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夢華録:欧陽旭のモデルは?趙盼児を裏切った男はどうなる?

夢華録 2 ドラマ人物

夢華録(むかろく)の欧陽旭(おうようきょく)はいきなりヒロインの趙盼児(ちょうふんじ)を裏切る男として登場します。

なにしろ科挙に合格するまでは援助してもらい、結婚の約束までしていたのですから。ところが科挙に合格した途端に約束を破って高官の娘と婚約してしまいます。

中国でも視聴者の評判はよくありません。

演じるのは「清越坊の女たち」任雪堂の 徐海喬(シュー・ハイチャオ)。なんだか今回も似たような役です。いえ任雪堂の方がマシ?です。この役者さんはそういう役回りが多いのでしょうか。

それはともかく。

欧陽旭は架空の人物の設定ですが。実在の人物に似たような人がいます。

どうやら欧陽旭にはモデルがいるようです。

ドラマ「夢華録(むかろく)」の欧陽旭の紹介と、モデルになった人物を紹介します。

ネタバレ要素があるのでご注意ください。

 

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夢華録の欧陽 旭(おうよう きょく)

貧しい青年で何度も科挙に不合格。

でも趙盼児と出会い結婚を約束。彼女に経済的に援助してもらいながら勉強を続けました。

科挙で3位合格して探花になる

3年の勉強の後、科挙の最終試験・殿試で探花(第3位)で合格しました。

ところが夢華録の舞台になっている真宗の時代には「探花」はありません。

北宋のほとんどの時代は2位、3位はどちらも「榜眼」とよばれます。

北宋時代の終わりごろになって2位が「榜眼」、3位が探花と呼ばれるようになりました。

欧陽旭の裏切り

ところが欧陽旭は趙盼児との約束を破り、高官の高鵠(こうこく)の娘・高慧(こうけい)との結婚を決めてしまいます。

怒った趙盼児は欧陽旭を追求するため東京にやって来るのでした。

 

なぜ欧陽旭は趙盼児を裏切った?

科挙の上位合格者は結婚相手は選び放題

科挙は合格するだけでも大変。3位になったら将来は朝廷の重役が期待される地位です。

そのため娘を結婚させたいという家が続出。宋朝時代には合格発表があると上位合格者の家や泊まる宿に「娘を結婚させたい」金持ちや役人が訪問するのが当たり前でした。

ドラマの欧陽旭にも問い合わせがあったはずです。そして欧陽旭が出世できそうな家の娘を結婚相手に選んでも不思議ではありません。

問題は、欧陽旭は既に結婚を約束していて。しかも彼女に援助してもらいながら勉強を続けていたことです。欧陽旭は恩を仇で返すことになります。

最初から利用するつもりだった?

でも欧陽旭はもとから趙盼児と結婚する気はなかったのでしょう。生活のために一時的に利用していただけのように思えますね。

ネット上での評判も良くないです。

 

 

 

 

その後の欧陽旭はどうなる?

皇帝のもとで働いていた欧陽旭でしたが

欧陽旭は翰林院の学士になりました。

翰林院は皇帝直属の秘書室みたいなもの。勅書(皇帝の命令書)の原案を作ったり事務作業をします。

殿試で3位以内に入ると無条件に翰林院に配属が決まります。

でも欧陽旭は趙盼児から追求を受け。都から逃げるために西京での仕事を引き受けました。

ところが欧陽旭の西京行きに怒った高鵠は娘との婚約を破棄するように迫るのでした。

 

評判の悪い欧陽旭ですけど。
中には「気の毒な人」という意見もありますね。

 

 

 

東京に復帰

西京での暮らしは辛く。欧陽旭は都への復帰を決めます。

欧陽旭は夜宴図を利用して都に復帰。

やがて皇帝や皇后を巻き込んだ陰謀に関わることになるのでした。

最初は嫌な奴だけど小物でしかなかった欧陽旭が最後にはだいそれた陰謀を企む悪党に変化。その変貌ぶりにも注目です。

 

 

欧陽旭のモデルは欧陽脩(おうよう しゅう)?

