孝嬪 金氏(ヒョビン キム氏)は15世紀の朝鮮に実在した人物。
孝順宮主ともいいます。
3代朝鮮国王 太宗 李芳遠(イ・バンウォン)の側室です。
ドラマ「太宗 イバンウォン 龍の国」にもバンウォンの寵愛を受ける側室ミン氏として登場します。
孝嬪/孝順宮主はもとはイバンウォンの妻・閔氏の実家に仕える侍女でした。
太宗即位後に側室になり、息子も誕生しました。ところがもとの主の王妃閔氏からは虐待を受けることもあったようです。
史実の孝嬪・孝順宮主はどんな生涯をおくったのか紹介します。
孝嬪 金氏(ヒョビン キム氏)の史実
プロフィール
生年月日:不明
没年月日:1454年4月2日
姓:金(キム)
名:不明
称号:孝順宮主 → 孝嬪
本貫:不明
父:不明
母:不明
兄:和尚
夫:太宗
子供:敬寧君 李裶
孝嬪 金氏(ヒョビン キム氏)の生涯
ミン氏の家婢だった
孝嬪 金氏の生年は不明。
元敬王后の実家・閔家の家婢でした。
両親は不明ですが。兄に和尚(ファサン)がいたといいます。
李之蘭(イ・ジラン)の息子にも和尚(ファサン)という名の人物がいますが別人。
李芳遠(イ・バンウォン)の妻・閔(ミン)氏に仕えていたようです。
ミン氏の自決を思いとどまらせる
第2次王子の乱のとき。
靖安君 李芳遠(チョンアンクン イバンウォン)の馬が靖安君を乗せずに戻ってきました。
妻の閔氏(元敬王后)は夫が死んだと思ったと思って自決しようとします。そのとき金氏したち侍女が閔氏に自決を思いとどまるよう説得したと太宗実録には書かれています。
太宗の時代
太宗の側室 孝順宮主になる
1400年。李芳遠(イ・バンウォン)が朝鮮国王 太宗に即位。
金氏の主人・閔氏は王妃(元敬王后)になりました。
時期はわかりませんが、金氏も側室になります。
閔家の家婢だった金氏に李芳遠がいつの間にか手を付けたのかもしれませんし。
李芳遠(イ・バンウォン)が前から目をつけていて、王になった機会に側室によんだのかもしれません。
金氏は孝順宮主の称号を与えられました。
太宗の庶長子敬寧君李裶を出産
1402年(太宗2年12月13日)。息子の敬寧君 李裶を出産しました。
李裶は太宗の庶子の中では最年長です。
ところが孝順宮主の出産を知った元敬王后とその兄弟たちは金氏に危害を加え、母子を死の危険にさらしたといいます。
後に太宗は元敬王后の弟・閔無恤と閔無会を粛清したとき。「敬寧君母子の命を危うくした罪」を追求。閔無恤と閔無会を処刑する罪のひとつに加えました。
孝順宮主はその後も生きて6代 端宗の時代まで行きました。
50年以上後宮にいたことになります。
1454年(端宗2年2月26日)に死亡。
太宗の時代からいるので70歳くらいになっていたでしょう。
京畿道九里市阿且山のふもとに埋葬されました。
朝鮮王朝実録には品階を受けた記録はなく。ただ敬寧君の生母「金氏」と記録されています。
この時期はまだ後宮の階級制度が整備されていなかったので、のちの時代の側室の格付けの仕方とは違います。
王妃閔(ミン)氏は嫉妬深く、側室の任命などにも反対することがあったようですから。太宗も思うように側室に称号や品階を与えることができなかったのかも知れません。
1872年(高宗9年)。正一品 孝嬪(ヒョビン)に追贈されました。
孝嬪金氏が登場するテレビドラマ
龍の涙 KBS、1996 演:キム・ヘリ
大王世宗 KBS、2008 演:キム・ソンリョン
太宗イバンウォン KBS、2021~2022 演:イ・ジュウン
「太宗 イバンウォン」では太宗イ・バンウォンの側室キム氏の名前で登場。太宗の寵愛を受ける側室として描かれています。
キム氏の寵愛ぶりに王妃ミン氏が起こり、中宮殿で王妃ミン氏がキム氏にお仕置き。それを知った太宗が怒る場面があります。
その後も、キム氏の妊娠がわかるとミン氏の母たちが危害を加えようとしました。
王に即位後のイバンウォンには多くの側室がいたはずですが、ドラマではあまり登場しません。キム氏が側室を代表する存在になっているようです。
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