「王女未央」の舞台は南北朝時代の中国。
日本では馴染みの薄い時代ですが、意外なことにこの時代の中国文化は日本に大きな影響を与えています。朝鮮半島から伝わったといわれる仏教・文化・技術もこの時代の中国のものです。
ドラマで描かれる町並みや衣装がどことなく「和風」に近いのはそのためです。
南北朝時代のドラマは「王女未央」の他にも「蘭陵王」「独孤伽羅」「蘭陵王妃」があります。
馮太后の国「北魏」が分裂して東魏・西魏になり、東魏が北斉、西魏が北周になりました。
北斉側のドラマが「蘭陵王」、北周側のドラマが「独孤伽羅」、両方に関わるのが「蘭陵王妃」です。
李未央のモデルになった馮太后(文明皇后)が生きた南北朝時代を簡単に紹介します。
王女未央の時代
数字の年は西暦です。
【三国志】の時代
~265年
265年 西普 建国
316年 西普 滅亡
五胡十六国時代
386年 北魏 建国
397年 北涼 建国
407年 北燕 建国
436年 北燕 滅亡
439年 北涼 滅亡
南北朝時代
441年 馮太后(文明皇后) 誕生
【 王女未央 】はこのあたり
490年 馮太后(文明皇后) 没
534年 北魏 が 東魏・西魏 に分裂
550年 東魏 滅亡→北斉 建国
556年 西魏 滅亡→北周 建国
【蘭陵王】【蘭陵王妃】【 独孤伽羅 】はこのあたり
577年 北斉 滅亡
【 独孤伽羅 】はこのあたり
589年 北周 滅亡→隋 建国
未央の国
次の図は李未央のモデルになった馮太后(文明皇后)が生まれる直前の東アジア。
西暦436年ごろの東アジアにはこのような国がありました。
各国の大まかな勢力範囲です。古代の歴史なので領土の範囲や大きさは正確ではありません。だいたいこのようなもの。と思ってください。
当時の主な国
北魏(ほくぎ)
国の名前は「魏」。三国時代の魏と区別するために「北魏」とよぶ事が多いです。「元魏」ともいいます。北朝。
北方の遊牧民・鮮卑が中心になって作った国。遊牧民と漢の文化が混ざり、秦や漢の時代とは違う文化が生まれました。
ドラマ「王女未央」の舞台になる国。華北で最大の領土を持ちます。もともとモンゴル高原に住んでいた遊牧民族の鮮卑が華北に移住。拓跋部が中心になって作った国が北魏です。華北に住んでいた漢人を服従させて採用、中国文化を取り入れました。
太武帝のもと周辺国を次々に攻略。未央が成人するころには北魏が華北を統一して南北朝時代になっていました。
華北統一を優先するため、太武帝の時代は南朝の劉宋、周辺国の高句麗と良好な関係を築いていました。
劉宋(りゅうそう)
南朝。国の名前は「宋」。他の時代の「宋」と名乗る国と区別するために「劉宋」ともいいます。かつて中国を支配した秦や漢と同じ民族が中心になって作った国。漢の伝統や文化を引き継いでいます。
倭の五王が使者を送ったのも劉宋。百済は南朝に使者を派遣していました。
北涼(ほくりょう)
ドラマでは馮心兒(李未央)の祖国。
北燕(ほくえん)
歴史上は馮太后の父・馮朗の母国は北燕です。鮮卑化した漢人・馮氏が作った国。436年、北魏に攻められて滅亡。
馮太后が生まれた頃には北燕が滅亡した後。父・馮朗は北魏で生活していました。
柔然(じゅうぜん)
モンゴル高原を支配していた遊牧民国家。鮮卑系の民族。民族的には北魏とほぼ同じ。南に移住して中国風の文化を取り入れたのが北魏。モンゴル高原に残って遊牧生活を続けたのが柔然です。
その他の国
ドラマには出てきませんが、当時の日本や周辺の国がどのような様子だったのか紹介します。ドラマの参考までに。
倭(やまと)
まだ「日本」と名乗る前。「わ」と呼ばれていましたが、「わ」は古代中国や朝鮮から見て日本列島の地域や民族を表現する言葉。「わこく」という国は存在しません。「わ」の意味は不明ですが、「私達、私達の」という意味の「わ(我)」が誤って伝わったものと思われます。この時代の国としての呼び名は「やまと」です。
当時は古墳時代。倭の五王とよばれる大王がいた時代です。秦や漢の伝統を引き継ぐ南朝に頻繁に使節を派遣していました。そのころに南朝から日本に伝えられた秦漢の技術や文化が後の「和風」なものの基礎になっています。逆に中国は遊牧民の文化が強くなったので秦漢時代の文化が薄れていきました。
馮太后が生まれたころの大王(おおきみ)は倭王珍(仁徳天皇が有力)。馮太后が北魏で権力をもっていたころの大王は倭王武(ワカタケル大王=雄略天皇)。
高句麗(こうくり)
朝鮮半島北部から中国北東部を領土にしていました。中国北東部の狩猟民族が中心になって作った国です。このころの国王は長寿王。広開土王の息子です。高句麗史上最大の領土をもっていた時期。高句麗は北魏と劉宋の両方に使者を派遣していました。南北朝とは良好な関係を築いて勢力拡大しました。中国の文化を朝鮮半島の国々や日本に伝える役目を果たしました。
吐谷渾(とよくこん)
遊牧民国家。鮮卑系慕容部から独立した国。
国の名前は創始者の慕容吐谷渾からつけられました。
南朝や北朝に使者を送っていました。
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