中国ドラマを見ていると「よく人が飛びます」
ジャンプしているでは済まされない、明らかに「空を飛んでいる」。
剣を持った人が勢いも付けずにそのままフワリと宙に浮いたり。剣を持ち硬直した姿勢のまま浮いて横に移動したり。
明らかに重力に反した動きをしていますよね。
何かの術を使うとか、特殊能力を持っている設定ではないのに。武術ができるだけの生身の人間が空を飛びます。
しかも劇中ではそれが不思議なことだと誰も思っていません。「武術の達人だから」みたいなノリです。
なぜ中国ドラマにはこんなおバカな演出が入っているのでしょうか?
この記事では日ごろ思っている中国ドラマの不思議を種明かしします。
今回は「なぜ中国人は空を飛ぶのか?」がテーマです。
中国人は空を飛ぶ
なぜドラマの中国人は空を飛ぶのかというと。
「中国人は空を飛ぶものだからです」
何を言ってるのかわからないかもしれませんね。
もともと古代中国人は空を飛ぶことに憧れていました。もちろんどの民族も飛ぶことには憧れています。でも中国人は「人間はあることをすれば空を飛ぶことができる」という設定を作りました。
古代中国に神仙思想がありました。道教のもとになった考えです。
神仙思想では仙人は神通力を持っていて様々なことができます。その一部を紹介すると。
・見が軽くなって空を飛ぶ。
・水の上を歩く事ができる。
・分身する。
・隠れることができる。
・変装できる。
・その場にいて千里先まで見える。
などなど。
他にもありますがドラマのアクションと関係しそうなものを選んで紹介しました。
仙人は「神」みたいなものです。人間が修行を積めば仙人になる事ができると信じられています。
つまり「人間も修行すれば空を飛ぶことができる」のです。
もちろん現実にはできませんが、願望としてはあります。
修行して空を飛ぶ発想があるなら武術に応用してもいいじゃないか。と考える人がいても不思議ではありません。
武術の達人は空を飛ぶのが当たり前
中国では武侠小説が人気
中国には「武侠小説」というジャンルがあります。武侠小説とは「戦いに強い人が弱い者を助け悪を倒す物語」です。
日本でいえば剣豪小説・時代小説・任侠小説みたいなものです。
武侠小説の起源は諸説あります。直接のもとになってるのは清朝末期から中華民国時代にあった「俠義小説(ぎきょうしょうせつ)」です。
でも当時はレベルの低いもの。低俗な娯楽と思われていました。
中国武術界に革命が起きる
第二次世界大戦後。中国の文化大革命で知識人や文化人が香港や台湾に避難。そこで梁羽生(りょう・うせい)や金庸(きん・よう)、古龍(こ・りゅう)たちがそれまでにない武侠小説を発表。大人気になりました。
彼らの小説はそれまでの小説とは一味違います。香港や台湾で活動している彼らは外国文化の影響も受けて、歴史好きも唸らせるしっかりした人物・舞台設定、凝った武術の対決、運命や使命に翻弄される男女の恋愛を盛り込み、人間ドラマも読み応えあります。彼らの作品は人気になりました。
彼らは作品の中で「武術」や「軽功」をうまく使ってアクションシーンを盛り上げました。彼らの作品は視覚化したときにカッコいいのも特徴です。
武侠小説では軽功(けいこう)を身に着けた武術の達人は普通の人より何倍も早く走ることができて高く跳ぶことができます。ちょっとした足場があればそれを使って屋根よりも高く跳ぶことができます。
「空飛ぶ武術家」は彼らの小説で世間に広まりました。
そして誰かが成功するとみんな真似するのも中国(というかアジア圏では)の特徴です。他の作家たちも真似して時代小説・時代劇の世界は空飛ぶ人間だらけになりました。
映画・ドラマ・アニメ・ゲームなどで表現されている中国武術や剣士が活躍する世界観は金庸や梁羽生・古龍たちが作ったといってもいいくらいです。
今では中国産「武侠」の世界は中国大陸や韓国、東南アジアにも広まりました。だから韓国時代劇にも似たような演出があるのです。
金庸の影響はものすごく大きいです。「中国人のいるところ金庸の小説がある」と言われるくらい人気になりました。「武侠小説」というジャンルを大きく変えただけでなく、現実の中国武術会にも影響を与えました。それまで少林拳は一部の寺で細々と行われていた武術で一時はマイナーというかほぼ廃れていました。でも金庸の小説で少林武術が中国最高峰の武術に設定されると復興活動(ほぼ創造に近い)が起こり現実社会でも少林拳が流行して武術界の権威になるほどでした。
現実社会の武術がそうですから。エンタメ業界も大きな影響を受けました。
ワイヤーアクションで武侠小説の演出を表現
香港は映画産業が盛んです。香港では様々な武術・武侠映画が作られました。
香港にアメリカからワイヤーアクションの技術が伝わるとワイヤーアクションを使って軽功(けいこう)を表現するようになりました。香港映画ではどんどんワイヤーアクションが発達。その技術が今の中国ドラマに使われています。
他にもCGや様々な撮影技術の進歩で空飛ぶ演出がしやすくなったのもあるでしょう。
軽功(けいこう)とは
映画やドラマで演出される「軽功」とはいったい何でしょうか?
