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中国ドラマ「大明皇妃」26・27・28・29・30話あらすじとネタバレ

大明皇妃 過去作品

中国ドラマ「大明皇妃(だいみんこうひ) Empress of the Ming」のあらすじとネタバレを紹介します。

永楽(えいらく)帝は朱高熾(しゅこうし)から、財政が逼迫していることを理由に戦を中止するよう懇願されましたが、遠征に出かける決意をしました。

永楽帝に謀反をそそのかした張本人の姚広孝(ようこうこう)は孫若微(そんじゃくび)とともに山に登りました。そして自分の罪を償うため、二度と出られない山の洞窟に引きこもってしまいます。

「大明皇妃」のあらすじを紹介します。

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大明皇妃 の作品情報とキャスト

作品情報

原題:大明風華
英語:Ming Dynasty
製作:2019年中国
全62話

原作小説:「六朝紀事」
     出版時に「大明皇妃 孫若微伝」に改題。
原作者:蓮靜竹衣(本名:李卓)

キャスト

孫若微(そんじゃくび):タン・ウェイ(湯唯)
朱瞻基(しゅせんき):ジュー・ヤーウェン(朱亜文)
胡善祥(こぜんしょう):ドン・ジアジア(鄧家佳)
徐浜(じょひん):チャオ・ジェンユー(喬振宇)
永楽帝・朱棣(しゅてい):ワン・シュエチー(王学圻)
皇太子・朱高熾(しゅこうし):リャン・グァンホア(梁冠華) 
漢王・朱高煦(しゅこうく):ユー・ハオミン(俞灝明)
趙王・朱高燧(しゅこうすい):ルアン・ウォンフイ(欒元暉)

 

第26話 草原の覇者

永楽19年(1421年)。明は遷都を行い順天府(北京)が首都。応天府(南京)を副都にしました。

朱瞻基(しゅせんき)は正式に皇太孫に決まりました。胡善祥(こぜんしょう)は皇太孫妃に、孫若微は皇太孫嬪になりました。

永楽帝はモンゴル平原を明の領土にするため朱瞻基たちとともに親征しました。

ある日、北方へ進んだ明の軍営にオイラトの首領の孫・エセンがやってきました。永楽帝は朱瞻基に皇帝の衣装を着せ、自分の代役にしてエセンに会わせました。

エセンは皇帝の代役の朱瞻基の質問にもうやうやしく受け答えしました。

ところがエセンは本物の皇帝は、朱瞻基の隣にいた老兵だと見抜いていました。永楽帝はエセンの見る目の鋭さに驚きます。

エセンは軍を引き連れ去りました。

朱瞻基は後を追って、エセンと一騎打ちになりました。激しい戦いが始まった。戦いは朱瞻基が勝ってエセンは逃走。朱瞻基は後を追いませんでした。

勝利の報告が首都の皇太子・朱高熾のもとに届きます。しかし敵はオイラトだけでなくタタールやウリヤンハイ、アルクタイもいます。皇太子は他の部族の動きにも注意するようにと文を書きます。皇太子は遊牧民に英雄が現れ部族が団結することを恐れていました。

史実のエセンとはこんな人↓

エセン・タイシ(ハーン)オイラトの最盛期を作った遊牧民の王
エセン・ハーンはオイラト族の首長。 オイラトはモンゴル高原を本拠地にした遊牧民です。オイラトはチンギス・ハーンに協力してモンゴル帝国建国に協力したこともあります。そのためモンゴルの一部と言われることもあります。 エセン・タイシはオイラトの首...

 

第27話 友の正体

皇太子・朱高熾は、父・永楽帝の戦を思いとどまらせようと考えていました。しかし体調がよくない皇太子は倒れてしまいます。孫若微が侍医を呼ぼうとしますが、やめさせました。そして孫若微が字を書けるのを知り永楽帝への代筆を頼みます。

胡善祥は女官から胡尚儀(こしょうぎ)が北京へ来てから様子がおかしいとの報告を受けました。胡尚儀は横暴になって体罰をしているというのです。でも胡善祥は仕える者に問題があったら罰を与えるのは当然、と胡尚儀をかばいました。

でも心配になった胡善祥は胡尚儀のもとを訪れました。すると、そこには酒瓶をもって眠っている胡尚儀の姿がありました。そして蔓茵(胡尚儀)が恋しいと泣いていました。

そのころ。明の軍営では于謙(うけん)がいる天幕の外で明の兵が何者かに襲われていました。物音で目を覚ました于謙が様子を見に行くと1人椅子に腰かけるハシジュスを見つけました。于謙は逃げるよう声をかけますが、ハシジュスは自分の名はマフムード。オイラトの首領(エセンの祖父)だと名乗り、一緒にオイラトに行こうと手を差し伸べてきました。

于謙が断るとハシジュスは明の兵たちを斬って逃走しました。于謙はハシジュスがオイラトの者だったと朱瞻基に伝え、明の戦法を学んでオイラトに伝えたと話します。

その後の戦いで明はオイラトに苦戦。悪天候もあり多くの犠牲を出してしまいます。

 

ハシジュスのモデルになったマフムードはこんな人↓

マフムード|エセンの祖父はオイラトによるモンゴリア統一の基礎を作った
マフムードは14世紀末から15世紀ごろオイラトの首領。 オイラトはモンゴル高原の遊牧騎馬民族。かつてはモンゴルに従っていました。元が中原を失いモンゴル高原に撤退するとモンゴル高原では様々な部族による勢力争いが起こりました。 その中でモンゴル...

