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星漢燦爛:袁慎のモデル 漢の名臣・袁安と歴史を動かした汝南袁氏

袁慎のモデル 2 ドラマ人物

 

ドラマ「星漢燦爛(せいかんさんらん)」に登場する袁慎(ユエン・シェン)はちょっと自信過剰ぎみな青年。

時に周囲を振り回すこともありますが、ヒロイン・程少商への一途な想いがあります。

袁慎のモデルになったのは後漢の名臣・袁安

彼は名門・汝南袁氏の始祖で、彼の子孫は中国史にも大きな影響を与えました。

この記事では歴史上の袁安とドラマの袁慎を紹介。その共通点と違い。子孫たちの活躍を紹介します。

 

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ドラマ「星漢燦爛」の袁慎とは

演:李昀銳(リー・ユンルイ)

名前:袁慎(ユエン・シェン)
字:善見
本貫:膠東袁氏
父:袁沛
母:梁氏

読み方は「えん・しん」 じゃなくて 「ユエン・シェン」 なんですね。架空王朝ドラマは中国式が多いようですね。

袁慎には次のような特徴があります。

  • 高い学識:名門・白鹿山書院の皇甫儀の弟子。師匠の代わりに皇帝に儒教の経典の講義を行うほど。侍郎の地位を与えられました。

  • 自信家: 自身の才能を過信しています。自分が程少商に一目惚れしたので、彼女も自分に好意を持っていると勘違いしています。

  • 毒舌家: 口が達者で皮肉や侮蔑的な言動が多いです。

 

と、知識をひけらかす嫌味なキャラかと思えば。 程少商にへの想い入れは深く一途なところもあります。程家の家庭教師になってしまったりと、やや強引なところもあります。

ドラマ終盤では凌不疑が辺境に行っている間に程少商との縁談を進めますが。最終的には程少商に断られてしまいます。

それでも常に程少商の味方で陰ながら彼女を支えてきました。

最終的には凌不疑と程少商をひきたてる不憫なキャラになった気も。でもそこがまたこのキャラのいいところかもしれません。

そんな袁慎を応援する声もあるようです。

 

袁慎が学んだ白鹿山書院とは

袁慎が学んだ白鹿山書院はドラマの中では名門の学校。儒教を教えているようです。
袁慎は白鹿山書院の皇甫儀に教えをうけました。

書院って何?

書院(しょいん)とは中国王朝では書院は学校を意味します。民間の学校を書院と呼ぶことが多いです。書院は唐代に始まり、形を変えながら清代まで続きます。

白鹿堂書院の元ネタ

歴史上有名なのは代の「廬山 白鹿堂書院」。

歴史上の「白鹿堂書院」卒業生には「朱子学」の朱熹、「陽明学」の王陽明たち有名な儒学者がいます。

ドラマの「白鹿山書院」も白鹿堂書院の名前からつけられているようです。

ということは、白鹿山書院もこの国ではトップクラスの名門学校なのでしょうね。

漢の時代には書院はなかった?

ドラマはの時代をモデルにしているのでの時代にできた白鹿堂書院は関係ないだろとツッコミが入りそうですが。星漢燦爛は漢がモデルとはいえ「架空王朝」。他の王朝の要素も取り入れているようです。

書院」もの時代にできたものですしね。

 

「星漢燦爛」袁慎のモデル!袁安とは

古代中国の文人

古代中国の文人のイメージ

「星漢燦爛」の袁慎のモデルになったと思われるのは後漢の名臣・袁安です。

袁安(えん・あん)の生涯

袁安(えん・あん)は後漢の2代皇帝・明帝から3代 章帝、4代和帝の時代に活躍した政治家。

袁安は今の河南省あたりで生まれた儒学者の家系の出身です。祖父は孟子の易を学んだ儒学者。後漢を建国した光武帝にも仕えました。

袁安は幼いころから学問を学び頭が良くて落ち着きのある人でした。袁安は最初は県の役人をしていました。2代明帝の時代に高い学識と人柄から県令に認められ朝廷の役人に採用されました。

それからの袁安は幾つかの県令を歴任。公平で正義感にあふれた官僚として活躍します。

冤罪で囚われた人たちを救う

楚郡の太守として派遣されたときは前の年に起きた反乱事件で数百人の冤罪になった人を救い出しました。彼の公正な判断は多くの人々から称賛されました。

都の治安を回復

首都 洛陽の長官・河南尹になると厳しく取り締まりましたが、むやみに人を罰することはせず。彼の在職中に洛陽の治安や風紀は良くなりました。

その功績は皇帝にも認められ。朝廷の最高位・三公の司空、司徒にまで登り詰めました。

外戚の横暴にも屈しない

後漢 和帝

後漢 和帝

4代 和帝の時代には外戚(皇帝の母方の親族)の竇氏の横暴に立ち向かいました。彼は志半ばで息を引き取りますが。竇氏政権が打倒されると袁安の功績が再評価されました。

 

三公(さんこう)
朝廷で最も権威のある役職。後漢では司徒・太尉・司空のこと。司徒=宰相、太尉=国防大臣、司空=囚人の管理と土木建築大臣。
中華王朝は治水王朝と言われるくらい土木が大切なので土木大臣の地位も高かったのです。
土木と囚人の管理人が土木の最高責任者を兼ねているのは土木作業には囚人を使う事が多かったため。

 

袁安と袁慎の共通点

ドラマの袁慎も正義感にあふれた人物として描かれています。嫌味なところもありますが、程少商への思いは本物。最終的には彼女の幸せを願い陰ながら支える立場になります。

  • 学者の名門・袁氏:袁安も袁慎も姓は「袁」、後漢で儒学の名門といえば汝南袁氏。劇中でも袁慎は名門とされます。
  • 学識の深さ: 袁安は孟子の書を学び儒学者として知られていました。袁慎も名門学校で学び教養があって博学な一面を見せています。
  • 公正な人物:袁安は不正を許さず、公正な裁きを行った人物として知られています。袁慎も不正を暴き、正しいことを貫こうとする姿が印象的です。
  • 人を思う心:袁安は役人として民のための政治を行いました。冤罪があれば彼らを救おうとします。袁慎も程少商や周りの人を思って行動しています。

袁安と袁慎、どこが違う?

