韓国ドラマ「宮廷女官・チャングムの誓い」にはヨンセンという女性が登場します。
ヒロイン・チャングムの親友です。
女官から側室になり。
最後はチャングムを救うために王に助言する重要な立場のキャラクターです。
ヨンセンのモデルは淑媛李氏だと言われています。
ところが史実の淑媛李氏は娘を出産した後に亡くなっています。
史実通りならチャングムを救うために中宗に助言できません。
ドラマだから。といえばそれまでですけれど。
もしドラマのヨンセンに似た立場の側室が他にもいたとしたら?
史実の淑媛李氏ともうひとりのヨンセンを紹介します。
ドラマ「チャングムの誓い」のヨンセン
韓国ドラマ「チャングムの誓い」ではイ・ヨンセン(李連生)という名前で登場します。
ヨンセンは主人公のチャングムの水剌間(スラッカン)時代の友人。チャングムとは同期の入宮で仲良し。気が弱いところがありますが、常に一緒にいてなにか事件に巻き込まれたりしていました。
チャングムとハン尚宮が謀反の罪で済州島に流されることになり。ハン尚宮は途中で死亡。チャングムは済州島に流されました。
悲しんでいるところを中宗に見初められ承恩尚宮(スンウンサングン、正五品)になります。
その後は、あまり中宗にかまってもらえない時期もありましたが。女の子を産んで淑媛(スグォン、従四品)になり、その後は昭媛(ソウォン、正四品)になります。
ドラマ終盤ではチャングムとチョンホの身分回復を中宗に訴える場面もあります。
ドラマでは中宗はチャングムをチョンホに送り届けた後、中宗が病死します。
淑媛李氏 の史実
プロフィール
生年月日:不明
没年月日:1520年
姓:李氏
名:
地位:淑媛
父:李白先(イ·ベクソン)
母:不明
夫:中宗
妹:尚宮 銀代(ウンデ)
子供
貞順翁主(1517~1581)
與孝靜翁主(1520~1544)
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に11代中宗の時代です。
日本では室町時代になります。
おいたち
淑媛李氏については重臣の娘ということ。
娘が二人いるということ以外はほとんど記録がありません。
淑媛李氏は李白先(イ·ベクソン)の娘。
母は不明です。
いつ入宮したのかもわかりません。
淑媛李氏は1517年(中宗12年)に貞順翁主を出産。
1520年(中宗39)に與孝靜翁主を出産しました。
ところが出産後に死亡してしまいます。
淑媛李氏の妹は尚宮だった
淑媛李氏には妹の尚宮 銀代(ウンデ)がいたようです。
というのも貞順翁主の記録に「叔母の尚宮 銀代」と「その母」が登場するからです。
父方の叔母なら、中宗の妹になるので尚宮にはならないはず。
母方の叔母なら淑媛李氏の妹になります。
たぶん。淑媛李氏と妹は二人とも宮女になった。姉は中宗の寵愛をうけ側室に。妹の銀代は実力で尚宮になったのか、姉のおかげで尚宮になったのかはわかりませんが。とにかく妹は尚宮になりました。
尚宮 銀代は姉・淑媛李氏の産んだ貞順翁主の面倒をみていたようです。尚宮 銀代の母も記録に登場していますが。淑媛李氏の生母なのかはわかりません。
貞順翁主はドラマ「サイムダン・色の日記」にも登場しています。
淑媛李氏の娘・貞順翁主についてはこちらも御覧ください↓
テレビドラマ
宮廷女官チャングムの誓い 1996 演:パク・ウネ 役名:ヨンセン
もうひとりのヨンセンのモデル?昌嬪安氏
ドラマ「チャングムの誓い」では中宗の死後もヨンセンは生きています。
淑媛李氏とほぼ同じ頃に側室になって中宗のあとも生きていた側室がいます。
それが昌嬪安氏です。
娘を出産後のヨンセンの経歴は淑媛李氏よりは昌嬪安氏の経歴に近いです。
昌嬪安氏
姓:安氏
明:不明
地位:宮女→承恩尚宮→淑媛→昌嬪(死後)
父:安坦大
母:不明
昌嬪安氏は中宗2年(1507年)。9歳で入宮。
中宗の生母・慈順大妃(貞顕王后)に仕えた後。
中宗13年(1518年)に中宗の寵愛を受け。
中宗15年(1520年)承恩尚宮になりました。
中宗16年(1521年)永陽君・李岠を出産。
中宗21年(1526年)靜愼翁主を出産。
中宗24年(1529年)淑媛(従四品)になりました。
中宗30年(1535年)徳興君・李岹を出産。
中宗39年(1544年)中宗死去。
文定大妃から宮中にいることを許されしばらく後宮にとどまりました。安氏は3年間の喪に服しました。
明宗2年(1547年)宮殿を出て実家に戻りました。
明宗4年(1549年)病死。
明宗には跡継ぎがなかったので。安氏の産んだ徳興君の息子・河城君が明宗の養子になりました。
徳興君・李岹の息子・河城君が宣祖になりました。
宣祖十年(1577年) すでに他界している安氏に「昌嬪」の称号が与えられました。
安氏は王子を生み、将来的には王の曾祖母になりました。子供も多いです。淑媛李氏とは立場が違います。
でも。
中宗の死の直前まで生きていて王に意見できる立場にあった側室は淑媛李氏ではなく淑媛安氏でした。
ヨンセンは淑媛李氏と淑媛安氏を足したようなキャラクターだったのかもしれません。
コメント