軽功(けいこう)とは中国武術で体を軽くする技、鍛錬法(功夫)です。
身体的な訓練の他に食事、気功なども使って訓練します。独特な体の使い方をするので訓練も大変です。西洋式のスポーツ競技のような強く・速くだけのトレーニングではできません。
壁をよじ登ったり、屋根や塀の上を走ったり、地面に背中を付けた状態から飛び上がって起きるとか、高いところから飛び降りても怪我しないとか。水面に板を浮かべてその板に触れながら水面を渡る。といった事ができます。
もちろん重力には逆らえませんから限度があります。でも普通に跳んだり走ったりするよりはより高く長くできます。長年の修行が必要ですし、贅肉を落としてできるだけ体は軽くしないといけません。
それでも自由自在に空を飛んだり、道具を使わずに何メートルもジャンプできるわけではありません。
「普通の人よりは」高くジャンプできる、少し遠くに行ける。高い塀に登れる。高い所でもバランスよく移動できる。といった程度です。もちろんそれでも凄いことです。
軽功はパルクールに似ているとも言われます。
パルクール:フランス発祥の身体能力を最大限に生かしたパフォーマンス。テレビではカッコよく障害物を跳んだりする映像がよく紹介されます。実際には違うことをしていると思いますが見た目には似てるかもしれません。
エンタメ作品で変化する表現
映像作品での軽功の表現のされ方は日本の忍術に似てるかもしれません。
実際の忍術は消えたり飛んだりする派手なものではありません。もっと地味で身体能力や様々な技術、人の心理をうまく応用した技です。忍者の表現は江戸時代の講談から小説、テレビ、漫画でどんどん誇張され、魔術や派手なアクションを使った戦士のようになりました。
時代劇や漫画の忍者の演出はおかしいところだらけです。
中国の武術や軽功も同じです。小説やドラマのなかでどんどん現実離れしたマンガチックな演出に変わっています。
王朝時代の中国にも武術はありますし、軽功はありました。でもドラマのように空を飛んだりしません。
空を飛ぶ武術家は金庸たち武侠小説家が作った世界の中で活躍しました。香港・台湾から始まった新しい武侠小説は中国大陸でも人気になりました。
今では空飛ぶ人間は当たり前のように中国ドラマや映画に登場します。空を飛ぶのは軽功を身に着けた武術家だけではありません。大した修行はしていなくても皇子も武将も鏢局の人も戦闘できる人は空を飛びます。
空飛ぶ武術家は戦後の武侠小説の世界から広まったものですから。中華人民共和国(1949年建国)の歴史とたいして変わらない。わりと新しいものなんです。
中国人の考え方
中国で作られた三国志の番組がBSで放送されていました。その中で「歴史的に正しいかどうかでなく、多くの人が信じている。それが重要だ」と中国の学者が語っていました。その言葉は中国人の考え方をよく表現していると思います。
事実よりも信じてる内容が大事。これは中国人や中国史を理解するために重要なことです。
だから人が空を飛ぶ・飛びたいと思えば現実には飛ばなくても飛んでいることにする。ドラマの中では一発で見破れそうなのに男装した女性キャラがいつまでも男のフリが通用しているのも同じです。
中国人に聞けば「なぜ人間が空を飛んではいけないんだ?ドラマだからいいじゃないか」と答えるでしょう。
もう、そういう文化だと思うしかありません。
まとめ
なぜ中国ドラマの人間は空を飛ぶのかまとめると?
もともと中国人には空を飛びたい願望があった。
修行して空を飛ぶ仙人の思想があった。
第二次世界大戦後に武侠小説が大人気になった。
その金庸たちの武侠小説では戦う人達が空を飛んでいた。
金庸たちの武侠小説の世界観を真似た作品が大量に作られるようになった。
ワイヤーアクションの普及でドラマで空を飛ぶ演出が可能になった。
武侠小説の世界観を再現したテレビドラマが簡単に作れるようになった。
中国人には人は飛ぶもの(飛びたい)という思い込みがあるので人が飛んでもおかしいと思わない。
というわけです。
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