韓国歴史ドラマ「王女の男(原題:公主の男)」のヒロインはイ・セリョン。ヒロインのイ・セリョンが架空の人物なのは製作者側も語っているとおりです。王女の男は史実をモチーフに大胆なアレンジを加えたドラマなんですね。
でも、王女の男にはモチーフになる物語がありました。
朝鮮王朝末期の19世紀に書かれた「錦鶏筆談」という本に登場する世祖の長女「李世熺」と政敵・金宗瑞の孫息子の物語です。
その物語に登場する李世熺がイ・セリョンのモデルになった人物のようです。
李世熺とはどんな人物だったのか紹介します。
イ・セリョンのモデル イ・セフィ(李世熺)の史実?
いつの時代の人?
名前:李世熺(イ・セフィ)
父:世祖
母:貞熹王后尹氏
夫:金宗瑞の孫
子供:息子
彼女が生きたといわれるのは。15世紀、朝鮮王朝(李氏朝鮮)の5代国王文宗から7代国王・世祖の時代です。
日本では室町時代になります。
錦渓筆談に書かれた李世熺(イ・セフィ)の物語
5代王・文宗は病弱だったため2年で世を去ります。6代王となった端宗はまだ11歳。端宗の伯父・首陽大君が王位を奪って7代王・世祖になってしまいました。朝鮮史で有名な事件「癸酉靖難」がおきたのです。世祖は端宗を江原道へ流罪にして殺そうとします。
世祖の長女・李世熺は父の行いを批判しました。世熺は王宮から追い出されて系図からも名前が消されます。李世熺の母・貞熹王后は娘に危害が及ばないよいうに密かに娘を忠清道へ逃しました。
忠清道に到着した李世熺と乳母が休んでいると、一人の青年が通りかかりました。李世熺と乳母は青年の家に泊まることになります。やがて李世熺と青年は惹かれ合い結婚しました。結婚後、二人は自分の身の上話をしてお互いの素性を知って驚いてしまいました。その青年はかつて端宗に仕え、世祖によって殺害された金宗瑞の孫でした。金宗瑞の一族は皆殺しになりましたが、彼は留学中だったために無事だったのでした。彼が李世熺が首陽大君の娘だと知ったのも結婚した後でした。それでも二人は一緒に暮らしました。
やがて世祖は李世熺の居場所を知って都・漢城に戻るように命令しました。しかし李世熺は拒否、青年と一緒に暮らしました。
その後、年老いた世祖は自分によく似た少年を見かけます。調べてみるとその少年の母は世熺でした。世祖と世熺は再開し仲直りしました。その後も世熺は家族とともに幸せに暮らしました。
李世熺は実在の人物なの?
以上が錦渓筆談に書かれた李世熺の物語です。ところがこの話は後世に作られた物語だというのです。
26代王・高宗の時代、徐有英という人物が引退後、自分の故郷の錦渓という場所で書いた物語でした。世祖の時代から400年もあとになって書かれた話なのです。
李世熺は王の長女といわれています。しかも正室の産んだ娘(公主)であるにもかかわらず李氏朝鮮の公式な歴史書「朝鮮王朝実録」には一度も名前が出てきません。物語では世祖の命令で名前が消されたことになっています。でも、王朝時代には王は実録を見ることを禁止されていました。特定の人物の名前をすべて消すのは無理があるといわれています。
結局、この話は後世に作られた物語。李世熺は架空の人物だとされています。
世祖は尹氏と結婚して1男2女(息子・義敬世子、長女・名前不明、次女・懿淑公主)をもうけたといわれています。その記録が書かれたあと、次男(睿宗)が生まれました。
世祖が亡くなったあと書かれた記録では、世祖には2男1女(長男・義敬世子、次男・睿宗、娘・懿淑公主)がいたといいます。食い違ってる部分がありますが、両方を合わせると2男2女がいた可能性があります。
長男・義敬世子(若くして病死)
次男・睿宗(ドラマではスン)
長女・名前不明
次女・懿淑公主(ドラマではセジョン)
となるんです。
この名前の伝わっていない長女が李世熺のモデルになったといわれています。
さらに李世熺をモデルにしてイ・セリョンが作られたわけです。モデルになった人物そのものが架空の人物なんですね。
とはいってもドラマに登場する人物の多くは実在の人物。歴史上の事件を中心にして話が進みます。首陽大君が権力を握っていく様子が詳しく描かれており、ただの作話とは言い切れない部分があります。「王女の男」は歴史とフィクションが巧みに混ざったエンターテイメント作品になっているんですね。
テレビドラマ
王女の男 KBS、2011年 演:ムン・チェウォン
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