朝鮮王朝時代の身分制度は儒教的価値観に基づいた厳格な階級社会でした。
最下層に位置する賤民は、奴婢、僧侶、妓生、白丁など、様々な職業の人々を含み、法的に差別され、社会的に排除されていました。
この記事では、賤民の種類、奴婢と賤民の違い。
そして彼らが受けた様々な制限について詳しく解説します。韓国ドラマを見ただけではわからない朝鮮時代の人々の姿を紹介しましょう。
朝鮮の賤民とは
賤民(韓:チョンミン、日:せんみん)とは朝鮮のカースト(身分制度)で最下層の人々。上流階級の人々から「不浄」と見なされた特定の地位・職業につく人々でした。
朝鮮の身分制は高麗の制度を参考にしていますが、朝鮮では儒教(朱子学、朝鮮では生理学)の教えに基づいてさらに詳しく設定され。太祖時代の「経国六典」や正祖の「経国大典」で細かい規則が定められています。

朝鮮の身分制度
良人
誰かに所有されることなく自分の意志で生きていける人(法律や制度・慣習の制限は受けますが)。自由人という言い方もします。科挙を受けたり、官職につく資格があるのは良人だけです。
分かりやすくいえば奴隷でない人。
良人はさらに細かく。王族である宗班、儒教を身に着けた支配者層の両班、専門職の中人、一般人の常人に分けられます。
良賤制
朝鮮の身分制は良賤制を基本に。さらに細かく様々な身分が分けられています。
賤民
奴婢やその他の被差別階級をまとめて賤民と呼びます。人としての人格を認められておらず、所有物や獣のような扱いをうけます。社会的には差別を受け。法律で様々な制限がかけられています。
賤民の種類
賤民には奴婢、僧侶、巫堂(ムーダン)、靴匠(ヘジャン)、妓生(キーセン)、才人(チェイン)、白丁(ペクチョン)などが含まれていました。
賤民(チョンミン)は俗に「チョン」と呼ばれることもありました。
ただし差別の度合いは職業によって違います。僧侶、巫堂は儒者の都合で賤民に指定したので一般人からとくに差別されているわけではありません。一般人からの差別が酷いのは白丁です。
法律で様々な制限
朝鮮では身分は世襲制です。親が賤民なら子も賤民。賤民は官職につく権利はありません。科挙を受ける権利もありません。服装、婚姻や冠婚葬祭、名前の付け方まで細かい決まりがありました。
姓はないか、あっても本貫のつく姓(全州李氏とか安東金氏みたいなやつ)は名乗れません。ただの○氏です。
賤民と奴婢の違い
賤民は大きく分けると誰かの所有物となり肉体労働している奴婢と、差別や法的な制限をうける特定の職業の人たち分けられます。
つまり賤民と奴婢の違いは、賤民は身分制度の中の最下層の身分のこと。奴婢はその中の特定のグループの名前です。
図にするとこんな感じになります。

賤民
白丁 が一番低いです。
一口に賤民といっても細かく分かれています。とくに李氏朝鮮では高麗時代よりも細かく設定されています。次に様々な賤民について紹介します。
奴婢(ノビ)
奴婢とは
奴婢(ノビ、ぬひ)とは、古代から朝鮮半島に存在しました。罪人が奴婢にされることが多く、謀反人とその一族、税を払えない人も奴婢になることがあります。
李氏朝鮮に征服された高麗の豪族、高麗に敗れた新羅、新羅に敗れた百済などの人々も賤民=奴婢にされた例もあります。
彼らは主に以下のような特徴を持っていました。
役割
肉体労働・雑用係
- 役所や個人の家で、肉体労働や掃除・料理などの雑用全般を担っていました。
- 男性は「奴(ノ、ぬ)」、女性は「婢(ビ、ひ)」と呼ばれていました。
身分の世襲
- 謀反人とその家族、犯罪者、借金や税金の支払いができない人が奴婢にされます。
- 奴婢の子は、親の身分を受け継ぎ奴婢となります。
- 朝鮮の奴婢は身分が固定されているのが特徴。中国でも罪人や税を払えない人は奴婢になりますが本人だけ。奴婢の身分は世襲しません(世襲制の賤民は別にいます)。
