中国ドラマや小説の「美人骨」は悲劇的な内容で話題になった作品。
主人公の周生辰(ジョウション・チェン)は理想的な男性として設定されながら悲しい最期をとげてしまいます。テレビドラマでは人気俳優 任嘉倫(アレン・レン)が演じたこともありさらに注目が集まりました。
ドラマは6世紀ごろの中国南北朝時代の北魏を舞台にしていますが周生辰は架空の人物です。
でも周生辰はファンに人気があり「モデルは誰なのか?」と多くのファンが考察を巡らせてきました。
作者の墨宝非宝は周生辰が誰かは発言したことがありません。
そこで本記事では独自に周生辰のモデルは誰なのかを考察してみました。
美人骨の周生辰とは
まず「美人骨」の周生辰がどういう人物なのか紹介します。ネタバレを含みますのでご注意ください。
周生辰(ジョウション・チェン)
演:任嘉倫(アレン・レン)
北魏の皇族。皇帝 劉徽の弟。後継者争いを避けるため臣下になりました。
もとの姓「劉」を止めて母方の姓「周生」にを名乗り南辰王府を継承。小南辰王と呼ばれます。後に家督を継いで南辰王になります。
若い頃から軍を率いて戦場では勝ち続けました。そのため朝廷の有力重臣からは危険視され、生涯妻妾を娶らず子もつくらないと誓います。
子がいなくては反乱を起こす必要がないからです(この発想が中国らしい)。
でも皇族や重臣たちは納得しません。劉子貞を救うため兵をひきあげたところ謀反の濡れ衣を着せられてしまいます。最後は血の手紙を残して 恐ろしく残虐な方法で処刑されました。
恐ろしく残酷な方法で処刑された周生辰
中国版では「剔骨之刑」で処刑された事になっています。剔骨之刑とは生きたまま骨を抜き取り、長時間苦痛を与え、肉体的にも精神的にもダメージを与えます。生きたまま腕や膝から下の骨を切りとったといいます。
処刑でも相手の名誉を保ったまま命を奪う方法から人の名誉も奪う方法まで様々です。剔骨之刑は命とともに人としての名誉や尊厳も奪う恐ろしく残酷な処刑法です。中国にはこのように残酷な処刑法がいくつもありました。
美人骨の意味
周生辰は人々から美しい骨を持つ人と言われました。このドラマの「骨」とは姿形が美しいという意味の他に、人徳がある、富や名声には無関心な素晴らしい人という意味があります。
日本でも信念のある人を「気骨がある」と言いますよね。骨の意味はただ人体を作る骨格だけではないのです。
周生辰は皇帝以上に美しい骨を持つ人と言われました。それが周生辰を恨む者たちをさらに怒らせ。「剔骨之刑」という異常に恐ろしい処刑法を行わせることになったのです。
さすがにドラマでは骨を抜き取る場面はなく、手足を刃物で切られている様子が映されていました。刑は三時辰=6時間続いたと語られているので6時間もの間、小刀で体中を切り刻まれたのかもしれません。どちらにしても残酷な処刑法には違いありません。
モデルはいる?
