太宗 李芳遠(イ・バンウォン)は李氏朝鮮王朝の3代国王。
太宗 李芳遠はドラマに登場することも多い人物です。
そんなイ・バンウォンにも妻や側室、子どもたちがいます。
ドラマではあまり描かれませんが、実は太宗は側室と子供が多いのです。
そこで太宗の妻や側室をリストにしてみました。
太宗 李芳遠(イバンウォン)の生没年
太宗 李芳遠の生没年は
生年:1367年6月13日
没年:1422年5月30日
享年:56(数え歳)
妻や側室たちの年齢と比べると面白いかも知れません。
国王 在位期間
1400年~1418年(19年)
国王になる前から妾はいましたが、数は多くありません。
側室の多くは国王になってから後宮に迎えているようです。
上王在位期間
1418~1422年
太宗が退位後も側室たちは後宮にいました。
太宗時代の側室の特徴
側室の称号が後の時代と違う
この時代はまだ国ができてから年月があまりたっていません。太宗の時代は後の時代と制度が違う部分も多いです。
側室に 翁主、宮主の称号をもつ人がいるのも太宗時代の特徴です。
後宮も含めた様々な制度は7代 世祖までに完成。以後はあまり変化はありません。
王になって急に側室が増えたイバンウォン
太宗の側室には妓生出身だったり、未亡人もいます。地位が高くない臣下でも娘の評判が良ければ呼び出したり。
王になってからの太宗は手当たり次第。といったかんじです。
妻の閔氏がよほど怖かったのでしょうか?王になる前は控えていたのかも知れません。
燕山君も似たようなことをしています。でもあちらは暴君と罵られ。太宗は後宮関係では批判は受けません。功績が大きいからでしょうか。
まだ仏教には寛容だった時代
側室の中には太宗の死後に出家した人もいます。後の時代では考えられません。
後の時代には出家はできなくなりますが。この時代は仏教国だった高麗の伝統が残っているのでしょう。
仏教を信仰する妃嬪も多かったようです。
太宗 李芳遠(イバンウォン)の妻・正室
太宗 李芳遠(イバンウォン)の妻は生涯でひとり。
元敬王后 閔氏
(ウォンギョンワンフ ミンシ)
本貫:驪興閔氏(ヨフンミンシ)
生年 1365年7月29日
没年 1420年8月18日
享年 55歳
王妃在位:1401年1月24日~1418年9月
王大妃:1418年9月~1420年8月18日
地位:靖寧翁主→貞嬪→靜妃→王妃→王大妃
実家は高麗でも儒家の名門だった 驪興閔氏。
17歳のころ、将軍 李成桂(イソンゲ)の五男 李芳遠(イバンウォン)と結婚。
朝鮮建国後の権力争いでは閔氏と一族は靖安君 李芳遠を支え、神徳王后 康氏や鄭道伝と対立しました。鄭道伝の私兵廃止法に強く反対、閔氏は争いに備えて武器を隠し。太祖が病気になると夫に挙兵を促しました。
李芳遠が王に即位すると閔氏は王妃になりましす。ところが気の強い閔氏は多くの側室をもつ太宗と対立したり側室を迫害。
太宗は力を持つ閔氏一族を危険だと判断、閔氏の兄弟4人を処刑しました。
晩年は太宗とは不仲でした。世宗即位後は大妃になりましたが、2年後に死亡しました。
子供
譲寧大君 李褆
孝寧大君 李補
世宗 李裪
誠寧大君 李褈
貞順公主
慶貞公主
慶安公主
貞善公主
ドラマ
龍の涙 演:チェ・ミョンギル
大王世宗 演:チェ・ミョンギル
ポンダンポンダン王様の恋 演:イム・イェジン
六龍が飛ぶ 演:コン・スンヨン
太宗イ・バンウォン 演:パク・チニ
ミン氏は比較的、野心家みたいな描かれ方をすることが多い印象があります。
「六龍が飛ぶでは」バンウォンとあまり仲は良さそうではありませんでした。
「太宗 イ・バンウォン」では前半ではバンウォンとともに歩む姿が描かれます。後半は……
ドラマで最も印象深いミン氏といえば「イェジン」パク・チニ演じるミン氏ですよね。
太宗 李芳遠(イバンウォン)の側室
孝嬪 金氏
(ヒョビン キムシ)
生年:不明
没年:1454年
もとは元敬王后 閔氏の実家、閔家の家婢でした。李芳遠(イバンウォン)のお手つきになり後宮入り。身ごもりましたが、閔家の妨害に遭って命が危険にさらされたといいます。
