朝鮮 仁祖 李倧(イ・ジョン)は李氏朝鮮王朝の16代国王。
王になる前は綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれていました。
クーデターを起こして光海君を廃位させ。16大国王になりました。
在位中には後金・清との戦いや、昭顕世子との葛藤があり。ドラマになることも多い王です。
そんな仁祖にも正室や側室、子どもたちがいます。
そこで仁祖の正室と側室をリストにしてみました。
ちなみに
仁祖 李倧の生没年は
生年:1595年12月7日
没年: 1649年6月17日
享年:53(数え歳)
在位期間
1623年~1649年(27年)
です。
仁祖の正室
仁烈王后 韓氏
(インニョルワンフ ハンシ)
本貫:清州韓氏
生年 1594年
没年 1635年
享年 42歳
王妃在位:1623~1635年
地位:淸城縣夫人→王妃
綾陽君の正室・淸城縣夫人
王になる前の綾陽君が質素な暮らしをしていた頃に支えました。
仁祖反正で王妃になりました。
仁祖が気に入らない意見を言った臣下を解任した時、それを嗜めることもありました。
昭顕世子、鳳林大君(孝宗)たちの母親。
末の息子が幼くした死亡した後、病になって死去。
子供
昭顕世子 李(1612-1645年)
朝鮮孝宗 李淏(1619-1659年)
麟坪大君 李㴭(1622-1658年)
龍城大君 李滾(1624-1629年)
公主(1626-没年不明)夭折。
大君(1628-1629年)
大君(1635-没年不明)夭折。
ドラマ
・華政(2015年)
登場回数は少ないものの、貞明公主の理解者のひとり。仁祖にも諫言する優しい王妃。
荘烈王后 趙氏
(チャンニョルワンフ チョシ)
本貫:楊州趙氏
生年 1624年
没年 1688年
享年 65歳
王妃在位:1639~1649年
地位:王妃→慈懿大妃→慈懿大王大妃
仁烈王后の死後、王妃に選ばれました。
15歳で王妃になりました。当時の仁祖は44歳。
仁祖は貴人趙氏に夢中で、仁祖からは相手にされませんでした。
粛宗の側室・張玉貞(張禧嬪)は慈懿大王大妃に仕える宮女でした。張玉貞を粛宗に引き合わせたのは慈懿大王大妃だったといいます。
子供
なし
ドラマ
・チャン・オクチョン -愛に生きる(2013年)
大王大妃。オクチョンを宮廷に戻す味方として登場。
・花たちの戦い 宮廷残酷史(2013年)
ヤムジョン(貴人趙氏)のライバル。王妃になったばかりの若い王妃。ヤムジョンに対抗しようとするものの、老練なヤムジョンにはかなわない。
・華政(2015年)
側室
貴人張氏
(クィイン シ)
本貫:徳水張氏
生年:不明
没年:1671年
仁祖十三年(1635年)入宮為淑儀[1],十六年(1638年)封昭儀,十八年(1640年)晉升為貴人,卒於顯宗十二年(1671年)。
貴人趙氏から贈られた毒まんじゅうを食べて流産したと言われます。
廃貴人趙氏
(ペクイン チョシ)
本貫:徳水張氏
生年:不明
没年:1652年
仁祖の寵愛を独占した側室。淑媛張氏を流産させ、昭顕世子・嬪宮姜氏夫妻も嫌っていて仁祖の前で二人をけなしたり、陥れたりしました。昭顕世子が死の直前に治療していた医者・李馨益(イ・ヒョンイク)は貴人趙氏の実家に出入りしている男でした。そのため昭顕世子は毒殺されたという疑惑があります。
金自點(キム・ジャジョム)とは姻戚関係でした。
孝宗の即位後、金自點とともに賜死させられました。
子供
孝明翁主(1637 – 1700年)
崇善君 李澂(1639 – 1690年)
楽善君 李潚(1641 – 1695年)
ドラマ
馬医(2012年)
1話に登場。昭顕世子暗殺を指示。
花たちの戦い 宮廷残酷史(2013年)
貴人趙氏が主役のドラマ。劇中の名はヤムジョン。宮廷残酷史のタイトル通り、貴人趙氏が次々と周囲の人を陥れ。徹底した悪役ぶりが描かれます。
華政(2015年)
後半の貞明公主のライバル。劇中の名はチョ・ヨジョン。史実と違い貴人になりません。
淑儀 羅氏
ほとんど記録がなく。
墓はあるものの詳しいことは不明。
淑儀 朴氏
ほとんど記録がなく。
詳しいことは不明。
尚宮 李氏
生年:不明
没年:1643年。
本名は李貞敏
仁祖21年(1643年)。趙貴人と争って呪詛をしたとして賜死。
宮人 李氏
本貫:固城 李氏
生年:不明
没年:不明
参判李成吉の娘。文字が読めるので宮人になり仁祖に仕えましたが。仁烈王后に嫌われて追い出されました。
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