中国ドラマ「長安賢后伝」の賀蘭綰音(がらん わんいん)にはモデルになった人物がいます。
ハルジョルです。
ハルジョルはモンゴル・ホルチン部首領ジャイサンの娘。
後に大清国皇帝ホンタイジの側室になりました。当時は10代後半で結婚するのが多かったのですが、ハルジョルは珍しく20代後半で結婚しています。そのため最初はホンタイジ以外の人と結婚していたと考えられています。
「長安賢后伝」は「孝荘秘史」のリメイク作品ですから。清朝の人物がモデルになっています。
賀蘭茗玉のモデルになったブムブタイとはどのような人物だったのか紹介します。
ドラマ「長安賢后伝」の賀蘭綰音
賀蘭 綰音(がらん わんいん)
演:劉萌萌(リウ・モンモン)
雍臨郡主→西斉世子妃→蕭承睿の関雎殿 貴妃
雍臨国の国王・賀蘭明晢の孫娘です。
賀蘭克用の妹。賀蘭茗玉の姉。
賀蘭芸琪の従姉妹。
賀蘭(がらん、ホーラン)という姓はもともと漢民族の姓ではなくて。騎馬遊牧民の鮮卑系の姓。唐朝時代に活躍した一族です。ドラマ「長安賢后伝」の国々は唐の時代風になってますから、当時活躍した一族の名を使っているようです。
雍臨国と西斉国の政略結婚で西斉国の世子・司徒昆に嫁がされました。ところが西斉国ではいじめをうけて卑屈な性格になってしまいます。
大晟国にやってきて蕭承睿の側室になりました。そして蕭承睿の五男を出産。第五皇子を太子にすることに成功しますが。幼くして他界してしまいます。賀蘭茗玉を恨むようになった賀蘭綰音はついに・・・
賀蘭綰音 のモデルになった ハルジョル
ハルジョル周辺の相関図
ハルジョルは1609年。モンゴルのホルチン部で生まれました。
満洲語で 翡翠(ヒスイ)を意味します。
一族のボルジギト氏はチンギス・ハーンの血を受け継ぐモンゴルの名門です。
父はモンゴル・ホルチン部の首領ジャイサン。母はボリ。
1634年に後金のヌルハチの第8王子ホンタイジの側福晋(側室)になりました。ホンタイジに嫁いだ時のハルジョルの年齢は26歳。当時の満洲では女性は10代半ばで結婚する人が多かったようです。当時としてはかなり遅いです。そこでハルジョルは再婚だったと考えられています。
ホンタイジのもとにはすでに叔母のジェルジェルと妹のブムブタイが嫁いでいました。大福晋(正室)がジェルジェルです。ブムブタイとハルジョルは側福晋(側室)です。
妹のブムブタイが先にホンタイジと結婚しました。当時はハルジョルが他の人と結婚していたからと考えられています。ドラマ等ではモンゴル・チャハル部に嫁いでいたことになってることが多いです。
ハルジョルがホンタイジのもとにやってきて次の年には東宮福晋になりました。中宮福晋(皇后)のジェルジェルの次に高い地位です。西宮福晋(第2側室)はブムブタイだったので、ホンタイジの後宮の上位三人がすべてホルチン・ボルジギト家出身者です。
ホルチン部はモンゴルの中で最初に後金に味方した部族です。ホンタイジはホルチン部をかなり重要だと考えていたようです。
事情はどうあれ。ホンタイジはハルジョルを大変気に入りました。
やがてホンタイジは後金から大清に国名を変えました。
ハルジョルには「宸妃」の称号が与えられ、関雎宮で暮らしました。
ホンタイジの後宮には5人の妃がいました。叔母で皇后のジェルジェルに次ぐ2番めの地位でした。
1637年。ホンタイジの第八皇子を出産。ところが皇子は1638年に死亡しました。数え年で2歳。
1641年。ハルジョルは病になり寝込んでしまいます。そのときホンタイジは明と戦っていました。戦場でハルジョル危篤の知らせを受けたホンタイジは急いで清の都に戻ってきました。ところが、ハルジョルはホンタイジが到着する前に死去してしまいます。
享年33。
ホンタイジは嘆き悲しんで夜も眠れなかったといいます。死後。ハルジョルには敏恵恭和元妃の諡が与えられました。
ドラマみたいにブムブタイとハルジョルが争ったとか、ブムブタイを毒殺しようとしたという話は記録にはありません。普通は後宮の争いは記録に残りませんから、よほどのことがない限りは中で様々なことがあったとしてもわかりません。姉妹の争いがあったのかなかったのか、いろいろ想像できますね。
ドラマのネタにしやすい人物かもしれません。
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