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宮廷の諍い女:寧嬪 葉瀾依 は実在する?モデルになった寧妃とは

宮廷の諍い女 2 ドラマ人物

 

ドラマ「宮廷の諍い女(きゅうていのいさかいめ)」に登場する 葉瀾依(ようらんい)は清朝の第5代皇帝 雍正帝の側室。

応答になったあと、寧嬪まで上り詰めます。

本当に雍正帝には寧嬪という側室はいたのでしょうか?

ドラマの寧嬪 葉瀾依とモデルになった寧妃を調べてみたので紹介します。

 

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宮廷の諍い女の葉瀾依(ようらんい)

馴馬女 → 葉答応 → 寧貴人 → 寧嬪

円明園にある百駿園で馬の訓練をしていました。

円明園にいたころ。重病に倒れたときに果郡王 允礼の依頼で太医を呼んでもらい治療を受け回復。そのため果郡王に恩義を感じています。

馬を乗りこなす活発なところが雍正帝に気に入られて宮中に入り。側室の「答応」になりました。

人と群れたがらず冷たい印象があります。そのため皇太后や後宮の人々には好かれていません。

果郡王のことが好きで。雍正帝に気に入られたいと思ってません。そのため密かに避妊薬を飲んでいました。斉妃の陰謀で子ができない薬を飲まされましたが、気づいていながら飲みました。

その後、雍正帝は葉瀾依が子をできない身体にされたのを気の毒に思い、貴人に昇格させ、「寧」の称号を与えました。

その後、寧嬪に昇格。

中秋の家宴では、甄嬛が果郡王を裏切ったと誤解し、猫を使って甄嬛を襲わせたこともありました。

その後、甄嬛を静かな場所に誘い出してナイフで暗殺しようとすますが甄嬛が身に付けている珊瑚の腕輪を見て果郡王と甄嬛が本当に愛し合っていることを知り手を引きます。

そして甄嬛の味方になりました。

血の繋がりを証明するエピソードでも甄嬛を助けました。

果郡王が死亡したあと。甄嬛と手を組んで復讐。安陵容が残した麝香を使って雍正をゆっくりと死に追いやります。

雍正帝が亡くなった後、果郡王の後を追って自害しました。

 

演じるのはレイザさん

 

ドラマで葉瀾依を演じているのは熱依扎(レイザ)という女優さん。本名は「レイザ・アリムジャン」北京出身ですがカザフ人です。

カザフ人の祖先はカザフスタンに多く住むテュルク系イスラム教徒。清朝がジュンガルを滅ぼしたあとに新疆に移住したカザフ人が今の中国にいるカザフ人の祖先になります。レイザさんがちょっとエキゾチックな顔立ちしてるのはそのため。

ドラマの葉瀾依は馬術が得意という設定。中国風の名前をしていますが出身民族は明らかにされていません。中国国内では異民族や異国の人でも漢風の名前をつけているので、漢字3文字の名前だからといって中国人とは限りません。

満洲人や漢人とは違う服を着ていました。西域の出身なのでしょう。そのためレイザさんが抜擢されたと思われます。

このドラマの出演で話題になり。
その後、「秀麗伝」丁柔、「海上牧雲記 〜3つの予言と王朝の謎」金珠海、「長安24時」
檀棋 などに出演しています。

 

寧嬪 葉瀾依のモデル 寧妃

寧嬪 葉瀾依のモデルになったのは

雍正帝の側室・寧妃。

でも史実の寧妃は葉氏ではなく、武氏(後に武佳氏)です。

父は 武柱国。
鑲黄旗 漢軍に所属する漢人。泰州知州(州知事)を務めていました。

雍正帝の時代に外八旗の選秀で選ばれました。

最初の位は不明。重病を患ったため妃に昇格しました。

雍正12年(1734年)4月。武氏は寧妃になり。陶磁器庫と銀庫は彼女のために妃位にふさわしい器を揃えました。

5月。寧妃が病氏。雍正帝は、北部にいた武氏の兄・武啓欣に「急いで都に戻るように」との勅命を下しました。また寧妃のために春紬里の粧緞被などの品々を贈りました。

乾隆2年(1737年)。寧妃の棺は清西陵の泰陵妃園寝に葬られました。妃の中でも高い地位の扱いを受けています。

 

 

 

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