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朝鮮王朝の側室の順番は?内命婦(ネミョンブ)のしくみ

e ドラマが分かる歴史の知識

韓国時代劇を見ているとたくさんの側室が登場します。

いろいろな呼び方があってだれがどのくらい偉いのかわかりづらいですよね。

宮廷では日本の大奥さながらに女性たちの争いが起こります。大奥は徳川幕府の呼び方、皇室・王室用語では 後宮(こうきゅう・あとみや)。オスマン帝国などトルコではハレムといいますね。

李氏朝鮮では後宮にあたるものは内命婦(ネミョンブ)といいます。後宮では王の母、王妃、側室たちが暮らす場所です。

内命婦では王妃がトップです。内命婦は王妃や側室だけでなく、王宮で働く女性をまとめた組織制度なんですね。

身分制度の厳しい李氏朝鮮では側室にも細かい階級があります。

内命婦にはどんな階級があってどのような人がいるのか紹介します。

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内命婦の品階

超品 王妃、大妃、王世子嬪
正一品 嬪(ピン)
従一品 貴人(クィイン)
正二品 昭儀(ソイ)
従二品 淑儀(スグィ)
正三品 昭容(ソヨン)
従三品 淑容(スヨン)
正四品 昭媛(ソグォン)
従四品 淑媛(スグォン)
正五品  尚宮 (サングン)

 

王妃や側室になる前の尚宮を除くと側室のランクは8つにわかれています。

ひとつずつ順番に昇格するわけではありません。いきなり数ランク上がることもあります。王の寵愛の深さ、子供を産むかどうか。男の子を産むかどうか。実家の影響力で昇格のスピードは変わります。

大妃、王妃、王世子嬪は位が付けられないくらい偉い

大妃、王妃、王世子嬪には品階はありません。

品階は家臣に与えられるもの。王族にはないのです。

表の中では超品と書いてますが、超品という位があるわけではなく。位を超えているという意味です。

大妃、王妃、王世子嬪には位の違いはありません。でも偉い順番は決まっています。

大妃 > 王妃 > 王世子嬪

大妃が一番偉いです。王世子嬪は王妃よりも下です。
世代が上のほうが偉いのです。

位のとおりだと側室が大妃はもちろん王妃や世子嬪に偉そうな口を聞くことは出来ません。

世子嬪は息子の嫁という立場なので王妃よりも立場は弱くなります。

王の寵愛や実家の力、支持している重臣の力によっても内命婦内の関係は変わってきます。位どおりに偉さが決まるとわけではないようです。

大妃についての説明はこちらを御覧ください。
大妃・王大妃・大王大妃は何が違うの?

 

側室の位

側室のトップは”嬪”

後宮(側室)の中で一番偉いのが「嬪」です。側室が上り詰めることができる最高の位です。

古代中国では皇帝の側室のことを「嬪」といいました。妃の次に地位の高い女性のことです。朝鮮では側室の一番上の呼び名になりました。

原則として王子を産んだ側室だけがなることができます。

王子を産んだだけではだめです。後継ぎの候補になるくらい重要な王子を産んだ側室がなることが多いです。既に有力な王子がいた場合は、男の子を産んでも嬪にはなりません。また、家柄、運が必要になることもあります。

19代粛宗が側室は王妃になることはできないと決めました。名実ともに側室の最高位になりました。

嬪は個人別に漢字一文字が与えられます。禧嬪、淑嬪などです。

長い朝鮮の歴史では漢字がかぶることもあったようです。さすがに同じ世代で漢字がかぶることはありません。

有名な嬪

粛宗 禧嬪張氏淑嬪崔氏

正祖 宜嬪成氏

宣祖 仁嬪金氏

世宗 恵嬪楊氏

など。

 

貴人(クィイン) 事実上の最高位?

嬪の次に偉い側室です。
子供のいない側室、王子を産んでいない側室がなれる最高の位です。

王の寵愛を受けていなくても実家の地位が高いと貴人になれることもあります。

貴人は位は高く、貴人になった人も多いです。その割にドラマに出てきません。

その理由は子供のいない貴人が多かったからです。有力な重臣の娘が政治的な理由で側室になると王の寵愛を受けられません。側室にも政略結婚で嫁がされたお飾りの側室はいたのです。実家の力で貴人になれても、原則として王子を産まないと嬪にはなれません。

漢の時代には皇后に継ぐ2番めの地位を貴人といいました。時代によって違いはありますが、古代中国では皇后や嬪に継ぐ地位の人が貴人と呼ばれることが多かったようです。朝鮮でも王妃、嬪の次の側室の呼び名になりました。

有名な貴人

仁祖 貴人趙氏貴人張氏、

 

昭儀(ソイ)正二品

貴人の次に偉い側室。側室全体では3番目。

古代中国の側室の呼び方 昭儀(しょうぎ)から。漢では「その儀を明らかにし尊重していること」から昭儀とよぶそうです。王朝によってはあったりなかったりします。比較的高めの側室が昭儀と呼ばれました。

有名な昭儀

粛宗 昭儀張氏 
世子(のちの景宗)を生む前の張禧嬪が昭儀。

 

淑儀(スグィ、スギ)従二品

側室では4番目に高い地位。
淑儀(しゅくぎ)も古代中国の側室の呼び方から。

有名な淑儀

粛宗 淑儀崔氏 
クム(のちの英祖)を産んだ淑嬪崔氏は最初は淑儀でした。「トンイ」でもクムを産んだあとはスギと呼ばれていました。

 

昭容(ソヨン)正三品

側室では5番目に高い地位。
昭容(しょうよう)も古代中国の側室の呼び方から。

有名な昭容

仁祖 昭容趙氏 歴史上は貴人趙氏として有名。清から戻った昭顯世子が死亡したのは趙氏が昭容だったころ。ドラマ「華政」ではチョ・ヨジョンは昭容のまま終わってしまいます。

 

淑媛(スグォン)従四品

古代中国の側室の呼び方から。朝鮮では側室の一番下の位。

尚宮や宮女から側室になった場合は淑媛から始まります。有力な重臣の娘が側室になった場合はもっと上の位から始まることもありました。

有名な淑媛

燕山君 淑媛張氏 三大悪女として有名な張緑水(チャン・ノクス)は妓生からいきなり側室になりました。当時としては異例の出来事でした。

 

尚宮(サングン)正五品

宮廷で働く女性(宮女・女官とも)の最高位。女性の管理職。
ここでは側室になる前の呼び方としての尚宮を紹介します。

宮女の中から王の寵愛を受けた場合は承恩尚宮(スンウンサングン)になります。ドラマでは特別尚宮と呼ばれることもあります。

子供が生まれないと側室にはならずに尚宮のままのこともありました。

宮女から側室になった人は一度は承恩尚宮になります。多くの承恩尚宮がいたことになります。ドラマでもよく登場します。

尚宮の出世の道?

側室になれなくても王の信頼を得た場合は尚宮の頂点に立つ提調尚宮、王のそばに仕えて王の言葉を伝える至密尚宮など、尚宮の中でも重要な地位を与えられることもありました。

光海君に仕えた金尚宮はこのような尚宮だったともいわれます。

 

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