信嬪辛氏(慎寧宮主)は朝鮮王朝第3代国王・太宗の側室です。
もとは太宗の正妃・元敬王后に仕える女官でした。その後、太宗との間に多くの子女をもうけ、元敬王后の死後には宮中で影響力をもった女性です。
太宗の死後に尼僧となった経緯や家族、ドラマ『元敬〜欲望の王妃〜』のチェリョンとの違いを、史実をもとに紹介します。
この記事で分かること
- 信嬪辛氏の出身や家族、太宗の側室になるまでの経緯
- 太宗から受けた寵愛と宮中での立場
- 太宗の死後に出家した理由と晩年
- ドラマ『元敬』のチェリョンと歴史上の信嬪辛氏の違い
信嬪辛氏(慎寧宮主)とは
信嬪辛氏は朝鮮王朝第3代国王・太宗李芳遠の側室です。もとは太宗の正室・元敬王后に仕える女官でした。15歳ごろから太宗の寵愛を受け、1402年に長男の咸寧君を出産しました。正式な側室の称号を得たのは出産から12年後でしたが、信寧翁主、慎寧宮主の称号が与えられ、元敬王后の死後には宮中の女性たちを取りまとめる立場になりました。
影響力を頼って賄賂を贈ろうとする者もいましたが、受け取りを拒んだ記録が残っています。太宗が病に倒れると献身的に看病し、死後は自ら髪を剃って尼僧となり、朝夕に経を唱えて冥福を祈りました。
1435年に亡くなると、世宗は国王の母に近い手厚い礼で葬儀を行いました。1872年には正一品「信嬪」の位が追贈されています。
プロフィール
- 名前:信嬪辛氏(しんひん・しんし)
- 別称:信寧翁主、慎寧宮主
- 本貫:寧越
- 生年:不明。1377年とする説があります。
- 没年:1435年3月10日(旧暦2月2日)
- 身分:元敬王后の女官、太宗の側室
- 墓所:信嬪辛氏墓域
- 所在地:京畿道南楊州市瓦阜邑陶谷里山13番地付近
家族
- 父:辛永貴
- 母:長興周氏
- 夫:太宗・李芳遠義
- 息子:咸寧君・李裀、温寧君・李裎
- 娘:貞信翁主、貞静翁主、淑貞翁主、淑寧翁主、昭信翁主、昭淑翁主、淑慶翁主
信嬪辛氏(慎寧宮主)の家系図

信嬪辛氏(慎寧宮主)の家系図
信嬪辛氏の生涯
出身と王宮へ入ったきっかけ
生年は不明ですが、1377年生まれともいわれます。
信嬪辛氏の父は検校工曹参議(検校は名誉職のような官職、工曹参議は省庁の次官級)。
母は長興周氏。
もともとは太宗の正室 元敬王后閔氏(ウォンギョンワンフ・ミンシ)に仕える侍女でした。
ところが、15歳のころに太宗から寵愛を受けるようになります。その後、1402年に太宗との最初の子供李裀(のちの咸寧君)を出産しました。
太宗からの寵愛と宮中での立場
息子を出産したものの、信寧翁主(シンニョンオンジュ)という側室の位が与えられたのは、それから12年後の1414年のことでした。
側室の称号がドラマでおなじみの嬪・貴人になるのは世祖の時代以降。この時代の側室の称号は、翁主・宮主などがありました。
その理由は嫉妬深い元敬王后の性格や、辛氏自身の身分がもともと低かったことなどが影響していたのかもしれません。
その後、元敬王后が亡くなると辛氏は王宮内の女性たちを統括する内命婦(ネミョンブ:宮中の女性組織)を取り仕切る立場となりました。
太宗は信寧翁主を大変深く寵愛しました。そのため、彼女の影響力に頼ろうとする者も出てきます。
たとえば、弾劾を受けた申孝昌という人物が処罰を恐れて信寧翁主に奴婢を贈って頼ろうとしたことがありました。でも彼女は受け取りを拒否しています。
また、李法華の息子・吾麿知という人物は北京に行く使節団に加わろうとして、水汲み女の内隠伊とその兄を通じて辛氏へ賄賂を贈ろうとした出来事もありました。
大臣の中には辛氏を通じて太宗や世宗(第4代国王)へ意見を伝えようとする者もいて、彼女の周囲に仕える女官に接近しようとする者もいました。
太宗の最後と出家
1422年。太宗が病に倒れると辛氏は夫の看護に努めました。その功績により慎寧宮主(シンニョングンジュ)という位を与えられます。
その後、太宗が亡くなると辛氏は世宗の許可を待たずに髪を剃って尼僧になりました。朝夕に仏教の経典を唱えて亡き太宗の冥福を祈る日々を送るようになります。
他の側室たちも彼女の行動にならいました。先王の側室が出家して尼僧になるのは朝鮮王朝では初めてでした。その後も何人か出家する側室はいました。
でも慎寧宮主の行いは儒教を第一に考え仏教を規制しようとしていた重臣にとっては、儒教をないがしろにする行為と映り問題となります。
翌1423年、辛氏が太宗の冥福を祈ることを切望したため、世宗は文昭殿の仏堂で金泥(金粉を混ぜた墨)を用いて仏経を書写させました。
世宗としては父の側室たちの気持ちを考えれば、彼女らの行いを止めさせることはできなかったのでしょう。
信嬪辛氏の最期
1435年3月10日(旧暦2月2日)、辛氏はこの世を去りました。1377年生まれだったとすると享年58歳になります。
世宗にとって辛氏は父王の側室、つまり庶母にあたる存在でしたが国王の母(国母)に準じる手厚い方法で葬儀が行われました。
世宗は臣下を率いて弔問に訪れたほか死装束も買い与えました。
信嬪になる
その後。朝鮮末期の1872年(高宗9年)には正一品 信嬪 の位が追贈されています。
彼女の墓(信嬪辛氏墓域)は、現在の京畿道南楊州市にあり、2001年に文化財資料として指定されました。
ドラマ『元敬〜欲望の王妃〜』での信嬪辛氏
ドラマ『元敬〜欲望の王妃〜』では信嬪辛氏は「チェリョン」という名前で登場します。演じているのはイ・イダムです。
ドラマのチェリョンは元敬に仕える女官でした。幼いころは身寄りのない子どもとしてさまよっていましたが、元敬に拾われました。その後、元敬が王妃になるとチェリョンも侍女として宮中に入ります。
もともとチェリョンは元敬のそばにいて彼女を人生のお手本のように見ていました。
ところが、太宗 李芳遠(イバンウォン)はチェリョンに手を出しました。バンウォンと共寝してしまったので、元敬との関係は大きく変わってしまいます。元敬にとって身近に置いていた女官が夫の側室になるのは受け入れることはできなかったのでしょう。
ドラマではチェリョンはしたたかな人物として描かれ、ときには元敬を裏切ったり、バンウォンを利用したりしながら、二人のあいだでうまく立ち回ります。
ドラマのチェリョンは歴史の記録から想像できる信嬪辛氏の姿とは違いますが。ドラマを面白おかしくするための演出として割り切ったほうがよいでしょうね。

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