- 朝鮮では奴婢は支配階級の財産とされたので、支配階級が奴婢を減らすのを嫌がったためです。
奴婢は母系継承
- 世宗以前は父親が両班であれば母親の身分に関わらず子も両班となれました。
- 世宗はこの制度を廃止。父の身分に関係なく母が賤民なら子は賤民になりました。両班の財産になる奴婢を増やすためです。
- その場合でも父が王族、王家の外戚、功臣は例外。だから宮女から生まれた王子は賤民にはなりません。
売買の対象
奴婢には人格が認められず財産として扱われ、売買や相続できます。
人間ではなく、物として扱われていたのです。
所有者による保護
奴婢は所有物とみなされたので。所有者以外の者が奴婢に危害を加えると、処罰の対象となりました。
これは、身分が低いからといって、誰でも奴婢に危害を加えて良いわけではなかったことを示しています。
ただし所有者からの暴力は奴婢は受けるしかありませんでした。
過酷な生活
奴婢は主人から虐待や過酷な労働、搾取を受けることが多く、逃亡する者も少なくありませんでした。
ハン・ミョンへが調べたところ官奴婢の2割、10万人が逃亡していたことがわかりました。
全国では100万人の奴婢が逃亡生活をしていると推定していました。ある地域の両班の家では3分の1が逃げていたという記録もあります。ひどい地域では5割が逃げたとも言われます。
役所の所有である「官奴婢(かんぬひ)」と、個人の所有である「私奴婢(しぬひ)」がいました。
官奴婢
宮殿や役所で使用されている奴婢。私奴婢よりも身分は上です。官奴婢の中には常人より裕福な者もいました。官奴婢は役目によって様々な呼び方があります。医女や茶母もそのひとつです。
23代純祖の時代に官奴婢制度は廃止になり、4万人いた官奴婢が良民となりました。税収不足を補うため、奴婢を良民にして税を払う人を増やすのが主な目的。
官奴:男の官奴婢
役所に所属する官奴は7種類に分けられそれぞれ仕事を担当していました。
その内訳は中央の役所の下僕、地方の役所の下僕、水兵、水夫、狼煙台の番人、駅の労働者です。
茶母(タモ):官婢:女の官奴婢
女性の奴婢を婢といい。官婢を俗に茶母(タモ)といいます。主に飯炊き、お茶くみ、菓子作りなどの雑用を担当していたのでこの名があります。
礼儀作法を身につける必要があったので奴婢の中では高い教養をもっていました。単純な肉体労働をするムスリに比べると高い地位の奴婢です。補盗庁では優秀な茶母を女性犯罪者の取り調べに使うこともありました。
医女
医官の補佐や宮中の女性の診察を行う人。医女の身分は低く宮中や役所では妓生あつかいされることも多くありました。李氏朝鮮の後半では医女制度は廃れ、妓生が医療を行いました。薬房妓生ともいいます。女官(宮女)と違い品階はありません。
ムスリ
主に水汲みや火焚きなどの肉体労働をする雑用係。モンゴル語の「娘」という意味の言葉が語源です。高麗は元の属国だったので高麗時代に普及した言葉です。ムスリは宮殿の外で暮らして宮殿に通っていました。女官と違い結婚することも出来ました。
私奴婢
宮廷や役所ではなく、個人が所有している奴婢。ドラマに登場する両班の使用人はこの身分です。両班だけでなく裕福な良人も奴婢を所有していました。個人の家の財産として扱われ。売買や相続の対象になりました。
私奴婢は朝鮮滅亡まで残ります。
奴婢以外の賤民
奴婢以外の賤民もいました。職業が厳しく制限されていました。
僧侶
朝鮮は儒教を国教にしたため、儒学者たちの要求により僧侶は賤民に落とされました。
4代 世宗の時代に僧侶は都への出入りが禁止され、街中にあるすべての寺院が破壊。一部の宗派の寺院が山間部に残るのみとなります。
儒学者が決めた制度上のものなので、一般人の感覚としては僧侶=賤民という意識は薄いかもしれません。
