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洪啓禧(ホン・ゲヒ)イ・ソン思悼世子を陥れた老論派の重臣

朝鮮重臣 5 李氏朝鮮の重臣

韓国時代劇「秘密の扉」に登場する洪啓禧(ホン・ゲヒ)は実在の人物。

英祖の時代に役人になり、英祖に仕えた人物でした。老論派に所属し、当時老論派の中心人物だった金尙魯(キム・サンノ)とも親しかったと言われます。

金尙魯らとともに、正祖の父イ・ソン思悼世子(サドセジャ)を陥れた人物といわれます。

洪啓禧(ホン・ゲヒ)は朝鮮通信使の正使として日本に来たこともある人物です。

史実の洪啓禧(ホン・ゲヒ)どんな人物だったのか紹介します。

 

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洪啓禧(ホン・ゲヒ)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1703年
没年月日:1771年

名前:洪啓禧(ホン・ゲヒ)
本貫:南陽洪氏
派閥:老論派

父:ホン・ウゼン

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の21代英祖の時代です。

日本では江戸時代の人になります。

 

洪啓禧(ホン・ゲヒ)のおいたち

 

1737年 科挙の別試に合格。
別試とは定期的に行っている科挙とはことなり臨時で行う試験のことです。

地方の役人を勤めました。

中央にあがり吏曹参議(正三品)になりました。

1748年(英祖24年)。江戸幕府9代将軍徳川家重の将軍就任を祝う通信使節の正使となり、日本に行きました。

1749年(英祖25年)。忠清道観察使になりました。観察使とは地方の役所を不正がないか調べる役職です。

1750年(英祖26年)。観察使の仕事が評価され、兵曹判書になりました。

ドラマ「秘密の扉」で有能な役人といわれているのは、これらの実績があるからのようです。

英祖が進めていた均役法の実施に取り組みました。

均役法とは英祖が進めていた税制改革のひとつ。民衆の義務として軍布という税を治める制度がありました。貧しい農民の負担が増えることから軍布を減らしました。減収した分は、両班や地主に治めさせました。しかし地主は小作人に負担を押し付けたため、結局は小作人の負担が増えるという結果になりました。

均役法を実行する役目についたのが洪啓禧です。

1762年(英祖38年)。洪啓禧は老論派の金尙魯(キム・サンノ)、洪麟漢(ホン・インハン)らとともに思悼世子の悪癖を誇張して英祖に伝え英祖と思悼世子の対立を煽りました。

1771年(英祖47年)。死去。享年68。

1776年(正祖即位年)。正祖が即位すると思悼世子を陥れた人物として金尙魯とともに追誅され、官職を剥奪されました。

1777年(正祖1年)。息子のホン・ギェヌンが護衛の武官を買収して正祖の暗殺を企みましたが、暗殺は失敗。ホン・ギェヌンは死刑になりました。

テレビドラマ

秘密の扉 2014 SBS 演:チャン・ヒョンソン

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