辛者庫とは?清朝ドラマに出てくる侍女たちが働いている場所はどんな所?

大清0 ドラマが分かる歴史の知識

清朝を舞台にした中国ドラマではよく 辛者庫(しんしゃこ)という部署が出てきます。

「エイラク」や「皇帝の恋」などでは侍女たちが労働している姿が描かれています。

雑用や肉体労働、さらには懲罰的な労働まで點せられている場面もあります。

いったい辛者庫とはどんな場所なのでしょうか?

いまいちわかりづらい辛者庫について紹介します。

漢字では「辛者庫」と書きますが。
じつはこの漢字には特に意味はありません。

文字通りの「辛い者がいる庫」ではありません

「新者庫」「薪者庫」と書いたりもします。

満洲語で「sinjeku」の発音を漢字に当てはめただけです。

正式には「シンジェク ジェテレ アハ ニル」(sin jeku jetele aha niru)

意味は「食料の配給を受けている佐領所属の下僕」

佐領(ニル)というのは八旗に所属する下部組織。小規模な人の集団を管理する部署。村役場みたいなものでしょうか。

どちらにしても身分の高い人がいる部署ではありません。

辛者庫は皇帝直属の上三旗所属の内管領。旗王たちが管理する下五旗所属の府属管領があります。王宮で働いているのはもちろん内管領です。

辛者庫は王宮、王府、陵寝(王族の墓地)、避暑山庄、庄屯地などにあります。

 

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辛者庫で働いている人とは

辛者庫で働いているのは主に包衣(ボーイ)と呼ばれている人たち。包衣は満洲独特の制度。漢民族の中華王朝にはないのでよく誤解されています。

包衣は旗人(満洲貴族)に代々仕える従者。使用人です。

中国ドラマでは「奴婢」と表現されることが多いのですが、奴隷ではありません。

初期の女真人の時代には血縁関係がないのに養われている人、別の部族出身で家来になった人がボーイ(包衣)と呼ばれましたが。後に年季奉公や戦争で捕虜になったり拉致された他民族の人たち、有罪判決を受けた人も包衣になりました。ヌルハチの時代には他民族の人が多かったようです。

包衣と旗人は主従関係にあります。身分の差は絶対。主人のいうことは守らないといけません。包衣は代々旗人につかえています。家族まるごとがその貴族に仕えています。絶対的な身分の差はありますが家族ぐるみの付き合いなので信頼関係も生まれます。

人間関係は日本の武家に仕える奉公人みたいなかんじです。

包衣は旗人に仕える人たちとはいっても世間に出れば一般庶民と同じです。むしろ満洲旗人に仕える包衣は漢人の平民よりも地位は上です。良人(平民)としての戸籍を持っていますし、結婚もできます。官職を持っている人もいます。奴婢や賤民とは区別されています。奴婢を所有する権利も認められています。

でも、全ての包衣が辛者庫の人ではありません。

包衣管領下人=辛者庫です。

包衣の中でも上の地位の人達は直接貴族に仕えています。下の地位の人たちが辛者庫で働いているわけです。

宮中や王府(王族の家)で雑用を担当する部署として必要になるのが辛者庫です。

懲罰的労働の場所ではない

ドラマでは辛者庫は罪人が送り込まれる場所だったり、懲罰として女官が送り込まれる場所になってることが多いです。

確かに罪人や謀反人が辛者庫に配属になることはありました。清朝の後半になるとその割合が増えたといわれます。でも辛者庫全体から見れば一部です。

辛者庫は懲罰するための場所だったり、罪人のたまり場ではありません。

もちろん身分社会なので身分の低い人たちの部署というイメージはつきますし。包衣の中でも地位は下です。儒教社会では肉体労働そのものが卑しい行為なのでよいイメージはもたれていません。皇帝や妃嬪に仕えている女官たちから見れば「地位の低い奴ら」になるのは仕方ありません。

でも奴婢ではありません。雑用をするための部署です。

ドラマや小説の罪人のたまり場、懲罰を受けるための場所という描かれ方は満洲人の社会の仕組みをよく知らない現代中国人の誤解です。「辛者庫」という漢字からくるイメージも影響しているかもしれません。中国人は日本人以上に漢字の文字がもつ意味に引きずられるようです。

皇后や妃嬪達の下働きもする

管領下人の子や女性も主人に仕える義務があります。

皇后や妃のもとには一定人数の女性の包衣がいて奉公人として働いています。

毎年、管領下人の娘から選ばれて宮中に入り、一定の年齢になるまで侍女として働きます。宮中から出た後は結婚します。

孝儀純皇后 魏氏(令貴妃、嘉慶帝の生母、エイラクのモデル)や孝淑睿皇后 喜塔臘氏(道光帝の生母)も内務府辛者庫の出身です。

辛者庫の仕事

辛者庫の人たちは宮廷や王府などで下働きをしていました。

例えば、紫禁城の中庭や通路の掃除、除草、除雪、米、小麦粉、穀物、油の運搬、水、ミルク、薪の運搬、調味料の製造、農作物の洗浄、明かりの管理、雑貨の購入、各地の祭祀の引き受けなどを行っていました。

また、祭祀や墓の警備、牛、羊、ラクダや馬の放牧などを担当していました。

辛者庫の女性の中にはお供え物を作ったり、針仕事をしたり、洗い物をしたりなどの雑用をする部署があります。

このように宮中の様々な労働を辛者庫の包衣たちが行っていました。

辛者庫では女性の包衣が多く働いています。その中から皇帝の側室になった人もいます。

 

辛者庫出身の妃嬪たち

意外にも辛者庫出身の側室は何人もいます。

康煕帝の時代

良妃 衛氏 八皇子・胤禩 の生母
定妃 萬琉哈氏 十二皇子 允祹の生母。

雍正帝時代

謙妃 劉氏 六皇子 弘曕 の生母。
裕妃 耿氏 五皇子 弘昼 の生母。

乾隆帝時代

令皇貴妃 魏氏(孝儀純皇后) 嘉慶帝 の生母
儀嬪 黄氏
瑞貴人 索綽羅氏

他の時代も探せばいるでしょう。

意外と珍しくないのですね。

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