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光海君(クァンヘグン)の妻と側室たち

光海君(クァンヘグン) 李琿(イ・ホン)は李氏朝鮮王朝の15代国王。彼にも正妻の皇后 柳氏と何人かの側室がいました。

光海君の妻や側室たちは仁祖反正によって廃されたり波乱の生涯を送りました。
この記事では、光海君の正妻と側室をわかりやすく紹介します。

 

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光海君とは?

光海君は宣祖の庶子として生まれ、血筋の正当性が弱い中で王位に就きました。在位中は大北派と反対勢力争いや明・後金間の中立外交で批判を受け、仁祖反正で廃位されました。現在でも暴君か否かは評価が分かれ、多くのドラマの題材になっています。

 

項目 内容
本名 李琿(イ・ホン)
在位 1608年~1623年(15年間)
生没年 1575年6月4日~1641年8月7日(享年66)
主要な出来事 壬辰戦争を経験、明後金間で中立外交、仁祖反正で廃位

 

出典:「朝鮮王朝実録・光海君日記、仁祖実録」

光海君の詳しい紹介は 光海君は暴君だったの?その生涯と家系図をご覧ください。

次に光海君の正室と側室をリストにしてみました。

 

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光海君の妻

光海君の正室は柳氏(廃妃・文城郡夫人)です。

氏族 名前・称号 生没年 備考
文化柳氏 柳氏(文城郡夫人) 1576~1623 王妃 → 廃妃、江華島流刑、自害

王妃 柳氏の情報

  • 本貫:文化柳氏
  • 生没年:1576年~1623年
  • 享年:48
  • 王妃在位:1608年~1623年

生涯

世子嬪から王妃になり。仁祖反正で廃妃となり「文城郡夫人」に格下げされました。

仁祖反正後に江華島に流され。息子・李祬の処刑とその妻の自害に衝撃を受け、自らも自害。

「王になった男」のヒロイン ユ・ソウンのモデルです。

 

「ノクドゥ伝」にも登場、心優しい王妃として描かれています。「華政」「王の顔」にも部分的に登場。

出典:『仁祖実録』『光海君日記』

子ども

  • 長男:夭逝(1596年)
  • 次男:李祬(1598~1623)江華島流刑中に処刑、妻も自害
  • 三男:夭逝(1601~1603)
  • 孫娘:縣主(李娥其、1618~?)義城金氏に嫁ぐ

出典:『光海君日記』巻8、『仁祖実録』巻2

 

光海君の側室

光海君には複数の側室がいました。下表で主要な側室をまとめ、史料やドラマで注目される人物のみ簡単に補足しています。

身分 名前・称号 生没年 備考
貴人 権氏 不明
淑儀→昭儀→貴人に昇格。
昭儀 尹永新
(ユン・ヨンシン)
~1623
仁祖反正で処刑。ドラマ『ポッサム』ヒロイン母のモデル。
昭儀 洪氏 不明 洪邁の娘。
昭儀 権氏 不明 権余慶の娘。
淑儀 許氏 不明 許儆の娘。
淑儀 元氏 不明 元守身の娘。
昭容 鄭氏 ~1623
仁祖反正で処刑。
昭容 任愛英
(イム・エヨン)
1598~1628
光海君が寵愛。反正後に流刑→自害。実録に記録あり。
昭媛 辛氏 不明
辛鏡の娘。仁嬪金氏の姪。
淑媛 韓保香 不明
平民出身。仁烈王后に仕え80歳近くまで存命。野史由来。
尚宮 金介姫
(キム・ゲシ)
~1623
光海君の側近。政治介入。反正で斬首。ドラマでは悪女の描写が多い。
尚宮 邊氏 ~1623
賤民出身。反正で賜死。
尚宮 金氏 1595~1675
淑靜公主の養育係。野史に登場。キム・ゲシとは別人。
宮人 趙氏 不明 趙誼の娘。

貴人 権氏

(クィイン クォンシ)

