哲仁王后 俺がクイーン!?は魂の入れ替わりこそ完全な創作ですが、哲宗と哲仁王后(金氏)など実在の人物が登場するドラマです。ではドラマはどこまで実話といえるのでしょうか?
この記事ではドラマと史実のズレを整理し、どこが作り話なのかを分かりやすくまとめました。
この記事で分かること
- 『哲仁王后』が実話ではない理由
- 史実の哲宗の実像とドラマの策士設定の違い
- 哲仁王后は史実どんなじんぶつだったのか?
- 外戚政治をドラマがどうどう作り替えたか
哲仁王后は実話?
『哲仁王后 俺がクイーン!?(Mr. Queen)』は実話ではありません。現代の男性(シェフ)の魂が王妃の体に入る、という話をみてもファンタジー要素が強いのが分かります。
でも登場する王と王妃は史実にいます。
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王:哲宗(チョルジョン)
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王妃:哲仁王后(金氏)
でもドラマの哲宗は史実とはかなり違います。此処から先は、ドラマと史実の違いを紹介。まずはドラマの登場人物で史実で存在する人、実在する人がモデルのキャラクターを紹介します。
モデルが実在登場人物
ドラマに登場する人物には実在の人物やモデルになった人が存在するキャラクターがいます。
王と王妃
哲宗(チョルジョン)|実在(朝鮮王朝25代王)
ドラマでの描写
表向きは穏やかな王。裏では宮中の権力者(外戚)に勝つための策を考え、密かに実行しています。
史実の哲宗はどんな王?
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即位:1849年。正祖の子孫ではなく、思悼世子の庶子の子孫。江華島で暮らしていたところを選ばれました。
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政治の実態:当時は王の妻の実家(外戚)が朝廷を動かす勢道政治の時代で特に安東金氏の影響が強い時代でした。
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後継問題:嫡子が育たず、哲宗の死後は後継選びが大問題になります(その結果、高宗が誕生)。
ドラマと史実の大きな違い
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ドラマは哲宗=影の策士として描かれます。
史実では政治の主導権を外戚や重臣に握られ、王の考えを政治に活かす事はできませんでした。
詳しくはこちらをご覧ください
→哲宗(チョルジョン)の韓国ドラマ「哲仁王后」での描かれ方と史実の違い
哲仁王后(チョルインワンフ/キム氏)
ドラマ内の呼び名はキム・ソヨン。
ドラマでの描写
現代男性の魂が王妃の体に入るというファンタジー。王妃が当時としてはあり得ない言動で宮中をかき回し。王とは最初は険悪でしたが、後に協力関係になります。
史実の哲仁王后はどんな人?
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出自:安東金氏。父は金汶根(キム・ムングン)。
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入内:1851年に王妃になります。
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子ども:1858年に王子(李隆俊/イ・ユンジュン)を産みますが、幼くして亡くなります。
ドラマと史実の大きな違い
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当然ですが魂の入れ替わりは創作。
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ドラマでは大活躍する王妃ですが、史実では本人の活動はほぼ伝わっていません。この時期の純元王后金氏、神貞王后趙氏、明成王后閔氏の影に隠れて目立たない存在です。
詳しくはこちらをご覧ください
→哲仁王后・安東金氏最後の王妃はひっそりと暮らした
外戚(安松金氏)
史実の安東金氏がモデル。純祖~哲宗時代に権力を握り勢道政治を行っていた一族。ドラマでは安東金氏ではなく安松金氏の設定。