  • 出世の速さ:袁安は若い頃は地方からスタートしていますが袁慎は若いころから皇帝と会い都で暮らしています。しかし途中でキャリアがリセット。地方から官僚人生が再スタート。そのため劇中の袁慎は「知られていない若い頃の袁安」みたいな扱いになってます。若い頃は自信家だったけど挫折を経験して、後世に語り継がれる誠実な政治家になった。と思えばいいのかもしれません。
  • 一族:袁安は汝南袁氏、袁慎は膠東袁氏。出身地は違いますが、劇中の膠東袁氏は汝南袁氏をモデルにしているようです。
  • 時代背景: 袁安は後漢初期の官僚。袁慎は架空の人物です。ただし『星漢燦爛』の舞台は後漢初期をモデルにしています。

 

袁安が後世に与えた影響

袁安の子や子孫たちは代々朝廷に仕え、重要な役割を果たしました。袁安を祖とする汝南袁氏は後漢でも名門の家系となります。

袁安は汝南袁氏として長く功績が語り継がれました。袁安の遺伝子は子孫たちにも受け継がれ、後漢や後の時代の歴史に大きな影響を与えました。

袁安の子孫たちの活躍

汝南袁氏は袁安から始まる。と言われるのは袁安がすごかったのは勿論ですが、子孫たちが活躍して有名になったから。なぜ汝南袁氏が凄いのか袁安の子孫たちの活躍を見てみましょう。

後漢の三公

袁安の子孫たちも、すごい人たちが何人もいます。

三公(司空・司徒・太尉)は宰相と同じクラス。朝廷で最も権威のある役職です。

一族からそれになる人がいるだけでも大変なのに、袁安を含めて4世代で5人の三公が出ました。

後漢で三公になった袁安の子孫たち。

袁敞(えん・しょう)(袁安の子) 司空
袁湯(えん・とう)(袁安の孫) 司空、司徒、太尉
袁逢(えん・ほう)(袁湯の子) 司空
袁隗(えん・かい)(袁湯の子) 司徒

 

汝南袁氏が名門といわれるわけです。

三国志の英雄、袁紹と袁術

後漢の末期。世の中は荒れ果て後に「三国志」に描かれる戦乱の時代になります。

袁紹(えん・しょう)と袁術(えん・じゅつ)といえば三国志ファンならよく知る人物。

袁紹

三国志の英雄・袁紹も袁安の子孫

三国志」では袁紹(えん・しょう)袁術(えん・じゅつ)反董卓連合の中心人物として登場します。

袁紹と袁術は二人とも袁湯の孫。袁紹と袁術が曹操をはじめとする諸侯たちから一目置かれていたのも、政界で大きな影響力を持つ汝南袁氏の一族だったから。

しかし袁紹は曹操との戦いに敗れ最後は病死。袁術も病気で亡くなってしまい、袁氏の天下統一の夢は叶いませんでした。

武則天から帝位を奪回した唐の宰相

袁術と袁紹が敗北して汝南袁氏は廃れましたが、唐の時代には復活。

子孫の袁恕己武則天から中宗皇帝の座を奪還。中宗の宰相になるなど中央で活躍しました。

武則天

武則天

出典:wikipedia 武則天

でも、袁恕己は中宗の皇后・韋后たちと対立して左遷。地方で死亡してしまいます。

その後は、中央ではあまり大物は出ませんが。

王朝時代の最後にとんでもない大物が出てきます。

清朝を終わらせた袁世凱(えん・せいがい)

清朝末期の政治家で軍人の袁世凱も汝南袁氏です。

袁世凱

袁世凱

出典:wikipedia 袁世凱

彼は清朝の朝廷に仕える立場でありながら辛亥革命に協力。結果的に清朝を終わらせ中華民国の初代大統領になり。中華帝国初代皇帝になろうとしました。

袁世凱もまた汝南袁氏の末裔を誇りにしていたといいます。

もし袁世凱が中華帝国(そのまんまの国名)の皇帝になっていたら汝南袁氏が天下をとっていたのに。

 

 

まとめ:袁安を通して歴史と繋がる

ドラマ「星漢燦爛」の袁慎は単なる傲慢な秀才ではなく、深い愛情と正義感を秘めた複雑なキャラクターとして描かれました。

そのモデルとされる後漢の名臣・袁安は学識豊かで公正な人物として知られます。袁慎のキャラクターにもその影響があるようですね。

袁安を祖とする汝南袁氏は後漢から清朝にかけて中国の歴史に大きな影響を与えた名門一族です。多くの優れた政治家を生み出し中国の歴史を彩る重要な存在でした。

袁慎は架空のキャラクターですが、歴史上の袁安汝南袁氏と繋がることでドラマが歴史とつながり、深みと広がりが感じられます。

あなたも袁慎を通して歴史上の名門一族の繁栄と衰退を感じ取ってみてくださいね。

 

 

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