このように周生辰は皇族に生まれながら臣下として生き。国のために戦い、大きな成果を残しました。でも功績が大きすぎて朝廷の人々に危機感を与え、陥れられて悲劇的な最期を迎えてしまいます。
周生辰は架空の人物ですがキャラクター設定には実在の人物を参考にしたようです。どのような人物がモデルになったと考えられるのか紹介します。
モデル1・蘭陵王 高長恭
蘭陵王 高長恭(こう・ちょうきょう)とは
北斉の皇族で将軍。
蘭陵王(らんりょうおう)として有名。
生年:541年
没年:573年
享年:33歳
父は東魏の重臣・高澄(こう・ちょう)
伯父は北斉の建国者 文宣帝・高洋(こう・よう)。
母は不明。
高長恭は高家の嫡流ですが、
北斉を建国したのが父の弟だったので皇位継承順位は低いです。
18歳で将軍になって軍を指揮。
19歳のとき蘭陵王の爵位を与えられました。北周や突厥との戦いで手柄をたてました。
美形の仮面伝説
北周の宇文護が派遣した10万の大軍との戦いでは大きな功績をあげます。このとき高長恭の部隊は顔面を保護するため兜と鉄の仮面を付けていました。この話が変化して高長恭は女のような顔のため仮面で隠していたなどの逸話が生まれました。
この逸話をもとに作られたのが「蘭陵王入陣曲」という曲。日本では「蘭陵王」の名で雅楽として演奏されます。
最期
ところが高長恭が功績をあげればあげるほど甥で皇帝の高緯から嫌われ。重臣や皇族からも警戒されます。もともと有能ではない高緯は臣下の嘘を信じて、あるいはもともと殺害するつもりだったのかも知れませんが高長恭に謀反の濡れ衣を着せて自害を命じました。
高長恭は皇帝の命令で賜死になりました。
周生辰との共通点
・有能で美形。
・皇族だが傍流で母の身分が低いので皇位継承順位は低い。
・連戦連勝の将軍。
・部下にも優しい
・謀反の罪をかけられ、若くして処刑。
周生辰と違うところ
・北魏ではなく、北斉の人物。
ただし北斉は北魏が東と西に分かれた後、東魏から変わった国。北朝側の国には違いありません。
・姓は変えない。国姓・高のまま。
・結婚している。
モデル2・清河王 元懌
清河王 元懌(げん・えき)とは
北魏の皇族。
生年:487年
没年:520年
享年:34歳
父は北魏の6代皇帝 孝文帝
母は側室の羅夫人。
優秀で美形の皇子
幼い頃から優しくて頭が良く、容姿も端麗。孝文帝に可愛がられました。11歳のとき「清河王」の爵位を与えられました。
父の死後、異母兄の宣武帝が即位。
宣武帝の死後、宣武帝の息子・孝明帝が即位しました。孝明帝は元懌の甥です。
甥・孝明帝の補佐
孝明帝の母・霊太后は元懌を信頼して元懌に孝明帝の政治の補佐を任せました。
霊太后が恵憐という宗教家を贔屓して洛陽で人々の治療を任せようとしましたが。元懌は黄巾の乱を引き起こした張角を例えにして諌めました。
霊太后の妹の夫・元叉(げん・さ)は横暴でした。そのため元懌は元叉の横暴を止めさせました。ところがそれを恨んだ元叉は部下に元懌が謀反を企んでいると告発させ、元懌を門下省に幽閉しました。でも元懌の無実が明らかになり、霊太后は元懌を釈放しました。
宦官の劉騰は弟を軍の責任者にしようとしましたが、元懌が阻止。劉騰は元懌を恨みました。
最期
元叉は元懌の報復を恐れ、宦官の劉騰と協力。霊太后が嘉福殿にいる間に劉騰が門を閉めて閉じ込めて。孝明帝に元懌が謀反を企てていると嘘の報告。
元懌が何事かか様子を見に来たところ、元叉が兵を送って元懌を捕らえ。劉騰が大臣を集めて元懌が謀反を起こしたと報告して処刑を決定。その夜。元叉は元懌を処刑しました。
周生辰との共通点
・有能で美形。
・権力を狙う宦官の劉騰(趙騰のモデル)や皇族の元叉(劉元のモデル)と対立。
・謀反の罪をかけられ、若くして処刑。
周生辰と違うところ
・姓は変えない。国姓・元のまま。
・都にいて皇帝を補佐していたので連戦連勝の将軍ではない。
・結婚している。
様々な人物を合わせたキャラクター
作者の墨宝非宝は周生辰が誰かは発言したことはありません。
作者は歴史上の様々な人物から発想を得て作品のキャラクターとして理想的な人物像を作ったようです。
周生辰は優れた部分を多く持ち理想に近い人物として設定されていますが、完璧ではなく同時に人間的な弱さも持っています。そんな姿が多くの視聴者や読者から共感され人気が出たようです。
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