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中国ドラマ「両世歓」モデルになった国と人物

両世歓 2 ドラマ人物

中国ドラマ「両世歓~ふたつの魂、一途な想い~」は架空の王朝が舞台です。

でも王朝や登場人物にはモデルになった実在の王朝や人物がいます。

ドラマのモデルになった時代は中国の「五代十国時代」。

日本人にはほとんど知られていませんが、唐と宋の間にあった時代です。

ドラマに登場する王や王子たちもその次代に実在した人物をモデルにしています。

中国ドラマ「両世歓」に登場する実在の国と人物を紹介します。

 

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「両世歓」のモデルになった時代

中国の「五代十国(ごだいじっこく)時代をモデルにしています。

五代十国時代はが滅亡した907年から、(北宋)が誕生する960年まで約50年あまり続きました。

五代十国

中原を支配する五つの王朝(代)と十の周辺国が乱立したので五代十国といいます。
同時に十の国が存在したのでもなく、小さな国も含めればもっと多くの国(勢力)がありました。「十」という数字はだいたいの数。こじつけです。

五代十国時代の中で最初に中原に誕生した王朝が「後梁」
中原とは黄河流域で大都会の洛陽や開封がある平野部です。
古来、中華王朝の多くが中原に首都をおいていたので。古代中国の中心部みたいな意味があります。

五代十国時代に最初に中原を支配した国の「後梁」がドラマの「雍国」のモデルです。

モデルになった国と人物

雍(よう)国

ドラマ世界では最大の国。

 

モデルになった国は後梁(こうりょう)

首 都:開封(河南省開封市)
建国者:朱全忠(しゅ・ぜんちゅう)
中原を支配する五代の最初の王朝。
907年建国
923年滅亡
たった16年しか存在しなかった国。

ドラマで登場する国は史実では次の国になります。
雍国=後梁
昭州=趙
紀国=普
燕国=燕

910年代ごろの五代十国勢力図

五代十国

名前を書いてない地域にも様々な武装勢力がいます。

雍国の人物とモデル

雍帝:雍国の皇帝

景辞や鄴王、慶王たちの父親。

モデルになった人

後梁太祖・朱全忠(しゅ・ぜんちゅう)

 後梁の初代皇帝。地元では有名な荒くれ者。
 唐末期。黄巣軍に参加して唐軍と戦いました。ところが途中で黄巣軍を裏切って唐軍の武将になります。黄巣軍討伐で功績をあげて唐で実権を握ると、昭宗を退位させて2歳の哀帝を即位させ昭宗を殺害。その後、唐哀帝から皇帝の座を奪い梁を建国。唐哀帝は毒殺。
唐時代から仲の悪かった李克用、李存勗 親子とは対立。
女好きな朱全忠は皇子たちの妻を都に住まわせ次々に手を出しました。
特に博王 朱友文の妻の王氏を愛人にして寵愛。
この関係が雍帝と原夫人の元ネタです。

朱全忠は王氏の夫・博王 朱友文を後継者にしようと考えました。

それを知った郢王 朱友珪が反乱。
太祖・朱全忠は殺害されました。

鄴(ぎょう)王:雍帝の息子

表面的には臆病者。
内心では様々な陰謀を企んでいます。

モデルになった人

郢王 朱友珪(しゅ・ゆうけい)

後梁の2代皇帝

朱全忠と娼婦との間に生まれた子。できが悪く父・朱全忠からも他の兄弟と比べられて育ちました。太祖・朱全忠が博王・朱友文を後継者にしようとしているのを知り、軍と共に反乱。朱全忠を殺害しました。さらに太祖・朱全忠の死の責任を博王・朱友文にかぶせてその妻子と一緒に処刑しました。

皇帝になった後も統治能力は低く、兄弟や臣下に反乱を起こされて自害。
死後、廃されたので廟号・称号はなし。

その後は異母弟の郴王・朱友貞が皇帝になりました。

慶(けい)王

母は賢妃(故人)。賢妃にはある秘密が。
景辞たちと共に鄴王に対抗する皇子。

モデルになった人

末帝・朱友貞(しゅ・ゆうてい)

