柳花夫人は高句麗の建国者・朱蒙の母。
韓国ドラマ「朱蒙(チュモン)」に主人公チュモンの生母として出てくるのがユファ。
ユファのモデルになったのが柳花夫人です。
韓国では柳花と書いてユファと呼びます。
柳花は河伯(川の神)の娘とされている神話上の人物です。
伝説に残る柳花夫人とはいったいどんな人物だったのか紹介します。
柳花夫人とは
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:不明
名前:柳花(りゅうか、ユファ)
国:東夫余
父:河伯(河の神)
母:不明
夫:解慕漱
金蛙王(夫余王)
子供:朱蒙(高句麗王)
三國史記の柳花
高句麗建国神話には様々なバージョンがあります。出典元によって内容はバラバラです。
有名なのは「三國史記・高句麗本紀」に書かれているもの。ここでは「三國史記」に書かれている柳花の話を紹介します。
東扶餘の金蛙(クムワ)王が太白山の南にある優渤水で狩りをしていると女性に出会いました。
彼女は河伯(河の神)の娘で名前は柳花(ユファ)。
兄弟と遊んでいたとき一人の男性が現れ、自分は天帝の子・解慕漱(ヘモス)だと言って熊心山の下にある部屋に誘いました。そこで柳花と関係を持ちました。その後、彼はどこかに行って帰ってきませんでした。
どうやら解慕漱の気まぐれだったようです。
親の元に戻った柳花でしたが、彼女の両親は仲人がいないのに他の男性に付いていったと責め、娘を優渤水に追放したのです。
親もひどいです。怒る相手が違うと思います。
金蛙王は彼女を気にいって連れて帰ると幽閉しました。
金蛙王は独占欲の強い人物なのでしょう。
しかし日の光が彼女を照らし、彼女は避けましたが光は追ってきます。光を浴びた彼女は妊娠、一つの卵を産みました。大きさは五升(約1000ml)ほどもありました。
日の光は解慕漱の力の一部。どうやらいなくなったのに気がついて追いかけてきたようです。
金蛙王は卵を豚や犬に与えても食べません。路上に置いても牛馬は避けます。野原に捨てると鳥が羽で覆いました。王は割ろうとしましたが割れません。そこで卵を柳花に返しました。柳花が暖かい場所に置くと殻を破って男児が生まれました。その子は弓矢の名人を意味する「朱蒙(チュモン)」と名付けられました。
金蛙王には他にも7人の子供がいましたが朱蒙が最も優れていました。長男の帯素(テソ)は王に「朱蒙は人ではありません。早く排除すべきです」と進言しました。王はこれを受け入れず、代わりに朱蒙に馬を飼育させました。
このあと朱蒙の話が続きますが柳花は登場しないので省略。
やがて王子と宮廷の役人たちは朱蒙を排除しようとします。柳花はその陰謀を知って朱蒙に逃げるように言いました。
朱蒙は友人たちと共に逃げ、やがて高句麗を建国しました。
その後も柳花は金蛙王の宮殿で暮らし、亡くなりました。金蛙王は王妃の格式で葬儀を行いました。
一般に知られている高句麗建国神話は朝鮮半島の歴史書「三国史記」に書かれているもの。
でも「三国史記」は1145年に高麗で作られました。
「三国史記」の高句麗建国神話は「魏書」や「隋書」の高句麗建国神話をアレンジしたものと考えられます。高句麗は北魏や隋に朝貢していたので高句麗の情報が北魏や隋に伝わっていました。
魏書の高句麗建国神話も夫余の建国神話をほぼそのままコピーして登場人物の名前を変えたもの。おそらく高句麗は夫余を征服した後、夫余の神話を取り入れたのでしょう。
その高麗も唐に滅ぼされました。高句麗の資料はそのままの形では残っていません。高句麗が滅んだのは668年ですから三国史記が書かれた時代とは500年近くも経っています。高麗が建国したとされる年(紀元前37年?)からは1200年近く経っています。
そのためよく知られている高句麗建国神話は高句麗時代の神話とは違う部分もあると思われます。
神話の意味
河の神の娘
高句麗神話で一番古い記録は414年に高句麗の長寿王が建てた好太王碑に書かれているもの。
好太王碑では高句麗の建国者は 鄒牟王(朱蒙)。
高句麗で知られていた名前は朱蒙ではなく鄒牟。朱蒙はおそらく中国側が当てはめた漢字です。
