温達(オンダル)は高句麗の王女・平岡公主の夫。
ドラマ「王女ピョンガン・月が浮かぶ川」のオン・ダル(タル)のモデルになりました。
温達と平岡公主との逸話が朝鮮半島最古の歴史書「三国史記」の「温達伝」に載っています。
温達は山で暮らす貧しい青年でしたが、王女とであったことで人生が開け。高句麗軍の将軍に出世します。でも新羅との戦争で戦死してしまいました。
韓国では「馬鹿なオンダルとピョンガン王女の物語」と呼ばれています。
史実の温達はどんな人物だったのか紹介します。
温達(オンダル) の史実
プロフィール
姓 :不明
名称:温達
国:高句麗
地位:大兄
生年月日:不明
没年月日:590年
日本では飛鳥時代になります。
家族
妻の平岡公主は高句麗の25代国王平原王の娘です。
おいたち
生年や両親の名前は不明。
およそ6世紀の人物のようです。
温達は若いころは年老いた目の見えない母とともに山で暮らしていました。
家は貧しく、街を歩き回り物乞いをしていました。
そのため街の人々は「馬鹿の温達」と言ってからかっていました。
平岡公主が16歳の時。平原王が王族の高家に嫁がせようとしました。
あるとき。温達と母が住む小屋に平岡公主がやってきて「結婚してほしい」と言います。
平岡公主は高句麗の25代国王平原王の娘。平岡公主は幼い頃から泣き虫でした。平原王ひごろから、平岡公主が泣くと「温達の妻にするぞ」と言ってからかっていました。ところが平岡公主は本気にして、自分が「温達の妻になる」と信じこんでいました。
平原王は平岡公主は王族に嫁がせようとしましたが、温達の妻になると信じている平岡公主は拒否しました。平原王は怒って平岡公主を追い出してしまったのです。
でもさすがに身分が違いすぎます。
平岡公主は温達の家を訪れましたがそのときは温達は不在でした。
食べ物になる楡(ニレ)の皮を取りにでかけていたのです。温達がニレの木の皮を背負って家に帰る途中。丘のふもとで平岡公主と出会いました。平岡公主は「結婚してほしいと言いますが」
温達は「ここは若い女性がいる場所ではない。狐や死霊の仕業に違いない。私に近づかないでほしい」と強く拒否して振り返りもせずに去っていきました。
それでも平岡公主は翌日の翌朝早くから母子を説得しました。
母は「私の息子は醜いし、私たちの家は貧しいです。あなたの居場所にはふさわしくありません」とあらためて言いました。
でも平岡公主は
「昔の人は言いました。
たった一斗の粟でも臼でついて食べることができる。
たった一尺の布でも縫うことができる」といいました。
平岡公主の説得に温達母子も負けて、平岡公主は温達と結婚しました。
平岡公主は高価な腕輪をいくつも持っていました。その腕輪を売って、家・田畑・牛や馬、必要な物を買いました。
そして平岡公主は温達に言いました「馬は商人から買うのではなく、国が見放した病気で痩せた馬をもらってきてください」
温達はそのとおりにしました。
そして平岡公主は熱心に馬を世話したので馬は太って強くなりました。
高句麗では毎年3月3日に君臣や部族の兵士たちが、楽浪の丘で狩った獲物を、天の神と山や川の神に祭事する国家的な大祭典がありました。
温達は平岡公主が育てた馬に乗って参加し、優れた狩猟の腕前を発揮して、平原王から褒められました。臣下として取り立てられた温達は高句麗郡の軍人になります。
その後、北周の武帝軍が遼東に侵入したとき。高句麗軍の先鋒として北周軍を撃退する大功を立てました。平原王からはじめて「婿」だと認められ、「大兄」という官位が与えられました。
将軍になった温達は次第に高句麗支配勢力内で頭角を現すようになった。
590年。平原王が死去。平原王の息子、平岡公主の兄・英陽王が即位しました。
この年、新羅との戦争がおこりました。
最後の戦い
時が変わって陽岡王(平岡公主の兄)の時代。
温達は新羅に奪われた漢江流域を奪還するため、自分に兵を与えて出陣させてくれるように進言しました。
陽岡王は温達の出陣を許可しました。
温達は出陣の前「私は新羅から阿旦城を奪回するまでは帰らない」と誓いをたてて出陣しました。
ところが阿丹城の戦闘は激戦になり、温達は矢を浴びて戦死しました。
温達の亡骸は棺に入れられました。ところが兵たちが温達の棺を移そうとしても動きませんでした。
平岡公主がやってきて棺を撫でながら「すでにあなたの死は決まっているのです。帰りましょう」と言ってやっと棺を移して埋葬することができました。
その話を聞いた陽岡王は深く悲しみました。
温達(オンダル)と平岡(ピョンガン)公主の話は史実なの?
はたしてこの話が事実かどうかはわかりません。
貧しい青年が高貴な女性と出会って出世する。でも最期は悲劇。という浦島太郎型の昔話は東アジア各地にあります。中国では貧しい青年が天女と出会って運がひらける。という昔話がありますし。朝鮮半島にも炭焼の青年が天女と出会うという昔話があります。
そのような逆玉の輿型の昔話の登場人物を温達将軍や平岡公主に置き換えた話なのかもしれません。
温達将軍が存在して平岡公主と結婚したのは事実かもしれません。
でもそれは王室の地位を安泰にするための政略結婚の可能性が高い。温達は王族ではないし有力部族ではなかったかもしれません。でも王は対立している部族とは別の部族に娘を嫁がせ自分の味方を増やそうとした。でも王室の婿になった将軍は新羅との戦争で戦死してしまった。
その出来事が人々の間に残り昔話と混ざってできた逸話なのでしょう。
「三国史記」は高句麗が滅びて数百年後。12世紀の高麗時代に書かれました。「三国史記」の編集者は民間に伝わっていた物語を集めて載せたのかもしれません。
温達(オンダル)のテレビドラマ
天下無敵イ・ピョンガン
2009年、韓国KBS
演:チ・ヒョヌ 役名:オンダル将軍(ウ・オンダルの前世)
ピョンガン王女・月が浮かぶ川
2021年、韓国KBS 演:ナ・イヌ 役名:オン・ダル(タル)
さすがに山で暮らす物乞いのところにいきなり王女が嫁入りするのは非現実的。ということで設定が大幅に変わっています。
オン・ダルはオン・ヒョプ将軍の息子。父のオン・ヒョプは陰謀に巻き込まれ謀反人にされてしまいます。そこで一家は没落しました。そしてオン・ダルは父の残した「目立たないように生きろ」という遺言を守って目立たないように山でひっそりと暮らすようになりました。
勇猛果敢な武将というわけではなく、普段は平和主義で愛するものを守るためにだけ戦うという人物です。
ドラマでもラストは新羅との戦いです。逸話と違ってピョンガン王女も一緒に戦います。そしてピョンガンを守りながら戦い全身に矢を受けてしまいます。倒れるオン・ダル。
史実通りだとここでオンダルは戦死なのですが。
確かにオンダルは戦死扱いに。
でもオンダルの遺体は運ばれて・・・あとはドラマを見てのお楽しみ。
ドラマでは姓が「オン」名前が「タル」という設定。姓名を続けて詠むと「オン・ダル」になります。
「三国史記」では常に「温達」と続けて書かれています。「温達」でひとつの名前だった可能性が高いです。
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