父は太祖 朱全忠、母は賢妃 張氏。
後梁の3代皇帝。
そして後梁最後の皇帝。
皇子時代の称号は郴王。

913年。皇帝に不満を持つ軍を扇動して反乱を起こさせ皇帝・朱友珪を自害に追い込みました。
その後、後梁3代皇帝に即位。

921年。後梁と対立していた突厥系勢力の李存勗(り そんきょく)に攻められ自害。
後梁は滅亡。
李存勗が後唐を建国します。

亳王:雍帝の養子

モデルになった人

博王 朱友文(しゅ・ゆうぶん)

もとの名前は康勤(こう・きん)。
名前からするとサマルカンド(康国)出身のソグド人(イラン系)の家系。

朱全忠に有能さを認められ仮子になりました。
仮子とは擬似的な親子関係。仮子は普通は後継者にはならず主従関係の強化のために結びます。義兄弟の親子版です。

妻・王氏は美人でした。人妻ですが太祖・朱全忠の寵愛を集めていました。
そこで王氏の夫の朱友文は太祖・朱全忠の後継者の有力候補になりました。

それが不満だった郢王・朱友珪は反乱を起こして太祖・朱全忠を殺害。
博王・朱友文と王氏、その子らを殺害しました。

ドラマでは雍帝の愛人になったのは亳王の妻ではありません。
皇帝の養子。という部分だけがモデルになったようです。

昭(しょう)州

昭王の領地。
昭王は雍帝の臣下になってるので雍国の属州状態。

ドラマでは景辞の母・景妃の出身地。
風眠晩の実家。原家のある地域。

 

モデルになったのは 趙(ちょう)・成徳軍

趙(ちょう)あるいは 成徳軍
907年建国
921年滅亡
首都:成徳鎮州(河北省石家荘市正定県)
建国者:王鎔(おう・よう)

「国」というより都市を支配する武装勢力。だから五代十国の「十国」にも含まれません。

五代十国時代のはじめに成徳節度使(地方を守る軍隊の司令)の王鎔在が建国した国。
五代十国時代には唐の時代に任命された節度使が独立した国が多いです。

朱全忠が後梁を建国すると成徳節度使だった王鎔在は後梁皇帝の臣下になり。「趙王」の称号を与えられました。なので趙は後梁の属州です。

910年。後梁が趙の領土を奪おうとしたので王鎔は「趙王」の称号を捨てて組織名を「成徳軍」に戻し、普王・李存勖と協力して後梁に抵抗しました。

921年。王鎔が配下に殺害され、養子の張文禮(王徳明)が即位。
その後も何度か王が交代。普、後梁、契丹など様々な勢力と協力したり敵対したりを繰り替えしました。
922年。普王・李存勖に攻め込まれて趙(成徳軍)は滅亡しました。

紀(き)国

ドラマでは昭州と政略結婚をしようとしている国。

モデルになった国は 普・後唐(こうとう)

正式な国名は「唐」。
既に滅亡した大帝国の「唐」と紛らわしいので「後唐」と呼ばれることが多いです。
首都:洛陽(河南省洛陽市)
中原を支配する五代では後梁の次に建国した王朝。
建国者:李存勗(り・そんきょく)
923年建国
936年滅亡

李存勗は最初は「普王」を名乗ってました。
後梁を滅亡させた後、「皇帝」を名乗り国名を「唐」にします。
「唐」にしたのは建国者の李存勗(り・そんきょく)の祖父が唐から国姓(王族の姓)の「李」をもらったから。かつての「唐」へのあこがれもあります。

李源:紀国の将軍

紀国の将軍。昭国との友好のため使臣になって昭国に来ました。
風眠晚に求婚します。

モデルになった人。

李嗣源(り・しげん)

後唐(こうとう)を建国した荘宗 李存勗(り・そんきょく)の仮子。
どの民族かはっきりしませんが漢民族ではなく遊牧民出身のようです。
若い頃から有能だったので李存勗の仮子になりました。
武勇に優れて部下からの人望もありました。
後唐建国後は荘宗・李存勗がろくな政治を行わなかったので各地で反乱。
部下たちに推される形で荘宗・李存勗と倒して第2代皇帝・明宗になりました。

五代十国時代はダメ皇帝が多いのですが、その中ではマシな方です。

 

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