李仁任(イ・イニム)は高麗末期の政治家。李成桂(イ・ソンゲ)の最大の政敵とされ、奸臣ともいわれます。
李仁任は権門勢族とよばれる高麗に仕えた貴族の首領でした。高麗末期には権門勢族は富や権力を独占し高麗朝廷は腐敗が進んでいました。元にかわり力を伸ばしていた明を警戒し、親元的な立場をとりました。
新興勢力の李成桂たちと対立し、敗れて追放されます。
ドラマ「六龍が飛ぶ」ではイ・インギョムのモデルになった人物です。
史実の李仁任(イ・イニム)はどんな人物だったのか紹介します。
李仁任(イ・イニム)の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:1388年
名前:李仁任(イ・イニム)
父:李褒
彼は高麗の恭愍王の時代です。
日本では室町時代になります。
おいたち
1359年。元で起きた反乱軍・紅巾賊が高麗に侵入。叔父のイ・スンギョンとともに紅巾賊の侵入を防ぎ、一等功臣になりました。
1364年(恭愍王13年)。元の援助をうけた崔濡(チェ・ユ)が、德興君を担いで高麗に攻めてきました。撃退に向かった崔瑩(チェ・ヨン)たちのため兵糧の調達を担当しました。
辛旽(シンドン)の門下生だったので、シンドンが処刑されたあとは閑職においやられました。
1374年(恭愍王23年)。門下侍中に任命されました。
その年、恭愍王が親元派に殺害されると、犯人の洪倫(ホン・ユン)、崔萬生(チェ・マンセン)を捕らえて処刑しました。
恭愍王の母・恭元王后洪氏の意思に反して、恭愍王の庶子をかついで禹王にしました。禹王はまだ10歳でした。
金九容(キム・グヨン)、李崇仁(イ・スンイン)らが李仁任の政治を批判、李詹(イ・チョム)が李仁任の罪を上訴しました。
崔瑩(チェ・ヨン)などと共謀してイ・チョムを詐欺罪で流罪、キム・グヨンらも流罪にしました。
反対勢力を追放したあと、林堅味(イム・ギョンミ)、廉興邦(ヨム・フンバン)らとともに政治を独占。官職を売ったり、不当に土地えたりして蓄財しました。
高齢のため引退を願い出ましたが、禹王は許可しませんでした。
1386年(禹王12)。高齢のため引退。
彼の引退後、一味だった林堅味、廉興邦らの腐敗はさらに進みました。
1388年(禹王12)。廉興邦の家奴・李光が主人の権力を乱用して趙胖の土地を奪いました。激怒した趙胖が李光を殺害しました。それに怒った廉興邦が趙胖を捕らえて拷問する事件が発生。
李仁任一味の横暴を苦々しく思っていた崔瑩、李成桂らはこの機会に廉興邦らを捕らえ斬首。一味も流刑にしました。李仁任も捕らえられ京山府に配流となり、そこで死亡しました。
テレビドラマ
シンドン MBC、2005年 演:ベドファン
大風水 SBS、2012年 演:チョ・ミンギ)
鄭道伝 KBS 2014年 演:パク・ヨンギュ
六龍が飛ぶ SBS 2015年 演:チェ・ジョンウォン。イ・インギョムのモデル
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