 

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第28話 隠された記録

皇太子・朱高熾が血を吐いて倒れました。侍医はこのまま体を酷使すれば命は長くないと言います。

楊士奇(ようしき)、楊溥(ようふ)、楊栄(ようえい)の3人は、朱高熾が重い病で寿命が長くないと知ります。侍医から診療録を受け取ると永楽帝に伝えると言いいながら隠しました。永楽帝には皇太子の病状が伝わらないようにしたのです。そして楊士奇たちは朱高熾に黙って漢王・朱高煦(しゅこうく)と趙王・朱高燧(しゅこうすい)の息のかかった兵たちは交代させて都から遠ざけてしまいます。漢王・高煦と趙王・高燧が謀反を起こすのを恐れたのでした。

一方、戦地では軍議が行われ永楽帝はタタールの本営を攻撃すると言います。でもなかなか作戦が進みません。苛立った朱瞻基は祖父のやり方に不満を言います。孫の態度に怒った永楽帝は、次の三峡での戦いには朱瞻基を先鋒にたつように命令します。

そして先陣をきって戦う朱瞻基ですが、戦場で負傷して・・・

第29話 雪中の戦い

三峡では明軍とオイラト軍が戦っています。

戦場で馬から落ちた朱瞻基にオイラトの兵が襲いかかりました。そこに聶興(じょうきょう)が現れました。聶興は朱瞻基を殺そうと襲いかかりますが、結果的にオイラトから朱瞻基を助ける形になってしまいます。

戦いの後、朱瞻基は両親宛ての私信と一緒に孫若微への文を送る。戦いで重傷を負った聶興は息をひきとりました。

その頃。宮中では皇太子・朱高熾の病状がさらに悪化していました。とうとう公務を執ることは困難になってしまいます。困った皇太子妃・張妍(ちょうけん)は戦場から朱瞻基を呼び戻すかどうか、胡善祥と孫若微に相談します。

孫若微は永楽帝に皇太子の病状を知らせるべきと言いますが。

胡善祥は永楽帝も長くないと思っているので、陛下も崩御したら朱瞻基が北京で即位できる。と言ってしまいます。その言葉を聞いた皇太子妃・張妍は怒りました。

一方、戦場では永楽帝が朱瞻基や于謙の反対を押し切り大砲隊を前進させると決めました。大砲が火を吹くとオイラトは後退。永楽帝はさらに大砲隊を前進させようとします。大砲隊の移動中に引き返してきたエセンたちに襲われて大砲隊は全滅してしまいます。

第30話 覚悟の選択

永楽帝の命令で大砲隊は移動。その途中に明軍はエセンの部隊に攻撃されて大量の兵を失ってしまいます。

永楽帝はそれでも後退を許さず「まだ勝つ機会はある、一歩もひかず全力で戦え」と命じるばかりでした。

戦いの後。永楽帝たちが本営に戻ると、金目のものは残っていましたが地図や戦いに役立ちそうなものが奪われていました。

永楽帝は自分の間違いを認め、どうすべきか于謙に訪ねます。于謙は撤退を進言します。

宮中では孫若微をとおして皇太子・朱高熾とやり取りするように言い。楊士奇たちを相手に政務を取り仕切っていました。

ある日。永楽帝はなかなか目覚めませんでした。医師が診察すると死期が近いといいます。永楽帝も自分の体の不調を感じとり、死期が近いと気づきました。そこで朱瞻基を呼び出して皇太子の病状が書かれた診断書を見せました。それとともに、かつて姚広孝が書いた予言書を見せ、身内で殺し合いをしないよう約束させました。

そして永楽帝は遠征先で寝込んでしまいます。

楊士奇が本営に呼ばれてやってきて永楽帝の病状が知らされました。安静にしていればあと2年はもつといいます。

そして皇太子が政務をとれないと思った永楽帝は「漢王・朱高煦を即位させたい」「皇太子一家は逃がすように」と言うのでした。

感想と解説

26~30話は永楽帝の最後の遠征のお話がメイン。

大元帝国(モンゴル)にライバル意識を持つ永楽帝は最後までモンゴルの攻略に執着しました。

ドラマでは「タタール」とか言われてるのが元(モンゴル)です。史実では元は北京を失いましたがまだ滅んでいません。でもかつてモンゴルに従っていたオイラト、ウリヤンハイ、アルクタイたちの部族が分裂。モンゴル高原は戦国時代みたいに部族がバラバラになっていました。

26話で皇太子が心配しているように。遊牧民は英雄的な人物がいると部族がまとまって強いです。でも強いリーダーがいないとバラバラになってしまうもろさがあります。だから周辺民族が団結しないように妨害し続けるのが中国王朝の重要課題でした。

というわけで。永楽帝が「モンゴルを叩くなら今」と思ったかどうかはともかく。異常なまでに戦いに執着しているのはそのため。

で史実同様、さんざん苦戦するわけですが。

明の記録ではここで永楽帝に撤退を勧めたのが孫の朱瞻基になってます。でも戦いのベテランの永楽帝が実戦経験のない孫の進言を聞くとは思えません。皇帝になった朱瞻基を英雄として描くための脚色だともいわれてます。実際には永楽帝自信の判断か周りの臣下が進言したのでしょう。

ドラマでは于謙が進言したことになってますね。

で、死期を悟った永楽帝は次の皇帝に「漢王・朱高煦」を指名。

って。それはないでしょう。

でも朱瞻基が皇帝になるのは1話でわかっています。

これからどういう流れになるのでしょうか?気になります。

 

中国ドラマ「大明皇妃」31・32・33・34・35話あらすじとネタバレ
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