申師任堂(シン・サイムダン)は李氏朝鮮時代の儒学者、画家、作家、詩人でした。
「チャングム」で主人公を演じたイ・ヨンエの復帰作ということで注目を集めましたね。日本ではサイムダンは知らなくてもチャングムを知ってる人は多いと思います。「師任堂・色の日記」の影響で日本にも知られるようになりました。
サイムダンは韓国では有名な人です。5万ウォン紙幣の肖像画にもなっているほどです。
史実の申師任堂はどんな人物だったのか紹介します。
シン・サイムダン(申師任堂)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1504年12年5日
没年月日:1551年6月20日
名前:申仁善?(シン・インソン)
堂号:申師任(サイムダン)
父:申命和
母:龍仁李氏
夫:李元秀(イ・ウォンス)
子供:李珥(イ・イ)朝鮮で有名な儒学者
彼女は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の11代・中宗の時代です。
日本では室町時代の人になります。
サイムダンの名前
申師任(サイムダン)というのは、本名ではありません。堂名です。堂名とはペンネームのようなものです。
堂名の由来は古代中国の伝説から。
古代中国の周王朝の時代。太任という王の母がいました。太任は胎教に熱心な人でした。賢い母の見本のような存在です。その文王の母となった太任を見習うという意味で「師任」と雅号を決めました。
申師任申氏ともいいます。
本名は申仁善(シン・インソン)だといわれます。
この記事の中では一般的に知られているサイムダンで表現します。
おいたち
父・申命和は朝廷の役人でした。中宗の時代、己卯士禍で役職を追われ、郷里の江原道で暮らしていまいた。
申命和には息子はなく、5人の娘がいまいた。サイムダンは次女でした。
サイムダンは控えめな性格でした。幼いころから記憶力がよく、姉妹の中でも一番頭がよかったといわれます。漢詩の本を読み。裁縫や絵の才能もありました。
祖父はサイムダンに絵の才能があるのを気が付き、サイムダンに絵を学ばせるとともに、有名な画家・安堅の風景画を買ってあたえました。7歳のサイムダンに絵を学ばせました。
周囲の理解と教育に恵まれたサイムダンは絵画を学ぶだけでなく、儒教の経典や古典も学び、儒教的知識と歴史的な知識の豊富な女性になりました。サイムダンの才能には父や夫を訪ねてきた知人たちもおどろくほどだったといいます。
サイムダンの母・李氏は、親や夫に尽くした模範的な女性として朝廷から表彰をうけたこともありました。サイムダンはそういった環境で生まれ育ったのです。
結婚初期
父・申命和はサイムダンの結婚相手を選ぶときに、財力や地位ではなく娘の才能を活かせる人物にしようと考えました。申命和が選んだのは儒学者の息子、李元秀(イ・ウォンス)でした。
当時の朝鮮社会では女性はどんなに才能があっても結婚すると諦めて家族のために尽くすことが求められました。元秀と彼の母はサイムダンの才能に理解をもち、サイムダンが絵を続けることを認めました。
「師任堂」と名のるようになったのは結婚後のことです。
李元秀は当時の男性にはめずらしく、男だからといっていばるようなことはありませんでした。サイムダンの意見もよく聞きました。
そのような環境もあってサイムダンは絵の才能を伸ばすことが出来ました。
文人や画家として活動する一方で、子供の教育にも熱心でした。息子の李珥(イ・イ)は朝鮮最高の儒学者といわれています。彼は5千ウォンの肖像画にもなっています。親子で紙幣の肖像画になっているんですね。
夫を脅迫
しかし、結婚生活はいいことばかりではありませせん。
あるとき、夫の李元秀は科挙の試験を受けるため山に篭って勉強することにしました。10年戻ってこないと言っておきながら、サイムダンに会いたくなって途中で戻ってきました。これに怒ったサイムダンは、ハサミで髪を切って尼になると脅迫。元秀は勉強しましたが、3年であきらめてしまいました。結局、夫は蔭位(科挙ではなく推薦で役人になること、下級役人にしかなれない)で役職にありつきました。
夫の浮気
夫の李元秀はいばらない性格でしたが。自由奔放なところがあり、サイムダンを悩ませることがありました。
夫の浮気もサイムダンを悩ませました。李元秀は居酒屋の女性クォン氏と浮気して別宅を与えてしまいました。当時の両班社会では妾をもつのは珍しいことではありません。しかしサイムダンの祖父や父には妾はいなかったので、ショックでした。
夫婦関係は冷えてしまい、サイムダンは金剛山に篭ってしまいます。母親が子供を置いて家を出てしまいました。儒教社会ではあってはならないことです。
最後
やがてサイムダンは病になってしまいます。サイムダンは自分の死が近いと知ると、夫に自分の死後は再婚しないようにいいました。
当時の儒教的な社会では妻が夫に再婚しないようにいうのはありえないことでした。元秀は反論しようとしましたが、頭のいいサイムダンは理屈でやり込めてしまいます。
