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純嬪 奉氏:同性愛で廃位された文宗の世子時代の正室とは?

純嬪 奉氏(ポンシ)は、朝鮮王朝 第5代国王 文宗がまだ世子だったころに世子嬪だった人物です。文宗の2人目の世子嬪でしたが、夫婦仲はうまくいかず、宮中での振る舞いも問題がありました。廃された最大の理由は同性愛者だったことです。

この記事では純嬪 奉氏の宮中での振る舞いや廃されるまでの経緯を紹介します。

この記事で分かること

  • 純嬪奉氏の出自と家系
  • 世子嬪に選ばれた経緯と夫婦関係
  • 宮中で問題とされた具体的な行動
  • 廃位の決定打となった宮女との関係

 

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純嬪 奉氏とは

プロフィール

  • 名前:奉氏(ポン)
  • 呼称:純嬪、廃嬪
  • 本貫:河陰
  • 地位:世子嬪(のちに廃位)
  • 生年:不明
  • 没年:不明

家族

  • 父:奉礪
  • 母:不明
  • 夫:文宗
  • 子:なし

 

 

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純嬪 奉氏の生涯

純嬪奉氏の一族

純嬪 奉氏の家系は河陰奉氏という一族です。

父親の奉礪(ピン・リョ)は、地方官である昌寧県監や、宮中の物資を管理する内贍寺の副責任者を務めた役人でした。

娘が世子嬪に選ばれた後、王族の家系図などを管理する宗簿寺の役職へ昇進しました。1436年の夏、旧暦の7月12日に病のためにこの世を去りました。

純嬪 奉氏の母親は不明です。

 

世子嬪になる

もともと世子李珦には世子嬪がいましたが呪詛を行ったため廃されました。そこで新しい世子嬪が選ばれること人理、1429年(世宗11年)旧暦10月15日。奉氏は世子嬪になりました。

世子とは疎遠だった

結婚後すぐに世宗は奉氏に『列女伝』を学ばせました。これは前の世子嬪が問題行動をおこなったので、今度は宮中の規範をしっかり身につけさせようとしたのです。

ところが奉氏は学び始めてまもなくその本を庭に投げ「これを学んでどうやって暮らせばよいのか」という意味の言葉を口にして学ぶことを嫌がったと言います。

世子との関係もうまくいってませんでした。奉氏は世子があまり通ってこないことを気にして世子に毎晩来てもらえるよう、宮中の女官に取次を頼んだり、世子が近くに来たのに自分の部屋へ入ってこないのを見て不満を口にしたこともあります。

世子の側室ができて更に疎遠に

夫婦関係はよくならないまま世宗は世子に側室を持たせることにしました。1431年に承徽 権氏ら三人が世子の側室に選ばれました。これ以後、奉氏はますます不安定になったとみられます。

1435年。世子の側室 承暉 権氏(後の顕徳王后)が子供を授かりました。子供がいない奉氏は自分の居場所が失われるのではないかと不安になり、周囲が驚くほど大声で泣き叫んだといいます。

この状況を見かねた世宗は「側室に子が生まれるのも喜ばしいが、正妻から世継ぎが生まれることこそが何より重要である」と言って、奉氏を大切にするよう言い聞かせたのです。その言葉を受けて世子が奉氏に歩み寄ろうとした時期もありました。

 

奉氏の問題行動

ところが奉氏はその後、想像妊娠になり後に「流産した」と嘘をつき、さらに身ごもっている承暉 権氏に嫌がらせを繰り返すなど、宮中を騒がせるような行動が目立つようになっていきました。

さらに後宮の女性たちの衣服を盗んで実家へ送ったこともありました。

世宗がのちに奉氏廃位の理由を説明した記録では、奉氏は酒が好きで部屋に酒を置いて大きな器で続けて飲み、ひどく酔うことがありました。侍女に背負わせて庭を歩かせたり、家から酒を持ち込んで好物を棚にしまって自分で出し入れして食べたこともあります。

そして世子への思いを歌にして宮女に歌わせたこともあります。

これら一つ一つは直接廃位の原因ではありませんが、こういった問題行動が積み重なって廃位の決定につながっていったと考えられます。

 

奉氏が廃位になった理由

宮女と同性愛の関係になる

そして廃位になった決定的な理由は宮女と関係を持ったことでした。

奉氏は宮女の召双を好きになり常にそばから離さなかったといいます。宮人たちは「二人はいつも寝所も住まいも共にしている」と噂していいました。

召双はもともと承徽 権氏の私婢だった端之と親しい関係にあり、一緒に寝ることもあったとされます。

奉氏は召双を自分のもとにしようとして別の奴婢に命じて後をつけさせ、端之と会えないようにしていました。

また、召双と一緒に寝るようになってからは侍女に寝具を片づけさせず、自分で布団や枕を片づけ、こっそり洗わせたことも記録されています。

さらに世子が召双本人に「本当に嬪と一緒に寝ているのか」と尋ねたところ、召双が「そうです」と答えたこともありました。

 

世宗が廃位の決定

こうした噂は世宗にも届きました。この件が宮中で大きな騒ぎになると、世宗は王妃とともに召双を呼んで事情を聞きました。そのうえで世宗は奉氏を廃する決定をしました。

世宗は「奉氏が宮中の女官と同宿したことはあまりに醜悪で、教書にそのまま書けない」と言って表向きの罪状としては嫉妬深いこと、子がないことなどを理由としてあげて廃位の教書を作れと命じたことが載っています。

つまり一番大きな廃位の理由は同性愛ですが、とても表沙汰にはできないので嫉妬や子がないことを理由にしたのです。

世宗18年旧暦10月26日、奉氏は正式に世子嬪を廃されました。世宗はその年の11月7日にも重臣たちに奉氏を廃した理由をあらためて説明しています。

廃されて宮殿を出た奉氏がその後どうなったのか、いつ死んだのかは分かっていません。廃位の少し前、父の奉礪は同じ1436年旧暦7月12日に病死しています。奉氏は父の死から数か月後に世子嬪の地位を失ったことになります。 

 

 

ドラマの純嬪 奉氏

  • 大王世宗 2008年、KBS 演:ヨ・ミンジュ 

ドラマ『大王世宗』でも、純嬪 奉氏は登場します。

登場時から気の強さと自己主張の強さが目立つ人物として描かれました。放送当時の記事でも、ヨ・ミンジュが演じる奉氏は物怖じせずはっきりした性格の人物として描かれています。

67話の世子との婚礼の場面ではしきたりに反して相手の新郎の顔を見る場面もあります。

廃位になった理由は史実と同じ宮女と関係を持ったことですが、その場面が露骨に描かれているわけではありません。

史実では噂が広まった後に世宗が奉氏を呼び出して尋問、廃位を決定しています。でもドラマでは奉氏が自分から世宗のもとに行って過ちを告白。自分から廃してほしいと訴えルン展開になっています。世宗が問題の宮女であるソッサンとタンジを探させると二人は宮中を去っていた、という流れになっています。

ドラマでは世宗の厳しさはできるだけ控えた演出になり、奉氏の意思で去ったということになっています。ドラマでは名君としての世宗を描く作品なので。奉氏の出番は少ないですが、奉氏がドラマに出ることはあまりないので貴重な場面と言えます。

 

 

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この記事を書いた人

 

著者イメージ

執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールページをご覧ください。
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