中国ドラマ「長安賢后伝」の賀蘭芸琪(がらん うんき)にはモデルになった人物がいます。
ジェルジェルです。
ジェルジェルはモンゴル・ホルチン部首領マングスの娘。
ホンタイジの正室になりました。
後にホンタイジが清の皇帝になったのでジェルジェルは「孝端文皇后」になります。
姪にはホンタイジの側室になったブムブタイやハルジョルがいます。
「長安賢后伝」は「孝荘秘史」のリメイク作品ですから。清朝の人物がモデルになっているのですね。
賀蘭芸琪(がらん うんき)のモデルになったジェルジェルとはどのような人物だったのか紹介します。
ドラマ「長安賢后伝」の賀蘭芸琪
賀蘭芸琪(がらん うんき)
演:鄔靖靖
三皇妃→盛州王妃→大晟皇后→元貞皇太后
雍臨王・賀蘭明晢の孫。
賀蘭綰音、賀蘭茗玉、賀蘭克用のいとこ。
ドラマが始まったときにはすでに盛州王・蕭尚遠の第3王子・蕭承睿と結婚。正室になりました。雍臨王家と盛州王家は親戚になっています。
大国の盛州と西斉に挟まれています。雍臨は小さな国ですが、重要な場所にあったので盛州と西斉は自分の見方にしようとしています。
盛州王・蕭尚遠の死後。蕭承睿が盛州王になると、芸琪は盛州王妃に。蕭承睿が大晟の皇帝になると、芸琪は皇后になりました。
性格は穏やか。蕭承睿を支えています。
自己主張の強い従姉妹に比べると大人しい。雍臨のためには盛州との関係が大事だと思っています。でも蕭承睿や綰音、茗玉は自分勝手に動いているので、良かれと思ってしたことが裏目に出たり、努力が報われないこともあります。
その結果。芸琪は周りに振り回されて意思のはっきりしない人物に見えることも。
第48話で病死。
賀蘭芸琪のモデル 孝端文皇后
賀蘭芸琪のモデルになったのは大清帝国皇帝ホンタイジの皇后ボルジギギト・ジェルジェル(孝端文皇后)
ジェルジェルはモンゴル・ホルチン部の首領マングスの娘です。
姓:ボルジギト(博爾済吉特)
名前:ジェルジェル(哲哲)
称号:孝端文皇后(こうたんぶんこうごう)
父:マングス
夫:ホンタイジ
子供
固倫温荘長公主(マカタ:馬喀塔)
固倫靖端長公主
固倫淑哲長公主
ジェルジェル周辺の相関図はこの様になっています。
ドラマ「長安賢后伝」では、賀蘭芸琪がジェルジェル。蕭承睿がホンタイジ。賀蘭茗玉がブムブタイ。賀蘭綰音がハルジョル。賀蘭克用がウクシャン。蕭啓元がフリン(順治帝)になります。
ジェルジェルの祖先はチンギス・ハンの弟ジョチ・カサル。
当時モンゴルはチャハル部のリンダン・ハーンがモンゴルのハーン(皇帝)になっていました。
でも独裁的なリンダン・ハーンに耐えられなくなったホルチン部はヌルハチのマンジュ国に助けを求めました。
父マングスはホルチン部の首長です。ホルチン部はモンゴルの中では最も早くマンジュ国のヌルハチと同盟を結びました。マンジュ国との同盟のためにジェルジェルがヌルハチの息子ホンタイジに嫁ぐことになりました。
ジェルジェルの兄弟には後にホルチン部の首領になるジャイサンがいます。ジャイサンは後にホンタイジの側室になるブムブタイやハルジョルの父親です。
1616年。女真を統一したヌルハチがマンジュ国を後金(アイシン国)に改名。夫のホンタイジはベイレ(貝勒=親王)になりました。
1625年。長女・固倫温荘長公主 を出産しました。
モンゴルホルチン部はさらに後金と同盟を強化するため。ジャイサンの娘ブムブタイがホンタイジのもとに嫁いできました。
1626年。ヌルハチが死去。夫・ホンタイジが後金のハン(君主)になりました。
その後。姪のハルジョル(海蘭珠)がホンタイジのもとに嫁いできました。ハルジョルはブムブタイの姉です。
ホンタイジはボルジギト家から3人も妃を迎えることになりました。
1636年。ホンタイジが後金を大清国(ダイチン国)に改名。皇帝(ハーン)に即位しました。
ジェルジェルは「中宮国君福晋」の称号が与えられました。皇后です。
1643年。ホンタイジが死去。ブムブダイの生んだフリンが即位しました。順治帝の誕生です。順治帝はまだ8歳。ホンタイジの弟・ドルゴンが摂政になりました。
順治帝はジェルジェルに「中宮太后」「母后皇太后」の称号を与えました。
順治帝の生母はブムブタイですが形の上ではジェルジェルが嫡母になります。
3月。ドルゴン率いる大清軍は北京に入りました。10月。北京を制圧したドルゴンは順治帝を北京に迎え入れます。ジェルジェル、順治帝の母・ブムブダイも北京の紫禁城に移り住みました。
1644年。ジェルジェルの母・和碩福妃や親族が北京にやって来て順治帝に挨拶しました。その後、宮廷では宴が行われジェルジェルの母たちは歓迎をうけました。
1649年5月28日。病気で死去。享年51。
死後「孝端文皇后」の諡が贈られました。
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