元貞太后独孤氏は唐の皇帝の母

2019年8月29日

元貞太后は古代中国・唐の初代皇帝高祖の母。

中国ドラマ「独孤伽羅(どっこから)」では独孤曼陀(どっこ ばんた)の名前で登場します。

独孤伽羅の姉になります。

歴史上は元貞太后独孤氏と呼ばれます。

元貞太后(げんていたいこう)の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:不明

名前:独孤 (どっこ)名は不明。
諡号:元貞太后
父:独孤信
母:?
夫:李昞(り・へい)
子:李淵(り・えん、唐の初代皇帝・高祖)、同安公主

北周の二代皇帝・明帝(宇文毓)の后です。

日本では飛鳥時代になります。用明・崇峻・推古天皇の生きた時代とほぼ同じです。

おいたち

元貞太后がいつ生まれたのかはわかりません。

父は北周の大司馬(軍事を司る長官)独孤信(どっこ しん)。独孤(どっこ)一族は遊牧民族・匈奴(きょうど)の流れをくむ一族。戦いが得意な武門の家柄でした。父・独孤信は軍人たちを率いる重鎮でした。独孤信は有力な一族に娘を嫁がせ影響力を強めていました。

独孤氏(元貞太后)は独孤信の四女でした。姉には北周の明帝の后・献皇后、妹には随の皇帝・楊堅の后になった独孤伽羅がいます。

西魏の武将、李虎(り・こ)の息子・李昞(り・へい)と結婚。李虎は北周の建国に参加して柱国大将軍となりました。李家は北魏では皇后を出せる資格のある家とされ、北朝では名門でした。李昞も北周に仕え・安州総管になりました。父の死後、北周の柱国大将軍になっています。独孤信も柱国大将軍だったので、北周での家格は李家と独孤家は同じくらいだったようです。

独孤氏がいつ李昞(り・へい)と結婚したのかはわかりません。

独孤氏は気難しい娘だったようです。

566年。李淵(り・えん)が生まれました。

子の李淵は随の初代皇帝・文帝の信頼を得て出世します。文帝の信頼を得られたのは李淵の母が文帝の后(独孤伽羅)の姉妹だったからです。

567~573年の間に娘の同安公主が生まれました。

572年。夫の李昞が死亡。

独孤氏は晩年に病になりました。闘病生活は長かったようです。ところが病になっても独孤氏は気難しい性格はかわりません。李家の侍女たちは独孤氏を恐れて誰も看病しようとしません。ところが李淵の妻・竇夫人だけは独孤氏を熱心に看病しました。竇夫人は独孤氏から高い評価を得ます。李淵と竇夫人の間に生まれたのが後に唐の2代皇帝になる李世民です。

独孤氏がいつ死亡したのかはわかりません。

618年。李淵は皇帝になり唐を建国しました。李淵は母に元貞皇后の称号を追尊しました。


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