中国ドラマ・漫画「長歌行」の李楽嫣(り・らくえん)は唐の公主(皇帝の娘)。
ヒロイン・李長歌のいとこ。李楽嫣ももう一人のヒロインといっていいほど様々な困難に遭遇して成長していきます。
李楽嫣のモデルになったのは唐の第2代皇帝 太宗 李世民の娘・城陽公主(じょうようこうしゅ)です。
将軍・杜如晦の息子・杜荷と結婚しました。
ドラマ「長歌行」の李楽嫣とモデルになった城陽公主はどのような人物なのか紹介します。
「長歌行」の李楽嫣(り・らくえん)
李楽嫣(り・らくえん)は唐の皇族。
太宗 李世民の娘です。
ドラマの最初では父・李世民は秦王だったので。李楽嫣は縣主でした。その後、永安郡主の称号が与えられ。
父の李世民が皇帝になると「永安公主」の称号が与えられます。
ヒロイン・李長歌の従妹。幼い頃から一緒に育ち姉妹のように仲のいい関係でした。お嬢様育ちなので李長歌に頼ることが多かったようです。
重臣の息子・魏叔玉とも親しくしていました。幼いころ、李楽嫣は川に落ちて魏叔玉に助けられました。それ以来、李楽嫣は魏叔玉を好きになりました。
唐と阿詩勒部の和平のため、和親公主として嫁がされそうになりますが。病気と偽って洛陽で療養することになりました。その途中、人身売買業者に誘拐され苦労しますが。皓都に救われます。
様々な困難に遭遇して李楽嫣は成長。唐の公主としての自覚をもち、民のことを思うようになりました。
最終的に皓都と結婚します。
城陽公主(じょうようこうしゅ)
唐の太宗 李世民には20人近い娘がいますが「永安公主」の称号をもつ娘はいません。
ドラマ「長歌行」の中では永安公主 李楽嫣は杜如晦の義子・皓都と結婚します。
(義子=義兄弟の親子版。擬似的な親子ですが、親子というより主従に近い関係。養子と違って相続権がないのが普通)
杜如晦(と・じょかい)は実在した人物。唐の建国に貢献、李世民に仕えました。杜如晦の息子・杜荷(と・か)は李世民の娘・城陽公主と結婚しました。
モデルは城陽公主?
なので。永安公主のモデルは城陽公主といえますね。
父は太宗・李世民
母は長孫皇后
同母兄弟姉妹に 李承乾(皇太子)、李泰(魏王)、李治(高宗)、 長楽公主、普陽公主、新城公主がいます。
城陽公主は両親からたいへん可愛がられていました。
歳の差婚だった
ところが。城陽公主が生まれた年は不明ですが630年前後といわれています。李世民が皇帝になったばかりか、その前後です。
「長歌行」の1話では玄武門の変が起きて皇太子・李建成が殺害され李世民が権力を握りました。そのころの城陽公主はまだ赤ん坊なんですね。
ドラマの永安公主はすでに結婚適齢期です。かなり違いますね。
太宗 李世民の即位後。城陽公主は杜如晦の息子・杜荷と結婚しました。杜荷は616年生まれなので10歳以上歳が離れていました。
杜如晦の息子や義子で他に李世民の娘と結婚した人はいないので。やっぱり城陽公主が永安公主のモデルですね。
皇太子・李承乾との関係
史実では城陽公主は兄弟とも仲が良く、皇太子・李承乾とも親しかったようです。
ドラマ「長歌行」にも皇太子・李承乾は登場します。あまりデキのいい皇子ではありません。李承乾の代わりに永安公主が働くことになったりします。
あまり仲がいいとはいえませんね。
ドラマで描かれない永安公主の未来?
「長歌行」のクライマックスは唐と阿詩勒部の最終決戦。
史実では630年に起きた唐と東突厥との戦いがモデルです。
このあと李楽嫣は皓都と結婚します。
その後は描かれません。
もしその後も話が続いたとしたらどうなるのでしょうか?
史実では645年に皇太子・李承乾は皇太子の座を狙う魏王・李泰と対立。危機感を持った李承乾は挙兵に失敗して廃位されてしまいます。そのとき杜荷も李承乾と一緒に挙兵しましたが、杜荷たち李承乾の仲間は捕らわれて処刑されました。杜荷と結婚していた城陽公主は離縁させられます。
この通りになるとしたら李楽嫣と皓都の未来は明るいとはいえませんね。
その後も城陽公主の人生は続きます。
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