・ピョンガンの前世がピョンガン王女という設定。ピョンガン王女は夫のオンダルを叱咤激励?して戦場にかりたてる怖い妻として描かれます。

 

王女ピョンガン・月が浮かぶ川

2021年、韓国KBS 演:金所泫 役名:ピョンガン王女

ドラマのピョンガン王女は逸話にある平岡公主とはかなり違います。

伝承の平岡公主は子供のころは泣き虫でしたが、高い教養を持ち知略で夫をコントールして出世させました。

ドラマのピョンガン王女は王になるのに憧れる活発な王女。子供のころ刺客に襲われて行方不明、記憶を失って暗殺者集団に育てられました。王室に戻った後はオンダルと共に高句麗を守る勇ましい戦士として描かれます。知恵で人生を切り開いていく伝承の平岡公主とは違い、武力で活躍するヒロインになっています。

 

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