韓国ドラマ「ホジュン」には恭嬪(コンビン) の兄弟が登場します。
「宮廷医官への道」では弟のイェジク。
「伝説の心医」では兄のビョンジョが登場。
ドラマによって名前や立場の違いはありますが内容は同じです。
恭嬪(コンビン)の兄弟にはモデルはいたのでしょうか?
恭嬪(コンビン)のモデルになった恭嬪金氏には兄はいませんが金礼直という弟がいました。
ドラマのコンビンの兄弟と、モデルになった金礼直を紹介します。
ドラマ「ホジュン」の恭嬪の兄弟
ドラマ「ホジュン・宮廷医官への道」「ホジュン・伝説の心医」はどちらも原作「小説 東医宝鑑」が同じなので登場人物もほぼ同じですが。
ドラマ「ホジュン」には宣祖の第一側室・恭嬪(恭嬪)の兄弟として
「ホジュン・宮廷医官への道」では 弟イェジク
「ホジュン・伝説の心医」では 兄ビョンジョ
が登場します。でも話の流れはほぼ同じ。
ホジュンが医官になった後。
国王・宣祖の第一側室・恭嬪(コンビン)の兄弟が病になりました。
口眼咼斜と反胃になってしまう
恭嬪の兄弟の病気は口眼咼斜(こうがんかしゃ )といって顔面が麻痺してしまう病気です。症状は人によって違いますが、恭嬪の兄弟の場合は口元がひどくゆがんでいました。
現代で言うと「顔面神経麻痺」に近い病です。「顔面神経麻痺」は完治に時間のかかる病気です。頭から顔の筋肉に指示を送る神経が何らかの理由で傷ついて顔の筋肉が動かなくなる病気です。様々な病気でなることもありますし、ウィルスや細菌の感染で起こることもあります。
治るのにかかる期間も数ヶ月から1年以上、場合によっては数年かかることもあります。
ドラマでは5日ほどで治ると言われていました。不摂生が原因だと言われていますし、針治療や漢方薬で治っていたので「顔面神経麻痺」とは違うのかも知れません。
そもそもドラマ「ホジュン」の医療知識はいい加減で、深刻な症状にみえても民間療法や短帰還の治療で治ったりするので。現代の病気に当てはめるのが無理かもしれません。
とにかく顔の筋肉が麻痺する病になってしまいました。
ところがホジュンが治療を初めてみるとただの口眼咼斜ではない事がわかります。本当の原因は反胃(はんい)という病なのでまずは反胃を治さないと口眼咼斜も完治しないのです。
かつてホジュンの師匠ユ・ウィテも反胃にかかりました。そのときは「ここでは胃癌」とテロップがついていました。ユ・ウィテは反胃が治ることはなく死亡してしまいます。針と漢方薬だけで胃癌が治るはずもないので仕方ありません。
もし恭嬪の兄弟も胃癌ならどうしようもありません。
ホジュンは王からいつまでに治るかと聞かれて5日と答え。それまでに治らない場合は手首を切られることになりました。
恭嬪の兄弟はワガママで薬が苦いと言ってはホジュンの治療を拒んでいます。恭嬪の説得しぶしぶ治療をうけますが。約束の5日が過ぎても口眼咼斜は治りませんでした。刑が執行されようとした時、病が治ったと報告があり刑の執行は中止になります。
たぶん反胃は胃の病気全般を意味する言葉で、恭嬪の兄弟が患ったのは胃癌ではなく胃潰瘍か別の病気だったのでしょう。アルコールのとりすぎや不摂生は胃潰瘍によくないので恭嬪の兄も胃潰瘍だった可能性はあります。
恭嬪の兄弟はホジュンに対しては無礼だとさんざん悪態をついていたのですが。治療後は手のひらを返したように穏やかになります。
インビン側と対立
ところが仁嬪(インビン)が登場して恭嬪の寵愛が薄れると。再び短気な性格が表に出るようになり。仁嬪の兄と言い争ったり、恭嬪に不満を言ったりするようになります。
コンビンの兄弟のモデル 金礼直(キム・イェジク)の史実
コンビンのモデルになった恭嬪金氏には兄はいません。でも弟はいます。
歴史の記録では兄弟姉妹の上下関係はいいかげんで。とくに兄弟と姉妹の上下はわからいことが多いです。女性の場合は「〇〇の娘」とだけ書かれていて生年もはっきりしないことが多いからです。
なので史実とドラマでは妃嬪の兄と弟が入れ替わっているときがあります。
生年:1565年
没年:1623年
名前:金礼直(キム・イェジク)
本貫:金海金氏
父:金希哲(キム・チヒョン)
母:安東拳氏
父の金希哲は司圃署(王室所有の農園を管理する部署)の役人。
金礼直は恭嬪金氏より12歳年下。
1575年。姉の恭嬪金氏が光海君を産みました。
金礼直は光海君よりも10歳年上になります。
ところが恭嬪金氏は体調をくずしてしまい1577年に死亡してしまいます。
許浚が恭嬪の弟の口眼咼斜を治す
その後。許浚は口眼咼斜(顔面神経麻痺)にかかって口が塞がった恭嬪金氏の弟を治療して全快させました。
ドラマでは恭嬪が生きている間に、許浚が恭嬪の兄の口眼咼斜を治しました。でも実際には恭嬪の死後。恭嬪の弟の口眼咼斜を治しました。
どのくらい時間がかかったのかはわかりませんが、さすがにドラマのように5日で治したなんてことはないでしょう。
このときは恭嬪が生きていないので宣祖のはからいか、恭嬪の父・金希哲の要請かもしれません。
戦争中は宣祖とともに避難
1592年。日本と朝鮮の戦争(文禄の役、壬辰戦争)が始まりました。
父の金希哲は義勇軍に参加。日本軍と戦って戦死。
金礼直は白衣従軍(官職がないまま兵になること)になって避難する宣祖を護衛しました。この功績で科挙をうけないまま官職に就き。
1593年(宣祖26)。科挙の武科に合格。武官になりました。
その後は平安道龍川郡守などを務めました。
光海君の時代
光海君即位後は、正三品 中枢付添地事になりました。その後は咸鏡道兵馬節度使になりましたが。弾劾を受けて一度は解任されましたが、その後は復帰して捕盜大将などを務めました。
許筠(ホ・ギュン)を庇ったとして弾劾を受けたこともあります。
1618年。光海君が仁穆大妃を廃そうとしたときは反対して罷免されました。
金礼直は光海君の叔父ですが光海君を支えていた大北派とは仲がよくありません。大北派からは弾劾をうけそのたびに復帰していました。
1623年。クーデターで光海君が廃され仁祖が即位。金礼直は光海君の親族というので処分を受けそうになりました。ところが光海君を支えていた大北派から何度も弾劾を受け免職した過去があったので、処分は受けずむしろ褒美が与えられました。
しかしその年、病気で死亡してしまいます。
コンビンの兄は 金礼直を脚色したもの
ドラマ「ホジュン」では恭嬪の兄の恭嬪よりやや年上に設定されているようです。でも史実の金礼直は恭嬪より12歳も年下です。
でも金礼直は許浚の治療を受け口眼咼斜(顔面神経麻痺)を治してもらっています。
ドラマの恭嬪の兄はかなり脚色され、兄と弟という違いはありますが。金礼直がモデルになったのは確かなようです。
テレビドラマ
ホジュン・宮廷医官への道 1999年、MBC 演:イ・ヨンホ
ホジュン・伝説の心医 2011年、MBC 演:イ・チャン
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