本貫:安東権氏
生年:不明
没年:不明

光海君10年に淑儀、その後、昭儀、貴人に冊封。

 

昭儀尹氏

(スギ ユンシ)

本名は尹永新(ユン・ヨンシン)とも。

生年不明
没年:1623年

仁祖反正で処刑。

ドラマ「ポッサム」ではヒロイン・スギョンの母親。

 

子供

翁主(1619年 – 没年不明)- 朴澂遠の正室

ドラマ「ポッサム」のヒロイン・スギョンのモデル。

 

昭儀洪氏

(ソエ ホンシ)

生没年不明

洪邁の娘

 

昭儀権氏

(ソエ クォンシ)

生没年不明

権余慶の娘

 

淑儀許氏

(スギ ホシ)

生没年不明

許儆の娘

 

淑儀元氏

(スギ ウォンシ)

(生没年不明)

元守身の娘

 

昭容鄭氏

(ソヨン チョンシ)

生年不明
没年:1623年

 

昭容任氏

(ソヨン イムシ)

生年:1598年
没年:1628年

本名は 任愛英(イム·エヨン)
美人で光海君がとくに寵愛した側室と言われます。仁祖反正で多くの後宮の人が処刑なった中で、過去に李貴(イ・グィ)や金自點(キム・ジャジョム)をかばったことがあり。死罪は免れ、光海君とともに江華島に流されました。

仁祖6年(1628)。謀反人にされて逮捕命令が出ました。禁府軍が捕らえに行った所、任愛英は首を小刀で切って自害したといわれます。

「野史(民間で書かれた書物)」にも登場しますが「光海君日記」や「仁祖実録」にも書かれているので実在の人物。

 

昭媛辛氏

(ソウォン シンシ)

生没年不明

辛鏡の娘、仁嬪金氏の姪

 

淑媛 韓氏

生没年不明

本名は韓保香。
平民出身。仁祖反正で王宮から追放。
しかし王宮では人手不足になったので、仁烈王后は罪のない宮人を呼び戻し雑務を行わせました。韓保香はよく仕えたので仁烈王后からは気に入られました。そのため周囲から妬まられたといいます。夜になると光海君時代を懐かしんで泣いていたといいます。仁烈王后から信頼され大君の養育を任されました。80歳近く生きたといいます。

「野史(民間で書かれた書物)」に登場する人物なので実在したかは不明。作り話の可能性大。

 

尚宮 金氏 

(サングン キムシ)

生年不明
没年:1623年

承恩尚宮(王の寵愛を受けたが側室にはなっていない人)。

本名は 金介屎(キム・ゲシ)または
当時の記録には 金介姫(キム・カヒ)とも書かれているので介屎(ゲシ)はあだ名かもしれません。

光海君の東宮時代の宮女。事務処理能力に優れ、宣祖と光海君の寵愛をうけましたが側室には冊封されず。光海君のそば仕えをする尚宮になりました。

光海君の政治に関わったとして仁祖反正で斬首。

ドラマでは悪女として描かれることが多いです。

・金尚宮(キム・カヒ、キム・ゲシ)の詳しい説明はこちら。

 

光海君の登場するドラマには王妃は出なくても必ずと言っていいほど登場する人物。

キム・ゲシが主人公のドラマもあります。
キム・ゲシを演じるのは「チャングム」のイ・ヨンエ。

 

 

尚宮 邊氏

(サングン キムシ)

生年不明
没年:1623年

賤民出身。仁祖反正で邊氏は賜死。

「野史」に登場する人物。

 

尚宮 金氏

生年:1595年
没年:1675年

キムゲシとは別人。

仁祖反正の後。淑靜公主の養育係をつとめ。その後は公主に仕えました。

これも「野史」に登場する人物。

 

宮人趙氏

(クニン チョシ)

生没年不明

趙誼の娘

 

 

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王妃・側室
この記事を書いた人

 

著者イメージ

執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールページをご覧ください。
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