しかし寺が破壊され僧侶が人と接する機会が減ったので仏教を信じる人も減りました。
巫堂(ムーダン)
ドラマでは巫女と呼ばれている人たち。古代から続くシャーマニズムに道教や様々な宗教が混ざりった呪術を行なっています。
日常的な祈願や病気平癒、呪いまで人々の様々な願いを叶えるため需要は高かったです。
これも儒学者によって賤民に指定されましたが、僧侶に比べると一般人と関わる場面も多く庶民には身近な存在。
結局のところ支配者層でも頼る人はいて朝鮮後期には良民扱いになりました。
妓生(キーセン)
遊女・娼婦。
高級娼婦の場合は両班の相手をするため舞や詩歌などの教養が必要とされることもあります。
中国への貢物としてもあつかわれ。世宗時代には従軍慰安婦として国境警備の兵士の相手もさせられました。
身分制度がなくなると妓生は賤民ではなくなります。
社会的には風俗産業への偏見として残ります。1970年代まで韓国の主要な産業として国を支えました。
ドラマの妓生はホステスのイメージで表現され美化しすぎ。
才人(チェイン)・広大(クワンデ)
才人(チェイン)は芸能活動をしている人々。旅芸人、楽師など。ドラマでは楽しそうにしている旅芸人も賤民です。
似た人に広大(クワンデ)という人たちもいました。北方遊牧民を祖先に持ち、曲芸や歌舞踊を披露しながら各地を回る人たちです。
漂流しながら芸能活動する人々は世宗時代に移動禁止とされ白丁部落に定住を強制されそうになりましたが、逃げる者も多くこの政策は失敗。
才人・広大として残ります。
靴匠(ヘジャン)
皮靴を作る職人。両班が履く靴も靴匠が作ります。動物の皮を使うことから穢らわしいとされました。
靴匠も白丁の一種とされ副白丁と言われることもますが、住んでいる村は別です。
履物でも草履をつくる人は別に存在。草履職人は賤民ではありません。
白丁(ペクチョン)
高麗以前にも白丁という言葉がありましたが。被差別民の白丁は李氏朝鮮時代になって作られたもの。新白丁ともいいます。
屠畜業・食肉加工・皮加工・骨加工などの仕事をしていました。李氏朝鮮中期以降は農業を行うこともありました。商売で成功して一般人以上に裕福な者もいます。
朝廷は才人の定住化に失敗後、白丁への規制をさらに厳しくして様々な制限が加えられました。
賤民の中でももっとも低い身分とされ奴婢とくらべても歴然とした差があります。人ではなく獣扱いされたといいます。良人に撲殺されても訴えることもできません。
白丁以外の賤民は常民と結婚できます(子供は賤民です)。白丁は白丁同士でなければ結婚できませんでした。
奴婢や身分制度はいつ廃止?
高宗時代の1886年に奴婢は一代限りとしました。
1894年に開化派政権が行なった改革で奴婢は廃止にしたはずでした。
ただし清やロシアと手を結んだ閔氏政権が反乱を起こして開化派政権が倒され改革は中断。身分制度は残りました。閔氏政権に捕まった開化派やその妻子が奴婢にされたくらいです。実質的に身分制度が廃止されたのは日本統治時代になります。
日本統治時代の1910年の市民登録法ですべての国民が姓をもつことになり。賤民とそれ以外の区別はなくなりました。
例えば安東金氏の所有する奴婢の姓も「金」になるので、そのぶん金姓の人が増えます。
李氏や金氏だからといって祖先が両班とは限らないのです。
しかし差別や偏見は制度だけで決まるものではなく。実際に動かしているのは人間の身についた価値観や感情です。社会を覆っていた差別や儒教的価値観はその後も残ることになります。
参考文献
・浦沖和光・寺木伸明・友永健三,”アジアの身分制度と差別”,解放出版社,2004年.
・水野俊平,”庶民たちの朝鮮王朝”,角川書店.2013年.
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