韓国ドラマ「雲が描いた月明かり」に登場するミョンウン王女は実在の人物。
ドラマではポッチャリ系に描かれる人物ですが、実際の明温公主は病気がちな人だったようです。
史実の明温公主はどんな人物だったのか紹介します。
明温公主(ミョンウン王女)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1810年
没年月日:1832年
名前:不明
称号:明温公主(ミョンウンコンジュ)
父:純祖
母:純元王后
夫:金賢根(キム・ヒョングン)
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の23代純祖の娘です。
日本では江戸時代の人になります。
おいたち
1810年(純祖10年)。純祖と純元王后の長女として生まれました。兄に孝明世子がいます。
兄・孝明世子との仲はよかったようです。
明温公主の母・純元王后は安東金氏の出身。ドラマ「雲が描いた月明かり」では中殿キム氏として登場します。
安東金氏は豊穣趙氏とともに、李氏朝鮮末期の権力を握った一族です。安東金氏が権力を手にすることができたのも、純元王后の存在があったからでした。
大きな影響力を持つ母のもとで生まれましたが、生まれつき体が病弱でした。
1817年(純祖17年)。正式に明温公主(ミョンウンコンジュ)の位が与えられました。
1823年(純祖23年)。府馬(王女の夫)が選ばれました。金漢淳の息子・金賢根(キム・ヒョングン)が選ばれました。金漢淳は位は高くはありませんが、安東金氏の一族でした。
結婚後、明温公主は宮殿の外に屋敷を与えられ金賢根とともに暮らしました。
孝明世子が明温公主の家に遊びに来ることもありました。大臣がひきとめたにも関わらず純祖と孝明世子が一緒に訪れることもありました。
明温公主は父や兄から可愛がられていたのでしょう。
しかしもともと病弱だった明温公主は2回流産。
1830年(純祖30年)には兄の孝明世子が病気で亡くなります。
1832年(純祖32年)にはすぐ下の妹・福温公主も亡くなりました。
また、明温公主自身も病気で寝込むようになりました。
福温公主が亡くなった1ヶ月後、明温公主も闘病生活の末亡くなりました。23歳という若さでした。
ミョンウン王女とチョ・ハヨンが仲が悪いわけ
ドラマ「雲が描いた月明かり」ではミョンウン王女と仲の悪いチョ・ハヨンが登場します。
チョ・ハヨンは孝明世子の妃・神貞王后をモデルにしています。
当時の朝鮮では安東金氏と豊穣趙氏が勢力争いをしていました。ミョンウン王女の母は当時、一番権力をもっていた安東金氏の出身。
チョ・ハヨンの父チョ・マニョン(趙萬永)は豊穣趙氏の実力者。豊穣趙氏は安東金氏の対抗勢力になりつつある一族です。
実家の親が仲が悪いので娘達も仲が悪いんですね。
なにげない人間関係に思えますが、実は当時の政治的な争い関係しているのです。
テレビドラマ
雲が描いた月明かり 2016年 KBS チョン・ヘソン
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