寒食節(かんしょくせつ、かんじきせつ)は中国の伝統行事。
端午節ほどではありませんが、中国ドラマでもごくたまに登場します。
中国ドラマの「花小厨」などでも寒食節の日には客が屋台に来ない。という場面がありました。
寒食節は日本にはない行事なので「なんだろう?」と思うかもしれません。
そこで中国の王朝時代に行われていた寒食節とはどのようなものなのかを紹介します。
寒食節とはどんな行事?
寒食節はいつ?
冬至から105日目。
清明節(4月5日、旧暦では3月5日前後)の前日や前々日に重なります。
清朝時代には「寒食節」は清明節の前の日と決められました。
期間は1日、3日、5日、7日間と地域によってさまざま。
寒食節は何をする日?
寒食節には次のようなことをします。
火を使わない。
寒食節は別名「禁煙節」とも言うように。この期間は火を使いません。
火を使った料理は作りません。
暖房のための火を使わない時代もあったようですが。それだと寒い地域では凍死者が出るので禁止令がでています。曹操などは「子供や老人に負担がかかる」というので寒食節そのものを禁止したこともあります。
後の時代には火を使わなくてもおいしく食べたり飲んだりできる食べ物・飲み物が作られます。
餅、菓子類、水飴、冷麺、冷たい粥、冷たい飯、冷たい茶・酒など様々な食物が作られました。(ここで言う「冷たい」とは「温めていない」という意味で、氷で冷やしているという意味ではありません)。
墓参り・祖先崇拝
もともと寒食節は祖先崇拝とは関係ありませんでした。でも唐の時代ころより正式な宮中行事になり。墓参りや祖先を祀る儀式が行われるようになりました。
插柳
かつては柳は「寒食節」のシンボルでした。柳の枝を墓に立てたり、戸口に飾ったり、頭や帯に付けたり、神仏にお供えしたり。柳の枝を使ったパフォーマンスが行われます。
南北朝時代(6世紀。隋・唐の前)ころには行われていたようです。
その他
唐の時代ごろから温かい食事を我慢するだけでは面白くないので、寒食節を楽しむため様々な行事が行われました。
蹴鞠(けまり)、ブランコ、野山の散策、歌会などが行われました。もともとは冬至や清明節など他の時期に行われていたものが多いようです。
由来
もともとの由来は古い火の使用を止めて新しい火を使い始める「火改」の行事。
古代には「火」は貴重で神聖なものでした。同時に危険なものです。そこで古い火の使用を一斉に止めて。新しく火を灯す行事が世界各地で行われています。似たような行事は古代ヨーロッパでも行われていました。
寒食節になると冬から竈(かまど)や暖房のために使っていた古い火を消して。清明節に新しい火を灯します。
新しい火を灯すまでの間は火なしで生活しないといけません。火を使った料理が作れない。冷たい物を食べないといけないので「寒食節」といいます。
火を改める行事は2600年くらい昔の古代中国で行われ始めたといわれます。
その後。「なぜ火の使用を止めるのか」という理由を説明するために、介子推(かい しすい)の伝説が作られ広まりました。
一般に広まっている介子推の伝説。
春秋時代の晋・文公という人の臣下に介子推(かい しすい、紀元前7世紀頃)という人がいました。ある日、介子推は主君の文公と喧嘩(褒美に不満だったとも)して隠居。母と共に山で暮らしました。
文公は介子推を呼び戻そうとしましたが、介子推は戻ってきません。そこで文公は山に火を放ちました。山が火事になったら降りてくるだろうと思ったからです。ところが介子推は下山せず、母と共に洞窟で焼死しました。
介子推の死を哀れんだ文公は介子推の霊廟を立てて介子推の命日から3日間は火を使うことを禁止した。これが「寒食節」の始まり。とされます。
もともと「寒食節」と介子推は関係ありません。
歴史上の介子推が文公の元を去ったのは確からしいです。でもその後は行方不明。文公は介子推の待遇改善をしなかったのを後悔したといわれます。
介子推が焼死したストーリーになったのは漢の時代と思われます。
宋の時代になると介子推は飢えて苦しんでいる文公のために自分のモモ肉を切って食べさせたという美談が追加されました。(中国では極端な食糧難になると人肉を食べるので、自分の肉を食べさせることが親孝行や忠義の美談になるのです)
漢の時代から後の人達は「介子推の伝説」を理由に「寒食節」をしていたようです。古代の火の信仰から「故人の供養」や「忠義」といったストーリーに置き換わって王朝時代の人々には受け入れやすかったようです。儒教社会ではさらに故人の供養が祖先を祀ることに繋がり。墓参りや祖先崇拝と切り離せない行事になりました。
寒食節の広まり
「寒食節」は清朝までは行われていました。その後の中国では近い時期に行われる「清明節」と一緒になってしまい、多くの地域で「寒食節」は廃れました。でも一部の地域では今も「寒食節」が行われているようです。
現代でも盛んに行われているのが韓国です。祖先崇拝の特に強い朝鮮王朝時代には寒食節が熱心に行われました。今でも寒食節にはお墓参りやお墓の清掃などが行われています。
朝鮮と同じように中国の影響を受けたベトナムでも行われています。
日本では寒食節は行われていません。日本では春の墓参りといえば「お彼岸」があります。火改の行事もあまり流行りませんでした。でも今でも京都の一部の地域には竈の火を消して神社から新しい火をもらってくるという行事があります。「火改」の部分は似ていてもその他の部分は寒食節とは違うようです。
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