サイムダンの死後、妾のクォン氏が正妻になることは予想できました。クォン氏は酒好きできつい性格だったので、子どもたちが虐待されるのではないかと心配したのです。
1551年。サイムダンは48歳でなくなりました。
結局。サイムダンの死後、李元秀はクォン氏を正妻にします。サイムダンの予想したとおり、子どもたちはクォン氏に虐待されるようになりました。あまりにも酷さに家出したともいいます。
韓国の紙幣になったサイムダン
現在の韓国では5万ウォン紙幣にサイムダンの肖像画が使われています。5万ウォン紙幣は、2009年に新しく作られた紙幣でした。韓国の紙幣の中では最高額になります。経済が発展したので、それまでの紙幣では不便を感じた韓国政府が額面の大きな紙幣を作ることにしたのです。
世宗など韓国人に尊敬されている人はすでに紙幣の肖像画として使われていました。誰が選ばれるのか注目されたようです。
そこで選ばれたのがサイムダンでした。良妻賢母の象徴として選ばれました。
ところが女性運動家達がサイムダンを選ぶことに反対しました。「サイムダンは男性社会のなかでの理想的な女性像だ」とフェミニストが反対運動を起こしたのです。
韓国国内には反対する人もいたようです。でも韓国政府の決定は変わりませんでした。
サイムダンは韓国国内では最高額の紙幣の肖像画になりました。でも金額の大小と功績の大きさは関係ありません。たまたま最後発の紙幣が最高額だったというだけです。
現在でも若い韓国人の間では、なぜサイムダンが最高額の紙幣の肖像画になっているのか理解できない人がいるようです。
サイムダンのイメージはこうして作られた
良妻賢母のイメージで語られることの多いサイムダン。
でも、彼女の生き方をみると決して儒教的に模範的な女性だったわけではないことがわかります。
儒教では父親や夫に従うのがよい女性です。
もちろん、頼りない夫のお陰で苦労もしました。子供は立派に育ちました。すぐれた母親だったのでしょう。
それでも子どもたちが成人する前に亡くなったので、子供と過ごした期間は長くはありません。理由はともかく、子供を置き去りにして家を出たこともあります。儒教の価値観では良い母親とはいえない部分もあります。
結婚したあとも実家で暮らして芸術活動を続けたり。夫の再婚に反対したり。理屈で夫をやりこめたり。儒教的な価値観では模範的な女性とはいえません。
サイムダンは生前からすでに文化人としては高い評価を受けていた人物でした。
模範的な母親としてイメージは彼女の死後に作られたものです。
その理由は朝鮮最高の儒学者だった李珥(イ・イ)の母親だったからです。偉人の母親が神聖な存在になるのはよくあることです。特に儒教社会では親は常に偉大な存在です。
朝鮮後期(粛宗時代)の重臣・宋時烈たちは儒教的な価値観を大切にする人たちでした。儒学者たちは李珥を尊敬していたので、その母親のサイムダンを神聖化しました。
その後、日本統治時代に良妻賢母としてのイメージがさらに広まりました。江戸時代から昭和の前半にかけては日本も儒教の影響が強い国でした。そこで朝鮮の儒学者たちの間で神格化されていたサイムダンを世間に広めたのでした。戦前の日本でもてはやされた良妻賢母のイメージがサイムダンにピッタリだったのです。
その後、大韓民国の朴正煕政権でも歴史上の偉人として高い評価を受けました。朴正煕政権も、李朝時代から続く「儒教的価値観の女性像」「良妻賢母」のイメージをそのまま受け継ぎ、歴史に名を残す偉人として広めました。
ちなみに朴正煕大統領は朴槿恵(パク・クネ)元大統領の父です。
つまり、サイムダンは後世の人々によって実像とは違う形で神聖化されてしまったようです。
実際のサイムダンはどちらかというと自分の才能を磨き、夫にも言うべきことは言う、自立した女性としての一面が強い人だといえます。むしろ現代でこそ評価が高まる女性だといえますね。
テレビドラマ
サイムダン、色の日記 SBS、2017年、演:イ・ヨンエ、パク・ヒェス
コメント
見つけました。
インモク王妃も49歳で亡くなっているんですね。
高校の授業で、歴史上の人物は49歳で亡くなっている人が多いと言われたのが記憶に残っています。聖徳太子・織田信長・西郷隆盛・大久保利通などを挙げられました。その後、歴史上の人物が登場する番組を見ると、何歳で亡くなったか気にして見ています。
韓国歴史ドラマだと、正祖やスクビンチェ氏も49歳で亡くなっているようです。もしかして彼女もそうかなと思って、生没年を見ました。48歳で1年違いでした。
夫を脅迫の3行目
10年戻ってこないと言っておきながらだと思います。
今よりも平均寿命が短い時代なので、50前後で亡くなっている人が多いのでしょうね。
なるほど。
アングルが変わると人物像がガラッと変わる好例ですね。
いまテレ東で見てますさん、こんにちは。そうですね。歴史上の人物は見方によってかなり変わってきますね。