唐の時代の検視人「仵作」とは?その驚きの実態

0 ドラマが分かる歴史の知識

中国ドラマ「大唐女法医」では遺体を調べて死因を探る「法医学」がテーマになっています。

「唐の時代に法医学なんてあるの?」と想うかも知れません。

確かに「法医」という言葉は明治の日本でヨーロッパの専門用語を翻訳するときに生まれたので唐の時代には「法医」という言葉はありません。

でも唐には「仵作」という 験屍(遺体を調べること)をする人がいました。遺体を調べる人を現代でいう「検視人」にみたててドラマが進行していく。しかも検視人がヒロイン。という異色の時代劇です。

ドラマでも遺体に触る検視人は若い女性の仕事じゃない。みたいな言われ方をしますが。実際にはもっと過酷で大変な仕事でした。

実際の唐の時代の検視人ってどういう人達だったのか紹介します。

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古代の検死人は仵作

験屍(遺体を調べること)を行う男を仵作といいます。

地位が低い下級の人たちです。仵作 という言葉は唐の時代ごろから使われたようです。

清の時代には 検験使 という名前に変わります。

「大唐女法医」の日本語字幕では 冉顔(ぜんがん)の仕事は「検視人」と訳されています。実際には「仵作」だったわけです。

仵作の役割

遺体を調べる人は古代から存在しました。秦や漢の時代にもいました。

でも遺体は不浄なものとされたので、遺体を調べるのは賤民や奴隷の仕事でした。彼らは遺体を調べて役人に報告していました。

遺体を調べる人を仵作といいます。仵作という言葉は随唐時代から使われるようになりました。

仵作は検視を専門に行っているわけではなく、埋葬、葬儀も担当していました。仵作になるのは屠殺や埋葬、葬儀を行う家系の人たちがなることが多かったようです。遺体に触れるのは 仵作の役目というわけです。

役所に所属しているわけではなく民間の葬儀業者でした。最初は個人で活動していたようですが徐々に組織化されて、同業者組合のようなものができます。

儒教が普及して差別的な思想が広まると科挙を受けられない階級の人々への差別が強くなります。屠殺や遺体に触ったり埋葬を行う人々も科挙をうけることはできません。

科挙を受けるはほとんどが裕福な家の者です。膨大なお金と時間がないと受験勉強すらできないからです。でも、建前上(法律上)は平民にも科挙を受ける資格はありました。

でも賤民や奴婢には最初から資格がありません。建前すら与えられない。つまり人扱いされていないということです。

儒教社会では低い階級の人々はますます差別され。嘲りやバカにされたりする対象になっていきます。

という事情もあって仵作は卑しいとされた人たちでした。役人として採用されるわけではなく遺体を調べる人を雇う。という形で行われます。

ドラマ「大唐女法医」でも冉顔(ぜんがん)は蕭頌(しょうしょう)からお金をもらって検死をしていました。お金で雇われている。という部分だけはドラマと史実の仵作は似ています。

韓国ドラマ「トンイ」でトンイの父チェ・ヒョウォンは賤民で仵作人という設定でした。遺体の調査をして役人に報告していました。歴史上の仵作のイメージはあんな感じです。朝鮮は明の制度を採用していますが、仵作は唐の時代からあります。

でも、歴史上の淑嬪崔氏や父は賤民ではありませんし、歴史上の崔孝元は仵作人ではありません。念の為。

つまりドラマ「大唐女法医」の冉顔(ぜんがん)がかなりぶっ飛んだ設定なのです。

ちなみに中国では女性の検視人もいて 坐婆、穩婆 と呼ばれていました。儒教が普及した宋の時代になると女性の下半身を検死するのは女性の検視人(坐婆)でなければいけません。

検死なのに遺体が解剖できない

現代の法医学と古代の験屍の最大の違いは、験屍では遺体を解剖してはいけないことです。

儒教が行き渡っている社会では遺体を傷つけるのはいけないことでした。というより生者であっても外科的治療は嫌がられる時代です。

遺体はできるだけ完全な形で残して、傷つけてはいけません。ですから役人もあえて検死をしようと思いません。捜査でどうしても仕方のないときだけ解剖が許可されました。

死者であっても普通は解剖はできないのです。仵作は傷の様子や遺体の様子を観察したりして外見などから死因を調べたりしていました。

中国だけではなく日本でも同じような有様です。遺体は不浄なものとされ、やはり遺体の解剖すらできません。儒教的価値観や不浄の考え方は東アジアで解剖学が進まなかった大きな理由です。それでも古代の中国は当時の日本より検死がまだ進んでる方です。

明・元の時代になると検死は公的な仕事になります。でも仵作は地位の低い役人でした。賤民の仕事とされました。

役人は遺体の調査に立ち会うことが義務付けられていました。役人は仵作に支持を出して遺体を調べていました。

清の雍正帝の時代になると仵作の地位は少し上げられました。それでも待遇は良くなかったようです。

ドラマと実際の仵作を比べてみると

こうして現実の仵作を調べてみると、ドラマ「大唐女法医」に描かれている 冉顔(ぜんがん)のたち検視人とは全く違いますね。

古代~王朝時代の験屍や仵作は、現代の法医学や検視人とは似ているけど違うものです。

ドラマで現代の法医学のように遺体の解剖場面がないのは。古代の仵作は遺体の解剖ができなかったから。と思えば納得ですね。遺体の様子を見て判断するしかないのは、唐の時代の仵作も同じです。だから誤診もおきやすいのですが。それを知識と経験でカバーするのが冉顔(ぜんがん)のような優れた仵作なのでしょう。

唐の時代なら仵作人になるということは被差別階級になる。というのとほぼ同じ意味ですし。いくら親の死の真相を探るためとは言え、良家のお嬢さんが自ら進んでなる仕事ではありません。

そういう仕事についている女性がいたとしても、良家のお坊ちゃんと結婚できるはずもありません。李世民が冉顔(ぜんがん)と蕭頌(しょうしょう)の結婚を反対するのも当たり前です。

たとえ冉顔の一族が謀反人でなかったとしても、仵作人というだけで名家の子息との結婚は絶対ありません。李世民が二人の結婚を快く思わないのは李世民が意地悪だからではなく当時の常識なのです。

でもそういったハンデを乗り越えるのもドラマの見どころ。そんな裏事情があるのだな。と想像しながらドラマを見るのも面白いかも知れません。

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