大王大妃:純元王后(スヌォンワンフ)
- 史実の役割
安東金氏
純祖の正室、孝明世子の母、憲宗の祖母。
憲宗が後継を残さず亡くなった後、王位継承で影響力を持ち哲宗擁立に関わった人物。安東金氏が力を持てたのも純元王后の存在があったからこそ。 - ドラマでの描れかたと史実との違い
ドラマでは安松金氏の設定。「宮中の実力者」「黒幕側の中心」として描かれますが、最後は哲宗によって幽閉。 - 史実では最後まで力を失うことなく天寿を全うしました。
金左根(キム・ジャグン)
史実:要職を歴任し領議政を3回務めた大物です。
ドラマ:ドラマ開始時の役職は訓練大将ですが、姉の大王大妃とともに宮中を牛耳る大物として描かれます。
金汶根(キム・ムングン)
史実:哲仁王后の父。純元王后の親戚。
ドラマ:哲仁王后の父。物欲が強いところはあるが、娘思い。ソヨンの影響で改心し、最後まで生き残ります。
キム・ビョンイン
- ドラマ設定:金左根の養子で兵曹判書。王妃の従兄。ソヨンに恋しています。
- 史実の近い人物:金左根の養子・金炳冀(キム・ビョンギ)が立場的には一番近い。
- 王妃への恋愛感情・行動・結末は史実とは違います。金炳冀の立場を借りた架空キャラの要素が強いです。
詳しくはこちらをご覧ください。
→金炳冀は「風と雲と雨」ビョンウン、「哲宗王后」ビョンインのモデル
豊安趙氏
安松金氏と対立するもうひとつの名門。モデルは豊壌趙氏。
趙大妃:神貞王后(シンジョンワンフ)
- 史実の役割
豊壌趙氏
孝明世子(純祖の息子)の正室、憲宗の母。
哲宗が亡くなった後、次の王(高宗)を選ぶ決定に関わりしばらく影響力を持っていた人物です。 - ドラマでの描き方と史実の違い
祈祷や占い頼り、迷信を信じやすいところがあります。感情的になりやすく、なかなか濃いキャラ設定です。 - 史実でも豊壌趙氏の代表として宮中の安東金氏勢力と対立。特に純元王后亡き後は強い勢力を持ち、高宗即位に影響を与えました。
チョ・ファジン
- ドラマ設定:哲宗が即位する前からの恋人。哲宗の側室 宜嬪となります。
- 史実:哲宗の側室には豊安趙氏出身者がいました。
- ただし宜嬪にはなっておらず、王と深く愛し合っていたという話もありません。ほぼ架空の人物。
詳しくはこちらを御覧ください
→哲仁王后(チョルインワンフ)のファジンの最後はどうなる?
王の周辺
永平君(ヨンピョングン)
- ドラマ:思悼世子の庶子・恩彦君の孫。哲宗の異母兄。
護衛部隊を率います。 - 史実:永平君は実在。哲宗即位後に復活した宿衛所の役職に就いた記録があります。
- 哲宗が独自の力を持ち外戚勢力に対抗しようとしたのは事実ですが、ドラマほどの力はありませんでした。
時代背景:哲宗が即位したころの朝鮮とは
憲宗が跡継ぎを決めないまま亡くなると、宮廷はすぐに新しい王を選ばなければならなくなりました。
このとき純元王后は、自分の実家である安東金氏の力を手放さないために、すぐに動きます。
ライバル豊壌趙氏に先を越される前に、江華島でひっそり暮らしていた李元範を呼び寄せたのです。
元範は1849年6月、19歳という若さで王座につきました。これが哲宗です。
しかも純元王后(大王大妃)は「まだ若くて政治のことは何も知らないから」という理由を掲げて垂簾聴政を初めます。こうして宮廷の実権は安東金氏が握り続けることになりました。
哲宗は形の上では王でも、人事やお金の使い道を自分の意思で決めることはほとんどできません。
やがて王妃も純元王后の親戚から選ばれました。それが哲仁王后です。
哲宗は王なのに親戚の好き勝手な振る舞いを止めることさえ難しい。そんなもどかしい立場に置かれていました。
世の中では役人たちが私腹を肥やし、税の仕組みもどんどん崩れていきます。追い打ちをかけるように、洪水や日照り火事といった災難まで次々と襲いました。
食べるものがなくなって各地で人々が苦しみ、暴動が起きても朝廷は原因に目を向けようとしません。
哲宗には、それを抑え込む力ももう残されていなかったのです。ドラマはこうした「王が王として振る舞えない」窮屈な宮廷から始まるのです。
哲宗・哲仁王后年表
- 1831:哲宗が誕生
- 1837:哲仁王后が誕生
- 1849:哲宗が即位
- 1851:哲仁王后(金氏)が王妃になる
- 1858:嫡子が生まれる
- 1859:嫡子が亡くなる
- 1864:哲宗死去。高宗即位
- 1878:哲仁王后死去。