欧陽旭に似ている欧陽脩

欧陽旭は実在の人物ではありません。でも欧陽旭のモデルになったと思える人物はいます。

それが欧陽脩(おうようしゅう)です。

欧陽旭は真宗時代の人物。欧陽脩はその次の仁宗時代の人物ですが。「欧陽」という姓で科挙での合格のいきさつ。その後の経歴をみてみると欧陽脩とよく似ています。

欧陽旭が欧陽脩をモデルにしているのはまず間違いないでしょう。

 

欧陽脩とは

欧陽脩(おうようしゅう)は宋真宗の時代。景徳4年6月21日(1007年8月6日)に誕生。

欧陽脩は吉州廬陵(江西省吉安市)出身ですが、欧陽家の祖先は南蛮(長江より南の地方)の人だったといいます。

4歳のときに地方の役人だった父を亡くし叔父の援助を受けていました。

でも家は貧しくお金がなくて紙や筆を買えなかったため母は葦の茎を使って灰の上に文字を書き彼に教えました。

 

科挙の筆記試験で首席合格

欧陽脩はほぼ独学で勉強をして科挙に挑みましたが不合格。

何度か不合格になった後、胥偃(しょえん)の弟子になって彼から学び、胥偃に勧められて国子監(国立の学校)に入学。

仁宗の時代。科挙の省試(筆記試験)で第1位になりました。ところが最終試験の殿試では14位でした。

皇帝の最終試験で14位に落とされる

殿試は皇帝が自ら行う試験です。

科挙では合格させた試験管が師匠。受かった人が弟子になり。役人になった後も師弟関係がが続きます。中国はコネ社会なのです。派閥や不正の温床になりやすい習慣ですがずっと続いていました。

そこで皇帝を試験管にして役人を弟子にすれば役人は皇帝の弟子になるので皇帝の支配がしやすい。というわけ殿試が行われました。

最初は殿試で落ちる人もいましたが。仁宗の時代から順番を決めるだけになりました。

殿試の1位が 状元、2位が榜眼、3位が探花と呼ばれます。

皇帝や朝廷の事情で合格順位は操作される

殿試は皇帝の好みや政治的な都合で変わることもあり。実力通りに順位がつくとは限りません。

事実、欧陽脩も筆記試験の結果通りなら1位合格のはずです。

試験監督の晏殊(あんしゅ)の回想によれば。
「若いのにあまりにも才能が目立ち、彼が天狗にならないよう向上心をもたせるためにあえて順位を落とした」と言われます。

一説には欧陽脩の作風を劉皇太后が嫌ったから。とも言われます。

科挙に合格した欧陽脩は胥偃の娘と結婚しました。

科挙に合格して高官の娘と結婚はドラマの欧陽旭と同じです。

でも欧陽脩に許婚がいたという記録はありませんし。科挙に合格したのは胥偃のおかげみたいなものです。欧陽脩が胥偃の娘と結婚しても批判されることはないでしょう。

でも欧陽脩は結婚前は女性に人気があったので、欧陽脩の結婚を残念に思う女性はいたと思います。

 

西京洛陽留守になる

欧陽脩は上位合格ではありませんが、優秀さを認められ将仕郎、試秘書省校書郎という高い役職につき。

西京洛陽留守に配置されました。当時の洛陽は西京(せいきょう)と呼ばれていました。

留守とは都やそれに準ずる都市を皇帝の代わりに管理する部署です。

妻の胥氏は欧陽脩が西京にいる間に死亡しました。

チェック!:ドラマの欧陽旭も西京洛陽に異動しています。

ドラマと違うのは欧陽脩は道観の管理ではなく、副都の留守という重要な部署に配属されたことです。

東京開封府に戻るものの地方に左遷

欧陽脩は4年後。東京に戻りました。

その後。仁宗が郭皇后を廃そうとすると賛成派の宰相・呂夷簡(りょいかん)と反対派の范仲淹(はんちゅうえん)たちが対立。欧陽脩は范仲淹に味方しました。

范仲淹たちは左遷され。欧陽脩も地方に左遷されてしまいます。

政治改革に賛成してまた地方に左遷

その後。欧陽脩は都に復帰。
今度は范仲淹の政治改革に賛成し。反対派と対立。改革は失敗に終わります

范仲淹たち改革派は左遷され、欧陽脩も再び地方に左遷されました。

その後、また都に戻りました。

欲のため改革反対派になってしまう

神宗の時代。

王安石の改革に反対。王安石の改革は范仲淹の改革を受け継いだものでしたが。欧陽脩も自分の既得権が脅かされそうになると反対派になってしまいます。

若くて地位の低いころは威勢のいい事を言って重臣たちを批判していました。ところが自分が地位や財産を手にいれると、かつて自分が批判した重臣と同じになってしまいました。

チェック!:史実の欧陽脩は地方への左遷を経験。最初は政治改革を目指しましたが。後に改革を潰す方に回ってしまいます。

ドラマの欧陽旭も西京から東京に戻った後は皇后を陥れようとする陰謀に関わり。地方に左遷の命令が出てしまいます。

 

悪に染まっていく欧陽旭

欧陽旭は最初から嫌な奴でした。でも大きな陰謀を企むほどの悪役ではありませんでした。それがドラマ後半では悪に染まっていきます。

欧陽脩の変化と似ています。

ドラマの欧陽旭は左遷命令が出た後も抵抗を続けますが。

その後どうなるかは見てのお楽しみ。

 

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