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金炳冀(キム・ビョンギ)は「風と雲と雨」ビョンウン、「哲宗王后」ビョンインのモデル

朝鮮重臣 5 李氏朝鮮の重臣

韓国ドラマ「風と雲と雨」のキム・ビョンウン(金炳雲)。「哲仁王后(チョルインワンフ)・俺がクイーン!?」の キム・ビョンイン(金炳仁) にはモデルになった人物がいます。

李氏朝鮮後期の政治家・金炳冀(キム・ビョンギ)です。

19世紀の朝鮮王朝で権力を牛耳った安東金氏の一族。領議政の金佐根(キム·ジャグン)の養子になりました。

哲宗時代に力を持ちました。

興宣大院君とは複雑な関係で、ドラマのようにはっきりと敵対しているわけではありません。

高宗時代になると興宣大院君の摂政に反対、左遷されて地方を転々としました。

史実の金炳冀(キム・ビョンギ)はどんな人物だったのか紹介します。

 

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金炳冀(キム・ビョンギ)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1818年
没年月日:1875年

名前:金炳冀(キム・ビョンギ)
本貫:新安東金氏
號:思穎(サヨン)
父:金泳根(キム·ヨングン)
養父:金左根(キム·ジャグン)
養母:尹致升の娘
妻:南九淳の娘。

子供:金容均(キム·ヨンギュン)

彼が生きたのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に24代憲宗、哲宗、26代 高宗の時代です。

日本では明治時代の人になります。

おいたち

1818年に誕生。
父は金永根。

金左近の養子になりました。

純祖の正室・純元王后の甥になります。

1847年。科挙に合格。様々な官職を経て正三品堂下官通訓大夫に昇進。

1848年に私服是正となりました。

哲宗の時代

1849年。哲宗即位後さらに昇進。成均館大師城となった後、従二位に昇進、礼曹参判、吏曹参判などを務めました。

1853年に総隆司、訓練隊長、吏曹判書、礼曹判書、刑曹判書、工曹判書など様々な役職を経験しました。

興宣君との関係

王族の興宣君は王族や両班たちのもとをまわって金品を要求していたりしていました。

多くの両班は興宣君を軽蔑し追い返していましたが、金炳冀の父・金左根は興宣君に金を与えていました。味をしめた興宣君はどんどん要求してきます。

興宣君は金炳冀に長男の李載冕を科挙で合格させて欲しいと頼んできたこともありました。金炳冀は興宣君を軽蔑して何も答えませんでした。

慶原君・李夏銓と慶平君・李寅應が流刑になった後。興宣君が長い間、趙大妃と会っていたことを知りました。興宣君は自分の息子を次の王にしようとしていたのです。

そこで金炳冀は興宣君の息子に王位継承権があることを認めました。

安東金氏によって有力な王族が粛清された後ということもあり。次期後継者になりそうな人がいないのも事実でした。興宣君は没落して力のない王族ですし、長男の李載冕は何度科挙をうけても不合格になる凡才でした。力も能力のない王族を王にして金氏一族から王妃を出せば安東金氏の世の中は続くと思っていたのでしょう。

趙大妃と興宣君が後継者に選んだのは興宣君の次男・載晃(高宗)でした。

哲宗が死去した時、李載冕はすでに成人していました。ところが趙大妃と興宣君が選んだのは、長男・李載冕ではなく。まだ子供で12歳の李載晃でした。

趙大妃と興宣君はまだ子供の李載晃を王にすれば自分たちが権力を握れると考えたのです。

金炳冀は後継者をめぐって趙大妃達と対立しました。

興宣君は安東金氏の金炳鶴の娘、または金炳文の娘のどちらかを李載晃の妻にすると約束。安東金氏の一部を懐柔するためだったと考えられます。ただし実行されませんでした。

金左根・金炳冀の力ではもう決定は変えられません。

 

高宗の即位後、地方に左遷

1863年12月。哲宗が死去。興宣君の次男・載晃(高宗)が即位しました。

高宗はまだ12歳だったので大妃趙氏が垂簾聴政をすることになりました。

ここまでなら想定内だったでしょう。

金左根・金炳冀を驚かせたのは興宣大院君(もとの興宣君)が摂政になることでした。

興宣大院君が思った以上にしたたかな人物だったことがわかり、興宣大院君が権力を握れば自分たちが危ないと考えました。

金左根・金炳冀親子と一族の金興根は興宣大院君の摂政に反対。でも趙大妃は金左根たちの反発を押し切って興宣大院君の政治参加を認めました。

朝鮮の朝廷を支配した安東金氏も軸になる金氏出身の王妃がいなくなると脆いもの。もともと金左根は安東金氏の中でも力をもっていた家なので一族からの妬みも多く。金氏内部で対立の原因にもなっていました。敵対していた勢力に寝返るものもいました。

落ち目になると急激に味方がいなくなるのは朝鮮の派閥の特徴です。金炳冀は安東金氏の没落を味わうことになります。

興宣大院君が摂政になると金炳冀は光州府留守に左遷されました。父の金左根は引退しました。

金炳冀は地方の役職を転々としました。

安東金氏の粛清を生き残る

興宣大院君は王族をないがしろにして権力を握っている両班が嫌いでした。勢道政治の中心になた安東金氏には敵意をもっていたので安東金氏はつぎつぎと粛清されました。

ところが金左根は貧しかったころの興宣君を援助していたので金左根・金炳冀が命を取られることはなく官職につくことができました。

でも金炳冀が興宣大院君を軽蔑しているのは変わりがなく。できるだけ興宣大院君を無視するようにしていたようです。

中央政界に復帰

1573年。高宗が自ら政治を行うようになり、興宣大院君が追放。閔妃の一族が政治の中心になりました。

金炳冀も中央政界に復帰。左賛成になりました。

1575年。死去。享年58.

 

事実はドラマほど単純ではありません

ドラマや小説では金炳冀は興宣大院君の敵として描かれる事が多いです。

でも貧しい頃の興宣大院君を援助していたのは金左根・金炳冀親子ですし。

金炳冀は興宣大院君を軽蔑しながらもあからさまな敵対行動はとっていません。

興宣大院君も金炳冀を地方に左遷して安東金氏を粛清しましたが、金左根・金炳冀親子の命は奪っていません。官職は与えてます。

お互いに軽蔑しながらも利用しあう関係でした。敵味方では割り切れないものがあります。

 

テレビドラマ

金炳冀(キム・ビョンギ)そのものがドラマに登場することはほとんどありませんが。アレンジされた人物がドラマに登場することはあります。いずれも朝廷を牛耳っているキム一族の有力者の後継者。主人公たちに敵対する人物として描かれます。

 

風と雲と碑 

役名:キム・ビョンウン(金炳雲)

演:キム・スンス 
2020年TV朝鮮

劇中のキム・ビョンウンは壮洞キム氏の首領キム・ジャグンの養子。史実の金炳冀(キム・ビョンギ)と同じ立場。でもドラマではあからさまに主人公たちやイ・ハウン(興宣大院君)と対立。キム・ビョンウンは悪役に徹しています。

安東金氏が壮洞キム氏になってます。

 

哲仁王后(チョルインワンフ)・俺がクイーン!?

役名:キム・ビョンイン(金炳仁)

演:ナ・イヌ
2020年tvN  

安松キム氏の首領キム・ジャグンの養子。ヒロインで一族のキム・ソンヨンに恋していて。哲宗をライバル視しています。

こちらのドラマでは安松キム氏の設定。

 

安東金氏の一族は今でも存在します。あからさまに悪役に描くとクレームが来るので変えているようです。

 

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