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納蘭 性徳(容若)清朝最高の詩人は康煕帝の側近だった

大清 1.5 清の重臣・役人・男達

 

納蘭 容若(のうらん・ようじゃく)は清朝の政治家。

清朝で最高の詩人といわれます。

4代皇帝・康煕帝に仕えました。

清朝でも最高の詩人として有名です。

本名は 性徳(せいとく/満:シンデ)。

容若(ようじゃく)は本名以外に付ける通称です。親や目上の者以外の人が呼ぶときは「容若」を使うのが普通です。

史実の 納蘭 性徳(容若)はどんな人物だったのか紹介します。

 

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納蘭 性徳(容若) の史実

いつの時代の人?

生年月日:1656年 8月 31日
没年月日:1685年 8月 31日

姓:納蘭 (満洲:ナーラン/日本:のうらん)氏
名:成徳→性徳(満:シンデ/日:せいとく)
号:楞伽山人
 
父:納蘭 明珠
母:愛新覚羅 氏
妻:盧氏(盧興祖の娘)
  再婚:官氏

子供:富格、富爾敦、他に男子一人?
娘(年羹堯と結婚)

彼が生きたのは主に清王朝の第4代皇帝・康煕帝の時代です。

日本では江戸時代になります。

おいたち

1713年6月13日(順治11年)。北京で生まれました。

納蘭家は満洲人の名門・イェヘナラ氏の出身。満州八旗のひとつ正黄旗に所属しています。

父は納蘭 明珠(ナーラン・ミンジュ)。明珠は康熙帝に仕える高官で、吏部尚書・武英殿大学士などを歴任した。

母 愛新覚羅 氏はヌルハチの第十二子のアジゲ(ドルゴンの同母兄)の娘。

名前は最初は「成徳」でした。皇太子の保成(後の胤礽)と同じ字を使うのを避けて「性徳」に変えました。

1674年。漢軍八旗で 両広総督・盧興祖の娘と結婚。

ところが妻は3年後。出産後に死亡。

このとき性徳は亡き妻を偲んで詞を作りました。

その3年後。官氏と再婚しました。
官氏との仲も良かったようです。
性徳が遼東、五台山、江南に偵察に行ったときも妻のために書いた詞があります。

1676年。22歳のとき進士に合格。役人として仕えました。

性徳はその才能を康熙帝に気に入られました。家柄もよかったので三等侍衛に任命され康熙帝の側近として仕えました。

康熙帝の視察に同行したり、ロシアが国境侵犯したときは調査のために派遣されました。

後に、一等侍衛に昇格しました。

1685年。病死。享年31歳(数え年)。

納蘭家の墓に葬られました。

 

納蘭容若と幼馴染の伝説

納蘭 性徳は清朝では有名な詩人だったので伝説も生まれています。

幼馴染が宮女になって離れ離れ

ある伝説によると。

納蘭容若には幼馴染の従姉妹がいたようです。

二人は愛し合っていました。

ところが当時の規則では貴族の娘は13~15歳になると3年に一度行われる選秀女に参加しなければならず、選抜で選ばれると宮中に入りました。落第すると自由に結婚できました。家柄・容姿・才能が優れた女性は選ばれることが多かったようです。従姉妹は宮女に選ばれてしまいました。

その後、二人は離れ離れになり、後悔が残ったということです。

この伝説がドラマ「皇帝の恋・寂寞の庭に春暮れて」の元ネタになったようですね。

芸姑との恋

盧氏と官氏の妻がいたことが知られています。
でも他にも妻がいたという話もあります。

性徳には最初の妻・盧氏がいました。他にも沈宛という妻がいたという話もあります。
沈宛は漢人の才女でした。沈宛は江南では有名な歌妓(歌を歌う芸妓)でした。

二人は結婚しようとしましたが、当時の習慣では満洲人と漢人は結婚してはいけません。二人は密かに結婚して沈宛は納蘭家には住まずに、北京西郊の徳勝門にある別宅で暮らしました。性徳は彼女に全てを与えようとしましたが、沈宛を自宅に迎えることはできませんでした。

半年後、沈宛は北京を離れ江南に戻りました。

康煕24年。性徳が死去。その年の秋。沈宛は富森を生みました。

もちろんこの話が事実かどうかはわかりません。

最高の詩人

納蘭 性徳は詩人として有名です。

1678年に「飲水詞」という詩集を発表。
「側帽詞」という詞集もあったと言われますが、残っていません。
他にも「納蘭集」など他の人がまとめた詩集に載せられた詞もあります。

「通志堂集」20巻(1691年)という詩集には、生前発表した詞が300首が載せられています。他にも様々な詞が残っています。

納蘭性徳の詩で有名なものをひとつ紹介します。

山一程
水一程
身向榆関那畔行
夜深千帳燈。
風一更
雪一更
聒砕郷心夢不成
故園無此声。

日本語訳
山道を渡り、水路を渡り、山海関の向こうへ参りました。
夜深く、幾千もの明かりがテントに灯ります。
一晩中、風が強く、雪が降ります。
騒々しい風の音は故郷への想いすら砕きます。
私の故郷にはそのような音はなかったというのに。

この詩は有名なのでドラマでは一部のフレーズが出てくることがあります。
ひらすら故郷を思う気持ちを詠んだものです。

私の下手な訳で意味がうまく伝わるかどうかわかりませんが。
北京を離れ万里の長城よりも遠く遠征したときのできごと。
野営中に一晩中凄まじい吹雪に出会い。故郷を想いながらも挫けそうになる気持ちを必死に抑えている様子が描かれています。

これ以外にもいくつかの詩がドラマに使われることもあります。

康煕帝時代の満洲人は漢詩を作るようになっていました。

漢詩は微妙なニュアンスの表現が難しく、古典を引用して知識を競ったり、大げさな表現で文章を飾ったり、規則や伝統に縛られた古臭い詩になりがちです。

でも満洲人の詩人は自然の風景を見て素直な感動を詠んだ詩が多いのが特徴です。そのため芸術的にも優れた詞を作る人もいました。康煕帝も沢山の詞を作りました。

西域出身の李白などもそうですが。中国の優れた詩人には異民族の文化や感性を漢詩に持ち込んで新鮮な詩を作った人もいました。

納蘭性徳は北宋以降では最高の詩人。と言われるほど優れた詩人でした。

自然の細かい描写の中に自分の気持を表現する詩の作り方は日本人好みです。

もし江戸時代に日本が鎖国していなかったら、日本でも 杜甫 や 李白 のような有名人になっていたかもしれません。

 

テレビドラマの 納蘭 性徳(容若)

 

皇帝の恋・寂寞の庭に春暮れて 2016、中国
 役名:納蘭容若 演:張彬彬 

 通称の納蘭容若(ならん・ようじゃく)の名で登場。ヒロイン 衛琳琅(えい・りんろう)とは恋仲に。ところが衛琳琅は宮女になってしまいます。容若と幼馴染の従姉妹の伝説を元にしてるようです。伝説と違うのは宮女になった衛琳琅と容若が出会うこと。そして康煕帝との三角関係に。でも報われない。

 

花散る宮廷の女たち〜愛と裏切りの生涯 2017、中国
 役名:納蘭性徳 演:趙東昊 

 ヒロイン 年姝媛(ねん・しゅえん)の恋人だった人物。歴史上の性徳は康煕帝と同世代。史実では 性徳の娘が年羹堯(年姝媛の兄)と結婚しているので。納蘭性徳と年姝媛と恋人という設定は無理があります。

 

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