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孝閔皇后・元胡摩(げん こま)二人の兄と夫が廃位死亡した悲劇の皇女

6.1 北朝・魏・周・斉

孝閔皇后・元胡摩(げん こま)は北周の初代天王(皇帝)孝閔帝宇文覚の王后(皇后)。

元皇后ともいいます。

西魏皇帝 文帝・元宝炬(げん ほうきょ)の娘です。

元皇后は元氏の皇后という意味なので、元皇后と呼ばれた人は他にもいます。紛らわしいので歴史上は孝閔皇后とよぶのが一般的です。

元胡摩の兄は西魏皇帝 廃帝・元欽と恭帝・元廓、夫は北周天王の孝閔帝・宇文覚。3人とも宇文家の者に廃位・殺害されました。

史実のは孝閔皇后・元胡摩(げん こま)どんな人物だったのか紹介します。

 

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孝閔皇后・元胡摩の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:616年

称:元(げん)→拓跋(たくばつ)
名:胡摩(こま)
称号:晋安公主→孝閔皇后
地位:西魏公主→北周皇后
父:文帝・元宝炬(げん ほうきょ)
母:不明
夫:孝閔帝宇文覚

子供:なし

彼女は

日本では飛鳥時代になります。

おいたち

本名は元宝炬(げん ほうきょ)

父は西魏皇帝・文帝 元宝炬(げん ほうきょ)
西魏の皇族・元氏は拓跋鮮卑の名門。
祖先は拓跋(たくばつ)氏を名乗ってました。

拓跋(たくばつ)氏は北魏を建国。その後、北魏は東魏と西魏に分裂。

534年。元宝炬は北魏の孝武帝・元脩が宇文泰に毒殺された後、担がれて皇帝になりました。

元 胡摩(げん こま)は宝炬の五女として生まれました。
生年は不明です。
三女の廣寧公主が543年生まれなのでそれよりは後でしょう。

晋安公主になりました。

西魏の皇帝は文帝 元宝炬ですが、宇文泰(うぶん たい)が権力を握っていました。

西魏の皇帝は宇文泰たち軍閥が担いでいる皇帝だったのです。

549~50年ごろ。宇文泰の嫡子・宇文覚(うぶんかく)がわずか7歳(9歳の説もあります)で略陽公になりました。

このとき宇文覚は元宝炬の娘・元胡摩を宇文覚に嫁がせるように約束させます。

元宝炬には何人も娘がいました。元胡摩が選ばれたのは未婚で宇文覚と同じくらいの年齢だったからでしょう。宇文覚と婚約したときの元胡摩の年齢はどんなに高く見積もっても7歳。もっと若かった可能性が高いです。

幼い元胡摩は宇文覚の妻になりました。といっても二人ともまだ子供なので形だけの夫婦です。

551年。父の文帝 元宝炬が死去。
異母兄・元欽(げん きん)が皇帝になりました。

554年。ところが元欽は宇文泰と仲が悪く廃位されてしまいます。元欽は廃位の後、殺害されました。諡はないので廃帝と呼ばれます。

宇文泰は、元欽の異母弟の恭帝・元廓(げん かく)を即位させました。

元廓は元胡摩の異母兄です。

姓は元?拓跋?

北魏・西魏は遊牧民族の鮮卑(せんぴ)が造った王朝でした。北魏の時代に漢風文化にあこがれて姓を強制的に漢風の一字姓にしていました。

宇文泰は鮮卑文化を復活させようとします。姓を一字姓から鮮卑姓に戻しました。

西魏皇帝一族の姓は「元」から「拓跋」に戻りました。

元廓(げん かく)は 拓跋廓(たくばつ かく)になります。

元 胡摩(げん こま)は歴史書では元胡摩と書かれることが多いのですが。実際には 拓跋 胡摩(たくばつ こま)になったはずです。

同じように
劉氏は 独孤(どっこ)。
李氏は 大野(だいや)。
楊氏は 普六茹(ふりくじょ)になりました。

李氏と楊氏は後に新王朝を建てたときに漢人を名乗り姓を一次姓に戻し。祖先が鮮卑だったことは隠しました。

実家の元(拓跋)家の王朝が滅びる

556年 宇文泰が死去。夫・宇文覚が太師・大冢宰を継ぎます。でも宇文覚はまだ16歳。

宇文泰は死の間際、若い息子たちを心配して宇文護にあとを任せてました。

宇文泰の死後は宇文護が実権を握っていました。

557年2月(旧暦1月)。宇文護がクーデターを起こしました。
宇文護は恭帝・元廓を譲位させ、宇文覚に皇位を継がせました。

夫の宇文覚が北周の天王(皇帝)に即位。

胡摩は王后になりました。

拓跋廓はその後、殺害されました。

皇帝(天王)が異母兄から夫に変わりました。自分の地位は王后(皇后)になりましたが。元(拓跋)一族は皇族ではなくなりました。複雑な心境だったでしょう。

短い在位期間

ところが16歳とはいえ気の強い宇文覚は宇文護に権力を握られているのが気に入りません。側近を集めて宇文護を排除しようとしました。ところがその動きは宇文護にばれてしまいます。

557年10月ごろ。宇文覚が宇文護によって廃位されました。宇文覚は幽閉されて自害(もしくは殺害)されます。

夫が廃されると胡摩は出家して尼になりました。胡摩の年齢は不明ですが宇文覚とあまり変わらないはずなので15歳前後だったはずです。

572年。武帝・宇文邕(うぶん・いく)が宇文護を殺害しました。

亡き夫・宇文覚に「孝閔帝」の尊号が贈られました。
胡摩は「孝閔皇后」とされて、崇義宮に移り住みました。

 

北周が滅びて随が建国

581年。楊堅がクーデターを起こして隋を建国。

宇文家も皇族ではなくなりました。

胡摩は宮廷を出て里邸に移り住みました。

616年。死去。

詳しい享年は不明ですが70歳前後でしょう。

父・元宝炬(げん ほうきょ)は宇文泰に担がれて西魏の皇帝になりました。
その後、父のあとを継いだ兄・元欽は宇文泰に廃位されて殺害されます。

宇文泰に担がれた兄・元廓(拓跋廓)は西魏の皇帝になりました。

元廓は宇文護に廃位されてその後殺害されます。

かわりに夫の宇文覚が皇帝になりました。

でも1年もたたないうちに宇文覚が廃位されて自害(殺害)させられます。

宇文家の王朝も楊堅によって打倒されました。

元 胡摩は一生の間に2人の兄と夫が廃位・殺害されるのを見てきました。王朝が変わるたびに元(拓跋)家は宇文家に粛清され、宇文家は楊家に粛清されました。権力争いの中で親子兄弟そろって利用されることの多い人生でした。

晩年は宮廷の争いとは無縁の世界でひっそりと生きました。

 

ドラマ

独孤伽羅 2018年、中国 役名:元皇后 演:楊采盈

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