浣碧(かんへき)は中国ドラマ「宮廷の諍い女(甄嬛傅)」に登場する人物。
ヒロイン・甄嬛(しんけい)の侍女。
実は甄嬛の異母妹です。
最初は甄嬛に素直に従っていたものの、後に自分の出生を知り不満を持つようになります。
浣碧のモデルになったのは、果郡王 允礼の嫡福普(正室)鈕祜祿氏です。
ドラマ「宮廷の諍い女」の浣碧(かんへき)とモデルになった嫡福普 鈕祜祿氏について紹介します。
ドラマ「宮廷の諍い女」の浣碧(かんへき)
演:藍盈瑩
甄嬛の侍女で妹
甄嬛の侍女。
実は甄嬛の異母妹。
甄嬛の父が家の外で作った隠し子でした。母が罪人のため秘密にされていました。甄嬛は自分が入宮する前に父からそのことを聞かされます。
甄嬛が入宮したときも彼女と一緒に宮廷に入り、甄嬛の侍女をしていました。
甄嬛の妹らしく少し甄嬛に似ているところがあり。それを他の人から指摘される場面があります。
甄嬛に不満をもつ
最初は甄嬛にも忠実でした。
でもやがて自分の出自を知り、同じ父を持つのに待遇の違いに不満を持つようになります。やがて自己中心的で悪知恵を働かせるようになります。果郡王には理由をつけて何度か近づこうとしました。
侍女の立場でありながら他の侍女よりも装いが派手。
安陵容たちを覆って甄嬛に敵対仕向けるようにしたこともあります。
やがて曹琴黙たち華妃派の仲間になり、甄嬛の動向を何度も漏らして甄嬛を陥れようとしました。
しかしやがて自分の行いを後悔するようになります。自分の生母を甄家の家譜に記載してもらうために甄嬛に従い、甄嬛が出家したときも付き添いました。
果郡王 允礼の福晋になる
皇帝が選秀の費用を節約するため、甄嬛を側室から妃に冊封することを戯言った際、禧常在に封じることを提案し、慌てて拒否した(第65話)。
宴会で果郡王 允礼が密かに持っていた甄嬛の小さな像を偶然落とし皇帝が疑いますが。すぐに浣碧が自分のものと偽ります。
その後、果郡王の側福晋として嫁ぐことになり、鈕祜祿家の次女の立場と鈕祜祿・玉隠の名前を得て果郡王に嫁ぎました。
果郡王府では同じ側福晋の孟靜嫻とは競い合いました。
允礼の死後。自ら殉葬。雍正帝よって福晋として追封され、允礼と一緒に葬られました。
歴史上の福普 鈕祜祿氏とは?
歴史上の果親王 允礼の福晋も鈕祜祿(ニオフル)氏。
鈕祜祿(ニオフル)氏出身。
父は 阿霊阿。
ドラマでは漢人から鈕祜祿姓に変えました。でも史実の福普 鈕祜祿氏は満洲鑲黄旗出身で、由緒正しい満洲人です。
またドラマでは最初は側福晋(側室)になって、死後に嫡福晋(正室)になりました。史実では最初から嫡福晋です。侍女出身でもありません。
ドラマの甄嬛は孝聖憲皇后 鈕祜祿氏(雍正帝の側室、乾隆帝の母)をモデルにしています。
福晋 鈕祜祿氏は鈕祜祿氏の一族ですが、孝聖憲皇后の妹ではありません。
孝昭仁皇后 鈕祜祿氏(康煕帝の皇后)や温僖貴妃(康煕帝の側室)の姪です。
最終的に果親王 允礼の嫡福晋 鈕祜祿氏になったというところだけが同じで、かなり違います。
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