李芳遠の初めての庶子・李裶を出産。「孝順宮主」の称号が与えられました。
端宗2年(1454年)に死亡。
高宗の時代に「孝嬪」の称号が与えられました。
ドラマ「太宗イバンウォン」に登場する側室キム氏は彼女がモデル。
子供
敬寧君 李裶
ドラマ
龍の涙 演:キム・ヘリ
大王世宗 演:キム・ソンソン
太宗イ・バンウォン 演:イ・ジュウン
信嬪 辛氏
(シンビン シンシ)
生年:不明
没年:1435年
本貫:寧越辛氏 閔氏
もとは元敬王后の婢女。15歳のときに太宗のお手つきになり、太宗2年に 諴寧君 李裀を出産。
長い間側室として冊封されておらず、太宗14年に信寧翁主になりました。理由はわかりませんが、元敬王后の反対があったからとも、辛氏の実家の地位が低かったからとも言われます。
太宗の寵愛を受け2男4女を出産。
臣下たちも太宗に意見するときは彼女に取り入ることがあったといいます。
太宗の死後は懿嬪權氏とともに出家して尼になりましたが、臣下たちの間で問題になりました。
子供
諴寧君 李裀
温寧君 李裎
貞静翁主
淑貞翁主
貞信翁主
淑寧翁主
昭信翁主
昭淑翁主
淑慶翁主
懿嬪 権氏
(ウィビン クォンシ)
生年:1384年
没年:不明
本貫:安東権氏
成均館楽正 権弘の娘。太宗は彼女の評判の高さを聞いて側室にしようと思いましたが。元敬王后 閔氏が側室が多すぎると反対。
そこで太宗は権氏を別宮に迎え入れ「貞懿宮主」としました。
元敬王后は怒ってしばらく太宗と会わなかったといいます。
世宗が即位すると彼女を「懿嬪」に昇格。
太宗の死後。懿嬪は信嬪辛氏とともに髪を落として出家。後宮で朝夕に読経していました。儒者からは評判悪かったのですが、世宗は彼女たちの行いをやめさせることはできなかったといいます。
子供
貞恵翁主
善嬪 安氏
(ソンビン アンシ)
生年:不明
没年:1468年
安義の娘。
入宮時期は不明。
世宗3年(1421年)に「淑善翁主」に冊封されました。
子供
恵寧君 李
益寧君 李袳
敬慎翁主
淑安翁主
昭嬪 盧氏
(ソビン ノシ)
生年:不明
没年:1479年
本貫:
盧亀山の娘。
太宗11年(1411年)に「昭恵宮主」になりました。
子供
淑恵翁主
明嬪 金氏
(ミョンビン キムシ)
生年:不明
没年:1479年
本貫:安東金氏
金九徳の娘。
太宗11年(1411年)に「明嬪」になりました。
貞嬪 高氏
(チョンビン コシ)
生年:不明
没年:1426年
子供
謹寧君 李襛
淑儀 崔氏
(スギ チェシ)
生年:不明
没年:不明
子供
熙寧君 李袉
徳淑翁主李氏(生没年不詳)
厚寧君 李衦
淑恭宮主 金氏
生年:不明
没年:不明
父は敦寧府事の金漸。
太宗11年(1411年)に淑恭宮主になりました。
太宗の退位後も後宮に居ました。父が罪を犯したため太宗の命令で後宮を出て実家に戻ります。大臣が金氏を後宮に戻らせよう上奏しましたが太宗は拒否。
その後、金氏は出家しました。
義貞宮主 趙氏
生年:不明
没年:1454年
入宮時期は不明。
世宗4年(1422年)に「貞懿宮主」に冊封されました。
恵順宮主 李氏
生年:不明
没年:1438年
世宗4年(1422年)に「恵順宮主」に冊封されました。
愼順宮主 李氏
生年:1390年
没年:不明
もと寡婦。33歲の時に入宮しました。
世宗4年(1422年)に「愼順宮主」に冊封されました。
恵善翁主 洪氏
生年:不明
没年:不明
もとは甫川の妓生 可喜児(カヒア)。歌と踊りが上手だったので太宗に気に入られました。
順恵翁主 張氏
生年:不明
没年:1423年
本貫:安東張氏
張思吉の娘。
西京翁主
生年:不明
没年:不明
太宗の即位前からの妾。
宮人 金氏
生年:不明
没年:不明
淑安翁主の母という以外不明。
子供
淑安翁主
宮人 李氏
生年:不明
没年:不明
厚寧君の母という以外不明。
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