鄒牟王の母は「河伯女」と書かれています。「河の神の娘」という意味です。
鄒牟王(朱蒙)の父は天帝です。
河伯の娘は好太王碑に既に登場しています。高句麗の建国神話の大部分は夫余の建国神話のコピーですが。母が河伯の娘なのは高句麗神話のオリジナルです。
夫余神話では建国者の両親は北方の国の王と侍女でした。高句麗では侍女を建国者の母にするわけにはいかなかったのでしょう。
それでも建国から400年以上経っているので伝説の存在になっていたかもしれませんが。高句麗の人々は建国者の鄒牟王(朱蒙)の祭祀を行っていました。鄒牟王の母・河伯女も祭祀の対象になったようです。
高麗時代に書かれた三国史記では河伯女に柳花という名前が付き。
天帝が天帝の子を名乗る解慕漱に置き換わりました。
神の子の意味
王朝の始祖が神の子だ。というのは世界の様々な国や民族の神話にもあります。とくに北アジアの民族では天(テングリ)を崇拝。民族や国の始祖は天の子だとされます。
柳花は河伯(河の神)の娘です。
高句麗のあった地域には遼河、鴨緑江、豆満江の3つの水系が流れ、河と人々の関わりは深かったようです。河の神や水の神への信仰が厚かったのでしょう。
三国史記では太白山の南にある優渤水という所で柳花が解慕漱に会ったと書かれていますが、優渤水がどこなのかは分かっていません。
もちろん、現実に神の子や神の娘が存在するわけありませんから。鄒牟王(朱蒙)の本当の両親は不明です。
日光で妊娠
好太王碑では鄒牟王(朱蒙)の父は「天帝」としか書かれていませんが。魏書から三国史記までの文献では河伯の娘は日の光で妊娠したことになっています。
北アジアの民族では「民族や王朝の始祖が日の光に当たって生まれた女性から誕生した」という話が多いです。
例えばモンゴル神話ではアラン・ゴアという女性が天幕から差し込む光で妊娠。生まれたのがボルジギン家(チンギス・ハンの家系)の始祖。そのためボルジギン家の祖先は天の子だといわれます。
「日の光」とは天帝(テングリ)の光を意味していて。もっとわかりやすく言えば光は神の不思議な力の描写です。
女性が何か特別な物に触れて子供を生む神話は「感性神話」といいます。
感性神話の特徴は血縁のある父親がこの世に存在しないこと。母親は子供を生むためだけに存在していること。王は神秘的な生い立ちを持ち父母の制限を受けない絶対的な存在になること。そのため始祖神話によく使われるパターンです。
高句麗の建国者が天帝の子、日の光を浴びた女性から生まれた、というのは高句麗を作った人たちが北方民族だったか、その影響を受けている人たちだったのでしょう。
子供が卵で生まれる
河伯の娘・柳花は直接・王子を産んだのではなく、卵を産みました。その卵から王子が生まれます。建国者が卵から生まれる話は卵生神話と呼ばれます。
新羅の赫居世居西干、伽倻・首露王の神話も同じ。朝鮮半島の他、インドネシア、インドシナ半島や台湾の先住民族、中国沿岸にもあります。
黒潮・対馬海流に乗れば台湾からでも朝鮮半島の沿岸部に到着することは可能だったのでしょう。古代の朝鮮半島は様々な地域から様々な民族がやって来る人種のるつぼになっていたので、北や南の神話の要素が入り混じっています。
高句麗神話の元になった夫余神話には王子が卵で生まれる描写はありません。高句麗は北方系の民族が主流と考えられるのでもともとは卵生神話を持たなかったはずです。
高句麗が朝鮮半島を南下して支配地域を広げ南方系の卵生神話と出会って取り入れたのではないでしょうか。北方系の遊牧騎馬民族が卵生神話をもつ民族を征服したのかもしれません。
そういった意味では柳花は天を崇拝する民族に征服された南の民族の代表と言えるかもしれません。
ドラマ
朱豪 演:オ・ヨンス 役名:ユファ
ドラマではさすがに神の娘というわけにいかないのでハベク(河伯)族長の娘という設定になっています。天帝の子でも太陽の光ではなく、人間のヘモス将軍と結ばれて息子のチュモンが生まれ。母子ともにクムワ王の宮殿で暮らしています。
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