李純之(イ・スンジ)は李氏朝鮮の天文学者です。
世宗のもとで、朝鮮独自の暦を作り。太陽や月、惑星の動きを予想しました。
ドラマではイ・スンジの業績までチャン・ヨンシルの手柄のように描かれている部分もありますが。実際には朝鮮の暦を作るのに重要な働きをした人なんです。
史実の李純之(イ・スンジ)はどんな人物だったのか紹介します。
李純之(イ・スンジ)の史実
李純之はどんな人?
生年月日:1406年
没年月日:1465年
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の4世宗の時代の科学者です。
日本では室町時代の人になります。
家族
妻:シン氏
子供
おいたち
算学、天文学、陰陽道、風水を学びました。
1426年(世宗8年)。東宮行首などを勤めました。
1427年(世宗9年)。科挙の文科に合格。
漢陽の北極高度(つまり緯度)が何かという世宗の質問に官僚で唯一答えて、世宗の信頼を受けます。
世宗のもとで天文歴算の専門家として活躍しました。
1433年。世宗から、朝鮮の天文暦を作るように命を受けます。イ・スンジを中心に、鄭麟趾(チョン・インジ)、鄭欽之(チョン・フム)、金淡(キム・ダム)などのメンバーが集まり歴法プロジェクトが進みます。
歴法は中国で作られていたものを使っていました。中国と朝鮮では緯度、気候も違います。中国の暦をそのまま使うと朝鮮の気候とずれてしまうという問題がありました。
1442年。朝鮮の暦、「七政算内編」、「七政算外編」が完成しました。
それまでは中国の暦に頼っていましたが、朝鮮独自の暦法を持つことが出来ました。これによって太陽や月の動きが正確にわかるようになりました。朝鮮の気候にあわせた24節気を持つことが出来るようになりました。日の出、日没の時間も予想できるようになりました。「七政算内編」です。
その後、イ・スンジとキム・ダムによって歴法の計算方法、日食、月食の予想と惑星の動きが解説するを解説する本が作られました。それが「七政算外編」です。
その後、李蕆、蒋英実(チャン・ヨンシル)らとともに天文儀象(時計)を作りました。
1445年にはそれまでの研究をまとめた「私逆相集」を発行しました。
1457年。日月食の計算方法をわかりやすく編集するように王命を受けて、金石悌(キム・ソクジェ)と一緒に計算方法を研究し「交食推步法」を完成させました。
承旨、中枢院副使、開城府留守、書雲觀判事などを歴任しました。
1465年。(世祖11)判中枢院事になりました。
イ・スンジはチャン・ヨンシルとならぶ李氏朝鮮最高の科学者です。ヨンシルが物を作るのが得意な技術者としての性格が強かったのに対し。イ・スンジは計算が得意でした。天体の動きを予想したり暦を作るのはイ・スンジの仕事だったのです。
ドラマ「チャン・ヨンシル」では王命を受けて朝鮮独自の歴法を作ろうとしたのはチャン・ヨンシルたちでした。本当はヨンシルが行ったのは時計や観測機器を作る所まで。星の動きを計算して暦を作るのはイ・スンジたちの仕事なんですね。
もちろん、装置がなければ星の動きは観察できませんし。観察したデータがなければ星の動きは計算できません。星の動きがわからなければ暦も作れませんし、時計も作れません。
イ・スンジとチャン・ヨンシル、どちらが欠けても世宗の目指す朝鮮独自の暦は実現できなかったのです。
TVドラマのイ・スンジ
大王世宗 KBS 2008年 演:キム・ホンピョ
根の深い木 SBS 2011年 演:チョン・ジェホ
チャン・ヨンシル KBS 2016年 演:イ・ビョンフン
コメント