元嵩(げん・すう)は5世紀末から6世紀はじめの北魏の皇族。
北魏は鮮卑の拓跋氏が作った国です。
元嵩も鮮卑人です。
鮮卑はかつてはモンゴル高原の東にいた騎馬遊牧民族ですが、中原にやってきて王国を作るようになりました。
7代 孝文帝、8代 宣武帝の時代に活躍して歴代皇帝からも信頼の高い人物でした。
南朝側の斉や梁との戦いでも手柄を立てています。
史実の元嵩はどんな人物だったのか紹介します。
元嵩の史実
いつの時代の人?
生年月日:469年
没年月日:507年
姓 :拓跋(たくばつ)→ 元(げん)氏
名称:嵩(すう)
字:道岳
国:北魏
父:拓跋雲(任城王)
母:不明
妻:穆氏
子供:元世賢、元世俊、元世哲
彼が活躍したのは北魏の7代皇帝 孝文帝~8代皇帝 宣武帝の時代です
日本では古墳時代になります。
おいたち
拓跋(元)嵩は469年。洛陽で誕生。
父は北魏の皇族・任城王 拓跋雲(たくばつ・うん)
母は不明。
元嵩は 任城王 拓跋雲の次男です。
471年。北魏の孝文帝が即位。
孝文帝の時代
元嵩は歩兵校尉になりました。
493年(太和17年)。孝文帝は馮太后の影響もあり北魏の漢化政策を進めました。遊牧民族の習慣から漢人のような文化に変えていきました。孝文帝は鮮卑人も漢式の姓を名乗るよう命令。皇族の拓跋(たくばつ)氏は 元(げん)の姓を名乗ることになります。
元嵩も生まれた頃は「拓跋嵩」だったはずですが。成人して活躍する頃には「元嵩」を名乗っていました。
494年(太和18年)。安定王 拓跋休が死去。このとき安定王の死後100日を待たずに狩りに出かけました。喪の期間を破って狩りをしていると聞いた孝文帝は激怒。元嵩は役職を解任されました。
その後、元嵩は沔北平定の戦いなどで手柄をたてて「左中郎将」に任命されました。「武衛将軍」も兼任しました。
495年(太和19年)。魏孝文帝は南の斉に遠征しました。咸陽王 元禧、彭城王 元勰、元嵩、元麗、廣陵侯 元燮、都督大将軍劉昶、王肅、楊大眼、奚康生、長孫稚たち36人の諸将が遠征に加わりました。
元嵩はこの中でも特に勇敢に戦い手柄を立てました。孝文帝は喜んで「任城康王はよい息子に恵まれた。文武の才能は都の人々の中でも抜きん出ている」と褒め称えました。
元嵩は「高平縣侯」の爵位を与えられ褒美をもらいました。
499年(太和23年)、孝文帝が南朝斉を討つと、元嵩は南朝斉の陳顕達の軍を撃破し、功績により高平県侯の爵位を受けた。
馮皇后(孝文幽皇后)の死を伝える伝令
孝文帝の正室は二人目の馮皇后(孝文幽皇后)でした。
孝文幽皇后は馮太后(文成文明皇后)の姪です。
孝文帝をそそのかして妹の孝文廃皇后を宮中から追い出したり。孝文幽皇后は孝文帝の側室・高照容を殺害したと噂されます。遠征すると高菩薩たちと不倫しました。また義理の妹で夫が死んだばかりの彭城公主を自分の同母弟の馮夙と勝手に結婚させようとしました。孝文帝は遠征先でその話を聞くと、戻って孝文幽皇后を幽閉しました。
499年(太和23年)。孝文帝は斉を討つため遠征。元嵩も遠征に同行しました。
孝文帝は遠征先で病気になり。死の前に自分が死んだら妃嬪たちは家に戻し、孝文幽皇后は殉死させ合葬させるように遺言を残しました。
この重大命令を誰が都に伝えるか問題になりました。すると孝文帝は「元嵩は期待に応えてくれる。だから元嵩を使者にする」と元嵩を呼んで命令しました。
孝文帝の死後。元嵩は遺言をもって都の洛陽に向かい孝文幽皇后に賜死の命令を伝えました。でも孝文幽皇后は拒否しました。孝文帝の弟・北海王 元詳が説得しますが嫌がって逃げ回りました。そこで皆で取り押さえて無理やり毒を飲ませ殺害しました。
その後。宣武帝が即位しました。
宣武帝の時代
元嵩は武衛将軍、侍中を兼任。
平南将軍・荊州刺史になりました。
元嵩は南斉の一族内の争いを利用。蕭宝巻兄弟を味方にして蕭衍を討つ作戦を立案。宣武帝は「これは良い作戦だ」と褒めて作戦実行を認められました。
ところが実行に移す前に蕭衍(しょう・えん)が建康を占領したので中止になりました。
蕭衍は斉の蕭宝融(和帝)から皇帝の座を奪い「梁」の建国を宣言。南朝 梁の誕生です。
元嵩は平北将軍・恒州刺史になりました。
その後も平東将軍・徐州刺史、安南将軍・揚州刺史を務めました。
505年(正始2年)。南梁が各地に軍を進め北魏の陸城を包囲ししました。
元嵩は南梁軍との戦いを指揮。南梁軍を撃退します。
こうして北魏のために活躍していた元嵩でしたが。その死は突然やってきました。
507年(正始4年)3月。元嵩は、蒼頭の李太伯たちによって、妻の穆氏や子の元世賢とともに殺害されました。享年39。
なぜ殺害されたかは不明です。
宣武帝は元嵩のために葬儀を行い、車騎将軍・領軍の位を与えました。
テレビドラマ
楚喬伝 2017年、中国 演:牛駿峰
楚喬伝は西魏時代が舞台になっているので北魏時代に生きた史実の元嵩とは違います。西魏も北魏も正式な国名は「魏」。後の時代の人が勝手に区別しているだけなので国は続いています。
元嵩は魏の皇族の中ではわりと有名で、活躍したのに謎の最期を遂げている人物。ドラマのキャラクター設定を作るときに参考にしているようです。
楚喬伝の元嵩は魏皇帝の13皇子。明るい性格で楚喬のことが好き。燕北との戦いの中で燕洵によって斬られます。楚喬に助けられますが、命は助かりませんでした。
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