ドラマと史実の違い
ドラマは現代人がタイムスリップというだけでなく、史実と違う点がいくつもあります。
哲宗が“無能を装う改革派”として描かれる
- ドラマ:哲宗は操り人形に見せかけて内側で力を蓄え、腐敗勢力を倒して改革しようとします。
- 史実:哲宗は勢道政治(安東金氏の強い影響)の下で主導的に改革を進めた記録がほとんどなく、個人の力で腐敗をひっくり返せる状況ではありませんでした。
「王妃=相棒」みたいな共闘関係
- ドラマ:中盤以降は王妃(中身ボンファン)と哲宗が宮廷の陰謀に一緒に立ち向かう仲間として描かれます。、
- 史実:実際の夫婦関係は政略結婚でドラマのようなバディ感を裏付ける材料はありません。ただし、大王大妃や趙大妃のように自ら一族のために行動した記録もなく、あまり派閥争いには影響がない人物だったようです。
側室・後宮まわりの人物設定がかなり創作
- ドラマ:チョ・ファジンという入宮前から恋人がいます。入宮していきなり(宜嬪)になります。他に側室は描かれません。
- 史実:趙氏の側室はいましたが嬪ではなく、入宮前から哲宗と恋人関係だったという記録もありません。史実では哲宗には何人かの側室がいましたが。ドラマでは宜嬪しか登場しません。
ドラマは悪が倒れる爽快感が強い
- ドラマ:終盤では、権力を握っていた安松金氏が追い詰められ、王権が回復したように見える決着を迎えました。時代劇として気持ちいい終わり方になっています。
- 史実:安東金氏の前に哲宗は無力でした。安東金氏の勢道政治が崩れるのは哲宗の死後〜高宗即位のころ。大院君の登場以後です。
哲宗の最期・ドラマのその後と史実の差
- ドラマ:ドラマは夫婦で敵対勢力を倒し、権力を牛耳る安松金氏が粛清され大妃たちも幽閉。哲宗と哲仁王后(もとのソヨンが戻る)の新しい政治改革が始まります。
- 史実:ドラマとは正反対。哲宗は何もできないまま1864年1月16日に亡くなっています(34歳)。ただし純元王后は哲宗の在位中に死亡。安東金氏の勢力に陰りが見え始め、趙大妃の力が増大していきます。いずれにしても勢道家が牛耳って王が何もできない状態なのは変わりません。
哲宗が哲祖になっている
- ドラマ:最後。主人公が現代に戻って読んだ本には「哲祖実録」と書かれていました。この世界では王は改革を進めて朝鮮王朝を発展させ「哲祖」の廟号が与えられていました。
- 史実:もちろん実際には「哲宗」です。祖が与えられるような偉大な業績はありません。
つまり。ドラマの世界は我々が知る朝鮮王朝ではなくなっている。
最後にそれを匂わせるために、分かりやすい演出をした。
ということなのです。
ドラマ 哲仁王后で気になる点
大妃クラスの幽閉は危ない
ドラマ最終回で王側が勝ちました。
でもその勝ち方は、朝鮮の感覚で見るとかなり危ない面があります。
理由は単純です。
王室で序列が上の人を力で押さえつけると、あとで「道理に反する」と攻撃されやすいからです。過去にも光海君が大妃を幽閉し、それが後の政変で責められた例があります。
ドラマの哲宗(哲祖)ももし力が落ちたり、代変わりすると反対勢力の逆襲を受ける可能性があります。
もちろんドラマは史実の再現ではありません。ここは悪役を倒して終了という結末を分かりやすくするための演出と割り切りましょう。
歴史を変えたら現代はどうなる?
もし哲宗が「祖」がつくほどの業績を残して国を立て直したら、その先の歴史まで変わる可能性があります。
そうなると、主人公が戻る現代も別の姿になってもおかしくありません。もしかしたら大韓民国と北朝鮮が存在しない?別の国になってるかも?
それともやっぱり史実は変えられない?
でもドラマはそこを細かく説明しません。
最後に「哲祖」の存在が明かされ「歴史がズレたかも」と感じさせる演出はありましたが。ボンファンのいた世界は変わっているようには見えません。
ここは深掘りすると楽しいのですが。考え出すときりがないのでこの辺でやめておきます。あなたはどう思ったでしょうか?
FAQ
Q. 哲仁王后は実話?
実話ではありません。
魂の入れ替わりはドラマの設定ですし、哲宗の改革もありません。
Q. 哲宗と哲仁王后は実在する?
実在します。ただしドラマとはかなり違います。
Q. 最終回の哲祖実録は史実?
史実では哲宗実録です。ドラマの表記は演出です。

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