馬子隆(ば しりゅう)は中国ドラマ「上陽賦」に登場する人物。
大成国の皇太子。
馬子隆父は皇帝 馬曜
母は王皇后。
あまり頭の良くない人物として描かれますが。後に皇帝になります。
上陽賦は架空の王朝を舞台にしたドラマです。でもモデルになった国や人がいます。
馬子隆のモデルになった人物は実在するのでしょうか?いるとしたら史実ではそのような人物だったのでしょうか?
ドラマに登場する馬子隆とそのモデルになった人物を紹介します。
ドラマ「上陽賦」の大成 皇太子 馬子隆
馬子隆(ば・しりゅう)
演:郭家銘(グオ・ジアミン )
声:島津耕介
大成国の皇太子。
母は王皇后。
考えが浅はかであまり頭はよくありません。他の人に操られたり唆(そそのか)されたりします。
琅邪(ろうや)王氏の王儇(おう・けん)と結婚したいと思っています。そのために罠をしかけて自分のものにしようとしますが、なぜか罠にハメられたのは謝宛如でした(別の人物の策略)。結果的に謝宛如が皇太子妃になりました。
皇帝が毒を盛られて重体になると皇帝代理をつとめます。でも権力をもっているのは王藺でした。その後、皇帝は一度は回復しますが死亡。
馬子隆が大成皇帝に即位します。その皇帝 馬子隆もドラマ終盤で死亡。馬子澹が次の皇帝になります。
安帝 司馬徳宗(しば・とくそう)
東晋の第10代皇帝。
父は 東晋の孝武帝・司馬曜。
司馬曜は「上陽賦」 皇帝 馬曜のモデル。
母は 陳淑媛。
妻は 王神愛
皇后の子ではありませんが、孝武帝・司馬曜(しば・よう)の長男だったので皇太子になりました。
司馬徳宗が言葉を発するのを聞いた人はいません。夏と冬の気候の違いもわからなかったといわれます。何らかの重度の障害があったようです。
孝武帝には皇后や有力な妃にも息子はなく。側室の陳淑媛との間に2人の子がいるだけでした。
396年。父・孝武帝が張貴妃に殺害され、皇太子だった司馬徳宗が皇帝になりました。安帝の誕生です。
形だけの皇帝
孝武帝の治世の後半は孝武帝の弟・會稽王 司馬道子が摂政を行い朝廷の権力を握っていました。孝武帝ですら政治に興味はなく司馬道子たちに任せている有り様。安帝 司馬徳宗は即位しても自分一人では何も出来ません。司馬道子やその息子の司馬元顕が政治を行っていました。
安帝の時代は皇帝は存在するだけで全く力がなく。王族や重臣たちが好き勝手に政治を行いました。国内では反乱が続き、国境では戦闘も続いています。
権力をもっていた司馬道子父子でしたが。評判が悪く各地で反乱がおきました。
北府軍団の王恭や、広州刺史の桓玄が反乱を起こしました。王恭は討たれました。でも桓玄は力をつけて司馬道子父子を殺害。安帝から皇帝の座を奪い桓玄が皇帝になりました。司馬徳宗は王に降格されて生かされてていました。
劉裕に国を奪われる
将軍の劉裕が桓玄を倒して司馬徳宗は皇帝に戻りました。ところが桓振が桓玄の残党をまとめて挙兵。桓振に攻め込まれて拉致されました。
劉裕が桓振を討って司馬徳宗はまた助けられました。でも今度は劉裕が権力を握りました。
やがて劉裕によって司馬徳宗は弟の司馬徳文に譲位させられ、司馬徳宗は殺害されます。
その恭帝 司馬徳文も 劉裕に皇帝の座を奪われました。
劉裕は皇帝(宋武帝)に即位して宋(劉宋)を建国。
司馬徳文も殺害されます。
22年間の在位中、皇帝の権力は王族や重臣たちが横暴な政治を行ったせいで内乱も頻発しました。東普の滅亡の原因を作ります。
司馬徳宗のせいというより、政治能力のない司馬徳宗を皇太子や皇帝にした周囲の人々のせいです。自分が権力を得たい司馬道子たちの思惑だったのでしょう。
ドラマ「上陽賦」で劉裕の立場にいるのは蕭綦。でも「上陽賦」の蕭綦はひたすら民と国のために戦い謀反は起さないので無能な皇帝がいても国が潰れたりはしません。
ちなみに「上陽賦」の原作小説「帝王業」では蕭綦は皇帝になります。ラストがビドラマとは違ってます。
ドラマでは皇帝馬曜の死後、馬子隆が皇帝になります。ドラマの馬子隆は自分で命令を出せますが、利口ではないので他の人達に唆されたり、問題を起こしたりします。
妻は琅邪王氏の安僖皇后 王神愛
安帝 司馬徳宗の妻は琅邪王氏出身の安僖皇后 王神愛(おう・しんあい)。
司馬徳宗と王神愛の間には子供はいません。側室がいたという記録はありませんので安帝には子はいません。
ドラマの馬子隆と違い、史実では安帝の妻は琅邪王氏の出身です。王神愛の父・王献之(おう・けんし)は中書令(秘書長)。丞相にはなってません。中書令は皇帝の命令を取り次ぐ役目をもっているので権限は強かったようです。
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